いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

私を主語に


―決断するのは彼じゃない、あなたたちでもない、僕だ!
 
 これは、先月Netflixのサブスク解約前に一気観した海外ドラマの字幕である。『皇妃エリザベート』第2シーズンの終盤で、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフⅠ世が食卓で軍事作戦について云々言われ、たまりかねて叫ぶシーンだった。
 
 言語は全編ドイツ語で流し日本語の字幕を観ながら、まあ性格から言ってこの人物の自称詞はたしかに「僕」だろうなと妙に納得してしまう。そしてさらに驚くべきことに、ドイツ語だと自称詞はたった一種類で済むのだ。

翻訳はつくづく偉業だ、と思う。吹き替えであれ字幕であれ、外国語のドラマや映画を楽しめるのは、誰かがそれを訳しているからだ。それも、作品の時代設定やキャラクターの社会的地位、性別、性格に合わせて。このとき自称詞の選び方が不適切だと、文法的には正しくても訳として不自然でおかしな台詞が出来上がってしまう。

外国語を勉強して母語との違いに戸惑い感嘆する経験は誰しもあるだろうが、自分にとって最近とくに不思議なのは日本語における一人称単数代名詞の多さである。時代、階層、性別、年齢、加えて地域語(方言)も含めるとそれは膨大な種類と数になる。

 だが英語やドイツ語の一人称単数(1格)はどんな時代、年齢、地域、階層、性別、性格であっても基本的に一種類なのだ。自分を指す代名詞の一人称単数の主格は、ドイツ語だと「ich」(1格)、英語なら「I」のたった一つだけである。当たり前のことなのだが、日本語母語話者である自分は「よくこれ一つで足りるなあ…」とほとほと感心してしまう。

 とはいえ、これほど多くの一人称単数形がありながら同じ日本語話者でも使える自称詞の種類と幅は誰もが同じではない。とりわけ性別においてそれは顕著な差だ。

 かつて職場で言い使った担当業務について、妙に進み方が遅く感じてはたして自分が教えたようにやっているのかいぶかしんだ男性社員が私に苛立ちまぎれに苦言を呈したことがある。そのさい自分がした工程と手法をやや頼りなげに説明したところ、「私がやった」という主語の部分を不自然に強調して、言うなれば揶揄するような口返答をされたことがある。たしかに紛れもなく「私が」した作業なのだが、もしかしたら世の中には女性が自らを指す主語を立てることすら不快に思う手合いがいるのだろうか。

 男性の自称詞は現代でもなお幅広い。接客や営業の仕事ではなく、終日同じ部署の座席に居てさえ彼らはTPOに応じておそらく四種類くらいは使い分けている。
 
 外部からの電話に「わたくしが対応いたします」、上司に対して「わたしが処理しておきます」、先輩や目下には「僕が何々だったとき」、話の通じない社内の人間とやりとりした後に「俺そういう意味で言ったんじゃないんだけどな」などとひとりごちる。またこの地域では年配の男性だとごくプライベートな自称詞は「わし」、これが訛って「あし」と言ったりする。

 それに対して女性の使う自称詞は上記と同程度の拡がりをもつだろうか。家庭、地域、職場、その他友人同士においてもそもそも「自分を主体として話す」ことがうやむやにされ、そんな機会はごくわずかに留めることがよしとされる風潮がいまだに蔓延していないか。

 そのためか、女性の主体回復の訓練、アサーティブトレーニングなどの場ではよく「“私”を主語にして話す/気持ちを述べる」ことが推奨されるという。尊厳を踏みにじられ、自己を「無い」ものとされたり、立場を不当に低く扱われてきた人たちに対してそれはとても重要なエンパワーメントである。
 
 いっぽう性別違和を抱える人が子ども時代に自分をどう呼ぶか、これには相当な苦悩と葛藤が生じるだろう。「わたし」なる自称詞は大人が公の場で使うときこそ中立で適切なように聞こえるが、セクシュアリティによっては未成年が私的空間で発するには違和感をもたらすときがある。性別の規定は子どもがプライベートな場で自分をどう呼ぶかにおいてより強く意識させられる。

近年のSNSでよく見る、政治や社会を語ることを「思想が強い」、自分の意見を主張する行為を「自我が強そう」だと忌避する傾向を、私はとても危険だと考える。それは性別にかかわらず個々人の主体性を曖昧化し、意志も責任も固有の命さえも「あってもなくても同じ」ものとして溶かしこんでしまう流れのように思う。

