いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

超高齢社会を生きる

人は殖え続けることが善なのか

私の居住地だけかもしれないが、バイトやパートに「ここまで要求するの⁉︎」という求人がとても多い。そういう所に限って「この賃金で⁉︎」である。 求められる責任や態度はフルタイムか、あるいは正規雇用者と同等に近い。つまり期間労働者としての賃金や待遇…

明日はまだ誰も

このブログで何度か書いている父方の祖母は、実は今年で100歳を迎える。これまで記してきた歳は私の計算違いだった。聞けば祖母は大正12年生まれらしく、ならば今年で一世紀分生きたことになる。この祖母を思い出すにつけ、考えさせられることが沢山ある。高…

ぬるま湯の時間のなかで

日曜の夕方は小雨でも傘を差して散歩に出る。残業や休日出勤に追われる生活をしていると、休日の終わりに何かわずかでも仕事とは無関係な、否何らかの「用事」ではない時間を意識して持たないととめどなく仕事や世間の常識に吞み込まれ包まれて潰されてしま…

ダブルケア時代の選択

今年97歳になる父方の祖母が施設へ入所して7ヶ月になる。足腰は歳相応に弱ったものの、口達者で認知症などはなかった祖母は、毎朝夕に車で30分弱のところに住む娘(私にとっては叔母)に食事等の世話に来てもらいながら長く自分の家で一人暮らしをしていた。…

逆行する時間を生きる―『港町』に交差する生と死―

もう7年ほど空家となった隣家の庭は今夏も勢いよく緑に包まれた。ムクゲが咲き、夏草が茂り、今はそれも終わって真ん中に生えたレモンの木は黄色い実をつけている。誰も獲らないこのレモンは、たしか昨年も3~4月頃にその数か月前から果実をたわわに実らせた…

老後の下地をつくる

今年97歳になる父方の祖母は、昨年春に祖父を亡くしてから持ち家に一人で暮らしている。数年前から急速に足腰が弱ってはきたものの、市内にする叔母が毎日訪ねて朝食を買い届け、服薬管理をし、また週末は私の両親がおかずを作り届け、どうにか一人で過ごせ…

老後は1世代

この半年ですっかり家にいる時間が長くなった両親を見ていて思う。どんな立場の人でも「老後をどう過ごしたいか」はあるていど意識し、できれば言語化できるようにしておくのが望ましい。少なくとも仕事を定年退職したからといって、社会に対する責任が全く…

ダブルケア時代の子育て懸念

自転車通勤の帰り道、市街地の大型スーパー付近を通ることがある。ちょうど退勤ラッシュであり、買い物に勤しむ人も多く、子どもを連れて帰路につく人もたくさんいる。そんな人混みを自転車で進んでいくと、いくつか気づくことがある。 学校や学童の子どもを…