いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

体調不良の基準

2023年5月から、新型コロナウイルス感染症法上の分類が2類から5類へ変更されることになった。これに伴い、公的な感染対策は緩和される。市中感染はこれまで以上に増えるだろう。また発熱外来中心ではなく一般の医療機関でも患者を受け付けるとなれば、感染者とそうでない者の線引きは曖昧になり「病院を受診してコロナに罹患した」患者も出てくると思われる。

何より決定的なのは、感染患者は最大7日間、濃厚接触者は最大5日間と決められていた行動制限がなくなることだ。行動制限―、検査・隔離を徹底しないまま感染爆発の波をいくつか経験した国内のコロナ対策はそれ自体不十分なままでありながら、患者・濃厚接触者の外出・出勤・登校を禁止するルールはとりあえず患者に最低限の療養期間を保障した。が、5類移行後はそれも原則ではなくなる。

昨年の終わり、自分がコロナに感染してから痛感するのは世間が認める「体調不良」には何となくおぼろげながら変な線引きがあることだ。年明けに出勤・外出するようになってよく人から聞かれたのが「熱は何度くらい出たか」である。自分のばあいは検温して7.5度以上あったらすぐ解熱剤を飲んだせいか38度を上回ることはあまりなかった。それよりも酷かったのは喉の痛みである。

発熱の有無。コロナ禍のごく初期に「37.5度ルール」が押しつけられたせいか、行動を控えるかどうかの基準を発熱に置く考えはけっこう行き渡っている。しかし、かつてある冬には熱なしの肺炎が流行ったこともあり、コロナも元々肺炎として恐れられてきたのだから発熱が無くても「ただの風邪」ではないことを疑うのが妥当なはずだ。

たしか映画『思ひ出ぽろぽろ』に小学生の主人公が風邪をひき咳も出て明らかに具合が悪いのに「熱はないんでしょ」と学校へ登校させられる(体育の授業だけ見学)シーンがあった。ああ昭和だなあ…、とため息が出る思いだ。コロナ禍が終息せず、第8波であれだけの死者を出したにもかかわらず5類になどしたら、「体調不良のときは学校や会社に行かない」というやっと根付きはじめた規範も崩れ、上記のような「熱がなければ行く」慣習がまたぞろ復活するのではないか。劣悪企業なら「少々具合が悪くても来い」という文化がいまだのさばっているだろう。

そもそも体調不良の症状が心身のどこにどう現れるか、それは本当に人それぞれ異なるのだ。風邪でさえ喉に来る人、胃腸に来る人、高熱を出す人等々に分かれる。基礎疾患があれば、疲労や悪条件はまずその患部に症状が出る。自律神経に出る人もいれば、肩こりや関節痛など整形外科の領分に出る人もいる。脳、心臓疾患は突然来る。これといって前兆もなくいきなり不調をきたして運が悪ければ死に至る。そして身体ではなくメンタルをやられる人もいる。

悪条件が重なれば、暑さや寒さが原因で人は死ぬ。ここ10年来、気候変動の影響で国内の夏の暑さは尋常でなくなっている。2018年7月には愛知県の小学生が校外実習のあと熱中症で命を落とす事例があった。つい最近では、断熱性の不十分な日本家屋で高齢者が低体温症で亡くなった。

コロナ後遺症としてよく挙がる倦怠感も、数値化できないせいか「甘え」「気持ちの問題」で突き放されるケースがあるという。しかしそれは間違いで、数多く報告されている症状の一つであって、手当と治療の対象である。他にも後遺症には本人にしか分からない辛い症状が多い。

こうして振り返れば、命を脅かす不調の目安が発熱だけでないことは明らかだ。コロナが私たちに突きつけたのは社会的な対策と同時に、個々人の心身の多様さに目を向ける重要性かもしれない。熱などなくとも体調が良くなければ休む、この選択ができることこそが真の自己管理である。