 自分のことをどう呼ぶか―、それは自分を自分でどう規定するかという問いをも意味する。

 だから心の中でそっとつぶやいてみてもよいのではないか。

 それを決めるのは彼(多数派<男性>)ではない、周囲の誰かでもない―、自分だ。

 

 

 

 

いわきび、汽車に酔う

 過日用事があって瀬戸内海を渡り、斜向かいの県までお出かけしてきた。日帰りである。いつもなら朝イチの高速バスで発つのだが、その便は2ヶ月前「乗務員不足のため当面の間運休」ときたので仕方なくJRに乗ったのである。そうしたら、行きの途中で酔ってしまった。

 

 JR四国は貴重な移動手段なのだが、居住県内でじつは異様に揺れる区間がある。とくに海岸沿いはカーブが連続していて車体の傾斜動作が頻繁に起こること、また傾斜制御の連続のために不自然な揺れを感じやすいこと等がネット上でも注意喚起されている。

 

 私がトイレに立ったのがちょうどその区間だった。立つも座るも一定の姿勢を保つのが難しいくらい揺れた。しかも和式である。

 

 席に戻った後、うっすら吐き気をおぼえながら目を閉じて少しウトウトした。遠くを見ようにも目に入る光景というのがすでに揺れて斜めっているのでどうしようもない。文字など広げても余計酔いそうなので、ずっとそのままの姿勢で極力頭を動かさぬように乗っていた。目的地に着いて降りたらスッと治ったのだが…。

 

 いったいこれは誰が悪いのだろう?と考えてしまう。もしかしたら県外へ出かけるとき公共交通機関を使わないことが当たり前な人は、いわきびが自家用車を持たないこと、また運転が不得手なことが原因だと思うかもしれない。

 

 否、誰が悪いとかいう問題ではないのは分かっている。減便はバス会社の判断であり、JRの地形や乗り心地がこんななのも個人がどうこうできる事柄ではない。自分には一切非がないはずだ。

 

 公共交通機関は人口減少とコロナ禍を経て減便を余儀なくされたところも多い。ただそれが「地方とはそういうもの」という認識で自明視されるのは私にとって恐ろしい。

 

 

 先日、SNSにこんな内容の投稿があった。

 

ー地方の女性は200万あったらジュエリーなどではなく、新車で軽自動車を買う。

 

 その通りだ。地方で車所有は必須に近いからだ。地方在住者はただ日々を「ふつうに」暮らすために、その延長上に遠くへ行くことも含めて車という移動手段を所有する。

 

 一方、大都市圏居住者は生活必需品のために200万もはたかなくてよい。あるいは200万を別のものに使うことができる。それこそバッグや宝石以外の価値ある学びやスキルに換えることが可能である。

 

 これが不平等でなくて何なのか?

 

 地方で災害が起きるとSNSでは「そんな所に住むのが悪い」「どうしてそんな所に住むのか」「辺鄙な土地のインフラ維持にはコストがかかる、大都市圏の税金をなんでそんな所に使うのか」「復旧復興にかかるコストを思えば大都市圏に移住させた方がコスパが良い」などという内容の投稿が目につくようになった。

 

 私の記憶では西日本豪雨あたりからその傾向が目立ち始めたように思う。

 

 住んでる土地で命の扱いに差がつくこと、それを受け入れるのがあたかも現実的な態度であるかのような風潮が、少なくともソーシャルメディアでは明瞭に見てとれる。

 

 瀬戸大橋を渡りながら海が視界に入る。この橋ができるまで本州と四国を結ぶ陸路はなかった。

一見穏やかな瀬戸内海は潮の流れが複雑で、いったいどれほどの危険な航海があっただろう。どんなに多くの命が失われただろう。紫雲丸事故、この連絡船の沈没事故で小中学校の修学旅行生も大勢亡くなったことが、瀬戸大橋の建設を求める大きな契機となった。小学校生のとき、社会科の授業でそう習った。悲願の末に架けられた橋なのだ。

 

 海を渡るのは簡単なことではなかった。物が運ばれ人が移動できることは決して当たり前でもふつうでもない。それはきっと今もそうだ。

 

