いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

逆行する時間を生きる―『港町』に交差する生と死―

もう7年ほど空家となった隣家の庭は今夏も勢いよく緑に包まれた。ムクゲが咲き、夏草が茂り、今はそれも終わって真ん中に生えたレモンの木は黄色い実をつけている。誰も獲らないこのレモンは、たしか昨年も3~4月頃にその数か月前から果実をたわわに実らせたまま花を咲かせていた。

こういう木は近所でもよく見かける。家庭で栽培する果樹や野菜が十分収穫し終わらないうちに、実や種をつけたまま枯れ、その株が新たな芽を吹き次の実が生るのだ。
こうした植物の世界ではたして命の循環はうまくいっているのだろうか。こうした庭木を見ると、世代交代が機能しなくなった日本の高齢社会が想起される。

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想田和弘監督のドキュメンタリー映画『港町』が映すのは、岡山県瀬戸内市牛窓地区の海辺に暮らす住民と近隣の生き物たちの生である。とりわけ人々にとって大切な生業である漁業と、獲れた魚介をさばき売り、買い手のもとに届くまでの様子がとても丁寧かつ仔細に撮影されている。

地区は高齢化が進み、若い働き手はごくわずかのようだ。鮮魚店でさばいた魚を軽トラに積み、険しい坂道を運転し巡回販売するはつらつとした女性は後期高齢者である。作品の冒頭に出てくる船上で魚を網に掛ける男性も、漁は採算がとれないのでやっていけないという内容のことをもらす。市場の競りも少人数で淡々と進む。伝統的な生活様式はたしかに脈々と受け継がれてきたが、今はとても小規模となっている。

このような暮らしの中でたびたび意識を向けられるのは過去の時間である。高台の墓地で掃除をする女性の話はそれを象徴するかのようだ。毎年各家が代々の墓に菊花を生けて祖先を祭る「菊並べ」の時期にお墓の手入れをしながら、女性は自らの遠い先祖の話をする。高地から穏やかに霞む瀬戸内海の彼方を見渡しながら思いを馳せるのは、祖先の伝承や昔の暮らし、すなわち過去である。

一方、こうした人間たちと対照的なのは猫たちだ。作品中には頻繁に野良猫が、それも親子が映っている。ある猫は人が獲った小魚をかすめ取り、まだ動くそれを草陰で子猫に与える。また、移住してきたご夫婦は引越し当初から付近の野良猫に餌を与えるうちに「一気に子ども産んで殖えちゃった」と語る。映画は給餌の様子も映す。集落の魚屋でもらったアラを大鍋で煮込んでぶつ切りにし、冷や飯にかける。凄まじい勢いで餌に喰らいつく猫たちの旺盛な食欲と繁殖力が否応なく伝わってくる。

猫たちは魚によって新たな命を養い殖やす。魚は子猫の餌となり、未来へと命を繋ぐ糧として機能している。対して人間は魚を漁り、さばき、商い、干物や料理を作っても届け先は高齢者である。人間において魚は死に近づいた生命、すなわち過去へ連なる存在のもとへベクトルが向かっている。

しかし猫たちの繁殖は幸福に繋がるとは言えない。なぜなら彼らは全て人間に飼育されてはいない「野良ちゃん」だからである。野生動物でない彼らに路上は過酷な環境である。生後6か月にして繁殖可能な身体に成長し年に3回も出産可能という猫の繁殖スピードは、いずれ住民の給餌キャパを上回るだろう。猫たちが繋ごうとする未来の命に対して十分な受け皿はおそらくない。

作品の終盤、本編の案内役ともいえる女性がさばいて干した魚を知人に届けるためにカゴに入れて歩く。途中であちこちの家を指して「ここも空き家」とつぶやく。届け先のお宅は留守だった。その近隣もいずれ空き家となるだろう。魚は人間において徐々に届け先を失い、猫においては必ずしも幸福な未来に繋がらない命の糧となっている中、漁と商いの様子はただ食物を媒介に循環する命の厳かな過程を浮き彫りにする。

繁殖し命のサイクルを作る猫と、高齢化とともに共同体の規模とサイクルを縮小してゆく人間との鮮やかな対比を通して、カメラは生命連鎖の逆行をたどる。来たる命と逝く命が交差する場こそが港町なのだ。「生きて、死ぬ。死んで、生きる。」という本編のキャッチコピーはここに結実する。

さらに彼女は自ら情愛を注いできた「子どもを奪われた」経験を吐露する。彼女の叫びは社会的排除を被った者の、ひいては生命連鎖のループから外された者の叫びともいえる。カメラがそうしてたどり着くのは、食物をとおした生命の循環網から外れ/外されてゆく人間の姿であり、高齢社会の日本の縮図である。

魚のゆくえを軸に牛窓に住まう人々と猫の様子を映した本編は、生命の循環網および連鎖から外れた命の克明な描写といえるだろう。遠い祖先や過去へ向かう心のベクトルの下に人々は逆行する時間を生きている。未来の命に対する受け皿を失った土地で、海だけが変わらず波を寄せ返し、生死の行き交うこの世の時間を刻み続ける。

minatomachi-film.com

「同じ」子は二度といない

少し前だが、生命科学もここまで来たかと思うニュースが出た。

globe.asahi.com

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クローン技術によって死んだペットの複製を願う依頼が増えているという。この技術がより安価でたやすくアクセス可能になったら、あの世のペットを蘇らせたいと願う飼い主はどれくらいいるのだろう。
私も15年前に死んだ愛犬にもう一度会いたいが、しかしこの技術を使用して彼を複製したとしても決して同じ性格の犬ではないだろうと思う。
なぜなら故・愛犬は一度飼い主が変わっているからだ。彼の性格を形作ったのは前の飼い主とわが家の、それぞれの環境だろう。

