いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

ぬるま湯の時間のなかで

日曜の夕方は小雨でも傘を差して散歩に出る。残業や休日出勤に追われる生活をしていると、休日の終わりに何かわずかでも仕事とは無関係な、否何らかの「用事」ではない時間を意識して持たないととめどなく仕事や世間の常識に吞み込まれ包まれて潰されてしまいそうだからだ。

家から数分の水路に沿って山沿いの近くを歩く。柑橘畑の下や土手には真冬にも青草が生える。残菊も鮮やかで、水仙や菜の花が四分咲きで、山茶花が散る代わりに姫椿が咲き始めた。早い枝なら梅ももう蕾が開きかけている。ロウバイは満開だ。

北日本なら色のない世界に閉ざされてしまう季節にも、地元にはいつも彩りがある。知的文化的な情報・インフラは大都市圏に到底及ばないものの、旬の味を楽しむとか丁寧な日常の暮らしを送りたいなどの志向を持つ人なら十分満たされた生活が約束されるような気がする。

この穏やかな気候風土ゆえの危機感のなさ、ぬるま湯のような体制順応の意識に歯噛みすることは多々ある。そうして何とか暮らせてしまう、やり過ごせてしまう―、そのこと自体に危機感をおぼえなくもないが、では気候風土ゆえに命を脅かされる土地へ、ある季節を生き抜くために膨大な労力を割かないと暮らせない土地へ今さら移りたいかと言われればべつにそうは思わない。

山道の急勾配に建つ民家のあわいに、数年前オープンした高齢者入居施設が現れる。そこから道路を挟んだ向かいにはもっと古い大規模な介護老人保健施設がある。自宅のはす向かいに住んでいたご夫婦が高齢とご病気のためどこか施設へ入所された、と聞いたのがもう一年近く前である。近所がどんどん空き家になる。全人口の圧倒的多数が高齢者という、未曾有の高齢社会は地方も大都市も関係なく事実として着々と広まっている。

施設は静かで整然としていて、仄明るい。その穏やかな外観を見ながら私はかつての職場の上司との会話を思い出す。上司といっても自分より若い、当時三十代後半の人の呟きである。

―(自分の夢のための貯金とは別に)三千万くらい、両親二人を老後施設に入れるだけの資金を貯めて、親の面倒をみられたら、自分の仕事は終わり。

ちょうどこのブログを始めたときに就いた職場での話だ。この若さで親の老後まで見据えて貯金を作っているとは凄いなあと感心した。当時の私は残り120万程度となった借金(奨学金)の完済に躍起になっており、時給いくらの事務補助員では立ち行かないからとそこへ未経験異業種ながらそこへ転職したばかりだった。前より増えた手取りと賞与を想定すると、おそらくあと半年少しで完済できるだろう―、そんな試算を繰り返していた。

その状態で当時の仕事に必須だった自家用車の購入と、今思えば実行に移した途端蓄えはおそらく無理だろうと予測される一人暮らしまで念頭に置いていた。そこにこの話を聞いて、自分の抱えた負債と、自分の未来と、現在の仕事のために必須といえる車の購入のうえに、親の老後という懸念まで加わったかたちになり、自分の立ち位置が解らなくなった。とはいえどんなシミュレーションをしても、月々の返済額を変えても、毎月もらえる月給額に変わりはなく、1日が24時間なことも、問題が瞬時に解決しないことも変わらなかった。

借金の怖さは、その金額の多寡や金銭感覚が不明瞭になること以上に、自分の今後を考えるうえでの時間軸が決定的に狂いかねない点にある。借金はいわば未来の金や時間の先取りだが、負債を抱えた状態ではどんなに高額の収入や手元キャッシュがあっても純資産はごくわずかか、殆どないことが多い。それは自分の自由になる時間、未来に残された未知の時間についても言えることだ。少し先の、自分にとって未知で新たな未来に思いを巡らせるときも、負債がその選択肢を狭めてしまう。負債が与える懸念事項を含めたうえでの思考となるから、まっさらな何もない状態よりも複雑になる。なのに、時間は残酷に確実にひとを老いへと日々近づけていく。

奨学金という名のローン―借金であり負債である―を抱えて社会人生活を送る若い人はこの十数年で主流といえるほど増えた。正社員で働く人も、非正規の人も、働けない人もいる。経済成長を前提とした企業内福利厚生中心の脆弱な社会保障制度も、長時間の基幹労働に従事する正社員の夫と専業主婦もしくは家計補助労働の妻という家族モデルも、とっくの昔に実態に合わなくなっている。これまでどうにかギリギリで働き暮らし、生活を回してきた人たちが、目に見えるかたちで破綻しつつあるのがとりわけコロナ禍以降だろう。

どれほど科学技術が発展しても現段階では時間を巻き戻しや早送りはできない。残酷なほど、個人が制御することのできない時間のリズムや幅のなかで、誰もがその場所や年齢固有の景色を味わいながら淡々と生きてゆける条件整備や思想の土台を作らなければならない。