 近年は気候変動で、冬になると豪雪による交通や物流、インフラへの被害があちこちで頻発するようになった。雪に慣れていると思われる地域であってもだ。そんな光景に対しても、まさか「住む人の自己責任」などと言い放つ者がいるのだろうか。人の力でいかんともし難い風土や地形を相手にそう言う虚しさが解らないのだろうか。

 

 久々のJR乗車はそんなあれこれを思い出させた。ちなみに私は地元の大人たちがJRを「汽車」と呼ぶのを聞いて育ったので今もその呼称に違和感がない。小さい人たちがもしこの呼び方に怪訝な顔をするなら、自分も歳をとったということなのだろう。 

 

 

通過点

 人生は列車の旅のようなものだと言われる。最近その喩えを思い出し、そうかもしれないと思うようになった。

 

 旅の過程で起きる出来事はいわば車窓に映る景色の一瞬でしかない。

 

 どれほど思い入れが強く有っても、自分が風景の構成要素として、その空間に構成員として動態的に関わり、影響を与え、コミュニティの変容に寄与するような関係性は今の暮らしではどうやら求められていない。

 

 ほんとうは中年の人づきあいなど、たかが知れていると思っていた。歳を経た分ほぼ完成に近づいた自分の嗜好や価値観に基づいて選ばれ、形成され、所属コミュニティも関わるメンバーもすでにある程度固まっていて、多少のいざこざがあったところで好きも嫌いもその範囲だろうと。

 

 でもそれは違っていた。30代で迎えた大震災と、その後半からの異業種未経験転職、40代に差しかかるタイミングでまた仕事を変わり、職業訓練で資格取得の後いまの仕事に就いて職種じたいは3年以上経つ。

 

 当然、関わる人も見える景色も目まぐるしく変わる。同じような業務ポジションでも職場や業界が違えば受ける扱いも自分を見る目も異なる。

 

 同じ会社で働いていても人事異動はある。平穏に関わっていた同僚に仕事とは別のプライベートで何か衝撃的な事が起きるかもしれないし、自分も含め勤務している人々もその家族親族も日々刻々と状況は変化している。

 

 既定のレールどころか決まりきった枠組みも、先の見えたコースも、地図も、見取り図さえない。だいいち望んで出発した旅路ではない場合だってある。

 

 1995年辺りまでは、経済成長前提の標準的ライフコースや家族モデル、また家族内では何となく性役割規範に則っていれば家庭はそこそこ回っていたのに対し、現在では各々のカップルがそれぞれの最適解を話し合いと試行錯誤によってすり合わせ、決めてゆかなければならない。

 

 それなのに、途中下車や寄り道、空白期間に対する非難めいた視線は年々強まっている。就職氷河期よりは転職市場も整い、転職に対するネガティブな印象は薄まってきたとはいえ、ブランクや転職回数の多さを忌避する企業は依然として存在する。

 

 仕事だけではない、婚姻の有無、家庭のあり方、子どもの有無と産む年齢、子ども関係の急な呼び出しに誰が対応するか、育児中に仕事を続けるか辞めるか時短かパートか、正規か非正規かー。

 

 ーだいたいこんなものだろう、という相場や既定路線もいまや無いのだ。

 

 そろそろ乗り換えたい。違う路線に移りたい。そもそも望まない道は望まない終着点にしか連れて行ってくれない。

 

 何も大それた変化を起こしたいわけではない。他人や世界への強力な支配統御を望んでいるのでもない。ただ日常生活の動線を、家事の順番や優先順位、管理権や采配をいくらかは自分の手に取り戻したい、仕事も同様で緩急くらいは自分でつけたい。

 

 それができないなら、要らない。やりたくない。手を着けたくない。そんな心境にこの2ヶ月近く陥るときがあった。

 

 人生は航海にも喩えられる。

 ひとときの停泊のつもりがいつの間にか座礁と化してはいないか。

 波間へ出たらすぐ難破するのではないか。

 

 また、世界は舞台や書物にも喩えられてきた。

もし一人の人生を取り巻く世界を本や映画、舞台になぞらえるなら、そのページや一幕が過ぎ去るのを待つばかりでなく、主体的にその役割を引き受け味わう発想もあるはずだ。

 

 もし今の暮らしが仮の宿りにすぎず、たんなる旅の一景でしかないとしても、せめてその眼に映る一瞬を傍流者として愉しみたい。その光景を忘れられないほどに心に焼きつけるシーンにしたい。そんな欲求だけは、やっぱり捨て去ることができなかった。

 

 そのためにどうすればよいのかは分からないにしても、人生を楽しむ態度はできる限りオープンであるのが良いだろうくらいは何となく理解できるようになった。

 

 願わくばわずかな通過点といえども自分の眼で、自分の関心が惹きつけられるままに手を伸ばし、立ち上がった一瞬であってほしいとただそう考えている。

 

 

 

 

時間が命ならば

 時は金なり、とよく知れ渡った言葉があるが、最近時間は命かもしれないと思うようになった。

 

 それは、時給で働く者にとって働いた時間分の賃金がそのまま生存の糧と同義だからとか、心理的安全を欠いた職場や家庭が心身を削り文字通り「命を縮める」ことが知れ渡ってきたことなどだけが理由だけではない。

 

 時間の無駄は命の無駄とほぼ同義である。

 

 命の無駄とは何か。思うに、生きている個人に生起する痛苦を、人権意識上また技術的にも可能であるにもかかわらず回避・低減しないこと、倫理的にも安全衛生上も問題のある環境にさらしたままにすること。

 

 想像してみてほしい。たとえ一分間であっても、めまいや動悸、咳や気道閉塞による呼吸困難のある状態とない状態は、決して同じ時間とは言えないだろう。むしろ数十秒、否一瞬たりとも再現したくないと思わないだろうか。

 

 その生もいつか終わる。期間の長さに個々人で差異はある。しかし命が有限であることに変わりはない。

 

 仕事に打ち込みたいー、そう考えていてもそれはこちらの身勝手な思い入れであって、立場上、何より今の時代に時間外労働は決して美徳とはなり得ないと判る出来事があった。

 

 その指摘は真っ当だ。だから定時以降の時間は自分の生存を拡充させるために存分に使えばいいと思い至った。

 

 時間があればゆっくり身体を休めることができる。食事をゼロから自炊とはいかないまでもまともな献立である程度時間をかけて摂ることもできる。そして早めに寝られる。早い時間帯に布団に入れる。

 

 最低限の休息さえとれない働き方は、真に命を脅かす。過労死の三文字が決して他人事ではなかった時期が自分にもあった。

 

 時間を与えられることは命を与えられることと同義だ。

 

 一方で時間はー、個体としての生き物にとって命は、有限でしかない。だからこそやがて訪れる死や運動機能および容色の衰え、刻一刻と変化し決して永続的にはなり得ない他者との関係維持が恐れの対象となる。

 

 有限性、AIが持ち得ない特質のひとつはこれである。AIがいかに人間の能力の拡張、あるいは人間の写し鏡であっても「限りある命/時間」という前提を共有することはできない。

 

 もし自分の平穏な生を妨げる諸々が取り除かれ、生活のためだけに躍起になる必要が低減されたなら、自分の人生には何がそばに在ってほしいのか。再びそれが問われるだろう。

 

 

 

 

 

手中に収まるもの

 先週の月曜のこと。出勤したら私用のメモ帳がない。それはA6サイズの罫線入り手帳で退勤時に持ち帰ってまた持参するのが常だったのに、鞄を開けても無い。どうしよう、あれにはざっくり一週間にやるべき事や業務上の注意事項などを書いてあり、週明けスタートからそれが手元に無いなんてあまりに心許ない…私はひどく動揺した。

 

といっても、今の勤務先には月次、年次ごとにやることをまとめた詳細な手順書/マニュアルがある。ソフト等にログインするためのIDやパスワードも仕事用デバイスや引き出し内に別途控えてある。

だから、実際に業務を進めるうえで困ることなど何もない。To doリストを書き出しただけのものを忘れたからといって慌てる理由などないはずなのだ。

 

 そしてその日帰宅し自室の引き出しを見るとそれは在った。やはり自分が鞄に入れ忘れただけだった。それにしてもなぜあれほどまでに困惑し、不安定な気持ちに浸されたのだろう。その夕方に起きた地震と津波のニュースも相まって(自分が居るのは西日本だからもちろん何の揺れも被害もなく報道で知っただけである)か。

 

この出来事が私に想起させたのは、現在の生活が公私ともに自分の裁量や選択、管理下に置ける事物や領域の驚くべき少なさだった。自分が制御し管理できるのはたかだかこのメモ帳に収まる範囲のことでしかない。家事の裁量も決定権も実家暮らしでは限られており、物理的な移動も車がなければ制限され遠方へは新幹線が通っていない土地のためなかなか行けない。しかし机上なら、まだ紙とペン、PCやスマホを通して自分の世界の延長を作ることが可能である―。

 

 だが、手書きのメモにはこれらの理由を凌駕するポジティブな側面もある。

 

 かつて経験した多忙な職場では、工期や日程が押しているとき、スケジュールが過密でその日のうちに片づけねばならないことをとにかくリスト化するときは紙に書き出す人が多かった。このブログを開設した当時の転職先のチームリーダーは、まっさらなA4用紙を半分に折って左右に納期までにやることを手書きでリストアップして机上に置き、順に傍線で消していた。今ならあれが一番効果的だったのがよくわかる。心理的にも物理的にも。手ごわい仕事でも紙に書き出すことによってそれは単なる一行ほどのタスクとなり、完了したら傍線で消せる程度のもので、そうすることで自分はわが手で仕事を制御している実感が持てるからだ。

 

 私も今の仕事を進めるとき、また私生活でもメモ帳のほかに小さな紙片(やはりA6サイズが一番使いやすい)に色々書き出している。それは忘備録としてではなく、そのタスクや懸念事項を紙の上に流すため、自分の脳裏や胸中に仕舞いこむと情緒のキャパシティが奪われて行動に不具合をきたすのを防ぐためである。

 

 小さなサイズの紙を使うのは、そこに書き出すのがどんなに面倒で複雑で「重い」用事であっても、紙片の枠内に収めることで自在に簡単に自分の手玉に取れる、何なら矮小化さえされた、取るに足らない事象として把握しておきたい欲望からかもしれない。

 

 いずれにせよ、自分がやりたいこと、自分を取り巻くタスクや所用をわが小さな手のひらに収め、その限られた狭い視界に収まる程度のものと認識し、掌握したい欲求、これがあることを認める。

 

 むろん生活領域で自分の制御範囲を増やしたいならば、自分一人で住める部屋を借りるなり違うコミュニティへの所属やゆるい繋がりを求めるなり、具体的な行動あるのみだとは解っている。それはそれとして、時代がどれほど変わっても世界を手中に収めて安心を得たい志向は、家庭や企業、地域共同体が解体されつつあるならより一層、一定数の者には共有されて残り続けるのだろう。

 

その手を思うままに

 ひとの「手の使い方」に見入ってしまうときがある。

 

 その人の手の特徴以上に手さばきやモノに対する手の添え方、何かを手で触れる行為について無自覚に漏れてくる意識などに関心が向く。

 

 最も手つきに細心の注意を払う職業として思い浮かぶのは医療と福祉に関わる分野だろう。なにしろ命に関わる。それは対人で「ケアする手」である。

 

 ケアする手ならば美容やマッサージの業界もそうだろう。美容師は客の顔の周りでハサミを使う。カミソリなどの刃物も扱う。医療行為以外で人の肌に触れる。それにはやはり、人に対する気遣いや境界がどうであるかが滲み出る。

 

 あの手首の使い方はきっと子育てをしてきた手だ、首の座っていない子どもをおそるおそる抱え運んだり、少し重くなった子をかけ声とともに抱き上げて立たせたり、ぎこちない動作を手伝ってボトムスを履かせたり…そんな想像が勝手に脳裏に浮かぶ。

 

 事務職が必ずしも紙やペン、OA機器を丁寧に扱うとも限らない。筆記用具は刃物や機械と違って、抵抗されてもそう身体に大きなダメージは与えない。そのせいか自らの制御を見せつけるように印刷したデータや書類の束を制圧し、仕事を進めていく人もいる。

 

 一方で、備品として充分ストックがありながら自分が使い慣れたメーカーのペンを持参する人もいる。私がそうなのだ。

 

 PCも動作が馴染んで使い慣れた人は「機械と格闘している」ような雰囲気にはならない。眼は画面の一点を視つめ、自分のように猫背になりがちではないためか、キータッチのフォームもとてもきれいだ。

 

 手つきには案外人柄が出る。 

 

 自動車や重機、トラクターを操作する手。大規模でときに荒っぽく見えるが、個々の道具の扱いは驚くほど確かで繊細だったりする。

 

 働く手、ケアする手。それは誰かや何かのために先回りし、あるいは後ろから支える手である。道具を自分の手に馴染ませ自在に扱うための訓練を重ねた結果であっても、それはこの手の向こう側にある他者のスムーズな生を実現させるためである。

 

 ひるがえって私が見たいと思うのは、ある人が誰のためでもなく他ならぬ自分の内面に湧く、ちょっとした一瞬の欲望に基づいて伸ばす手である。

 

 むろん、ペットの世話や園芸のように誰かや何かの世話を焼くことが無上の喜びだと言う人もあるだろう。

 

 しかしそうした人であってもあの花を掴みたい、あの枝に触れたい、窓外の空を見たいとカーテンの覆いを開けるべく手を伸ばすとき、戸外を歩きながら通りである対象や光景に惹かれ、吸い寄せられるように歩みを向けるときがあるはずだ。

 

 門前を掃きながら庭木のスモモが散る花びらに眼を奪われるとき。

 

 家族のために愛情こめて作った揚げ物の一番美味しそうな一個を味見に口へ運ぶとき。

 

 そこにはある一点に惹かれる眼がある。

 

 誰のためでもない、自分のためというのも忘れて瞬間的に伸ばす手の動き。

 

 私はその一瞬に宿る欲望が輝かせる人のきらめきを美しいと思うことを許されたい。

 

 一人では生きられない人間の、それでも代替のきかない有限な生をあとづけるのはこういう一瞬ではないかと最近思うからだ。

 

 

 

春が来る

 日が長くなった。

 年度末につき、周囲がバタついている。人事異動、転勤、退職ー。今いる会社の様子を眺めている。

 

 休日の夕方、自転車に飛び乗って散歩に出る。

 路地に射す陽射しがもう先月とは違う。

 

 河津桜が終わる。

 

 木蓮はほろほろと散る。

 

 杏は淡紅色の花びらをふるわせ、花梨もヒメリンゴも新芽を吹く。

 

 リキュウバイが咲き始めた。

 

 ペダルを漕ぐと風景は移り変わる。それに合わせて過去のあれこれを思い出す。

 

 退職したあの人はあのときよく思い切ったな。

 

 あの先輩は進路が行き詰まって家庭から責められていただろうときに資格試験の勉強に切り替えた当時はこんな気持ちだったのか、とか。

 

 長く単身赴任をしていた夫のもとへ家族揃って引越すことになり、涙をこぼしつつ退職した女性のこと。

 

 それは決して同じ経験をしたからというわけではなく、歳をとって初めてわかる類のごく自然な感情だ。

 

 しみじみ思い出されたところで、べつに何かが解決するわけではない。むしろ時を経たがために失うもの、タイミングゆえに機会を奪われ相応しくないと見做されるもの、許されないこともある。

 

 40代に入ってたびたび実感するのは次のことだ。

 欲しいものは欲しいタイミングで手に入るとは限らない。

 

 賃金上昇や残業等で今更まとまった稼ぎを得ても、それはお金のなかった20代にこそ切実に欲しかった収入である。

 

 どんなに好みでも今の年齢には合わないとされる服装やアイテムがある。

 

 歳を重ねて見る眼と経験値が養われた折に出会った「良い人」の左手に指輪が光るのを見た人の気持ちもわかる。

 

 

 それでも時間が流れること、時が移ること、状況が変わることが救いのように感じられるのはなぜだろう。

 

 否、状況に変化が見られずとも、時が動いて自分のものの見方が少し変わるとき、わずかな雪解けのような感覚で時そのものに癒しが見出されることはある。

 

 

 花梨の花が満開だ。もし家庭で伴侶や子どもが膠着した時間とともにあるとき、こうした季節の到来は残酷な影をまとって映るかもしれない。しかし私はたとえ世間知らずと言われても花に目を惹かれ、私的な利害関係や関心から遠い世界へ誘われる一瞬を喜びたい。

 

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 かつて自分の慰めだった廃墟が解体され更地になっていた。あの優しい時間を思い起こさせてくれた建物はもう、いま私の記憶の中にしかない。

 

 一方道を行けば至るところに白っぽく光る筋のようなビワの若葉がある。

 

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 郊外の畦道にはカラスノエンドウやアケビの花が咲き乱れる。こうしてまた植物が青々と繁る循環がスタートする。

 

 中年期を生きるためには時間を味方につける術を念頭に置くべきなのかもしれない。

 

 たとえそれがマメザクラに灯る明かりのように儚いものだとしても。

 

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