今から20年ほど前、母が勤務先の常連さんから大型犬をもらわないかという話を受けた。聞けばその年7歳になる雄のマラミュートを飼っている知り合いが、高齢のためお子さんの家に引越すことになったがその家は犬を飼える環境ではなく、かつ身内の方が犬嫌いなため引き取り手を探しているらしい。これに母が同意した。当時県外へ単身赴任していた父は躊躇したが、母は私と弟がどうしても飼いたいと言い張ったことにして押切り、犬をその檻ごと迎えることになった。

犬は無駄吠えもせず大人しく見えたが、来て数日後に散歩中リードを思い切り引っ張って母を転ばせてしまった。また給餌のときも人間の指示を待たず食器にフードが入るやいなや凄い勢いで喰らいつき、散歩中に首輪が抜け興奮したまま走り出し、慌てて追いかけた弟がやっと捕まえる顛末もあった。

母は、前の飼い主宅から犬を連れて帰った日のあまりにあっさりした別れ際をいぶかしげに振り返るのだった。その朝前飼い主さんの「じゃ、よろしくお願いします」という挨拶と同時に犬はおとなしく母の車へ乗り込み、鳴くことも恋しがる所作も特にしなかったらしい。
べつに号泣せよとは言わないが、子犬から育てて7年も一緒に暮らしたならもっと別れの惜しみ様があったのではないか?
邪推だが、私たちは次のような推測もした。
―大型犬を飼ったはいいけど思いのほか世話が大変で、飼い主も歳をとりだんだんと手に負えなくなって手放したのではないか?

そこからイチからのしつけが始まった。食事はお座りとお手をして飼い主が許可を出してから。散歩のとき飼い主が主導権を持てるよう、広い場所で犬を引き飼い主のランダムな動きに合わせる訓練をした。食べ物をもらうとき、じれて吠えることがあったので即母が拳骨を食らわせてダメなことを教えた。
おおむね従順な子だったがやはり体格と力ゆえにあわやということは何度かあった。でも、わが家に馴染んでくれて近所の子どもたちにも人気の犬となった。

山道よりも若い人たちが行き交う街中の通りが好きだった。前の家ではコンクリートでできた車庫の敷地内に犬用の檻が置かれ、どちらかというと殺風景な景色を見て育ったからだろうか。人の賑わいに惹かれるようだった。

うちに来て5年目、わが家が近所の今の家へ引越したときに犬の居るスペースはグッと狭くなったけれど、大人しく住んでくれた。そして引き取って7年後の初夏に他界した。

愛犬の体細胞からクローンを作ったとして、全く同じ犬が育つだろうか。前の飼い主さんもわが家の家族もきっと愛犬には同じだけ影響を与えただろう。それぞれの家庭でしかるべき時に起きた出来事が一つでも欠けていたら、犬の性格はまた違ったものになっただろう。

先代と「同じ」ペットが欲しいと思う心理は再現された子が先代と同じ遺伝子をもつことを根拠としている。だがそれは本当に「同じ」子なのだろうか。

2011~2年のある日の朝日新聞天声人語」に、東日本大震災後の結婚機運の高まりが出生数上昇につながるなら震災で失われた数多の命の埋め合わせもできるといった内容の記事があった。(実際には結婚件数の増加には結びつかなかった。)

冗談ではない。亡くなった人たちとこれから生まれる子どもたちは全く別の存在である。子どもの数が増えたとしても亡くなった人たちと「同じ」なわけがない。あれは個々人の代替不可能性を無視した主張である。人でも動物でも、個々の置き換えのきかなさこそ不条理やかけがえのなさの根拠であるはずだ。

技術の進展は私たちの心理をときに置き去りにする。各人の同一性がはたして何を根拠としているのか、それは各人の幸福につながるものなのか。この世から居なくなった命を思うとき、ふり返らずにはいられない。

シュトレンの季節に

クリスマスがやってきた。SNSではシュトレンの画像がたくさん出回っている。アドベントを迎えてから毎朝一切れずつ食べていく慣習の、ドイツのクリスマス菓子である。
この数年で洋菓子店でもよく見かけるようになった。シュトレンを見ると、子ども時代のクリスマスを思い出す。

今から30年ほど前、私は公文式の教室に通っていた。今の住んでいる居住地区とは違うが、同じ地方都市内で小学4~5年生のときだった。
たしか公園敷地内の公民館1階を決まった曜日に借りていて、地区内の子どもたちが通っていた。そこが12月になるとちょっとした忘年会を兼ねてクリスマス会を開く。
先生は40代半ば位の女性で、たぶんご自身も家庭があり子どももいらしたのだと思う。
クリスマス会は少し変わったもので、教室内を折り紙の輪つなぎ等で飾り、公文式の教材で使っている外国の歌を流し、いくつかの島に寄せられた机の上には簡単な袋菓子のほかに玄米のおにぎりが並ぶ。先生手ずから拵えたものだった。
卓上には子どもの喜びそうな肉料理も並び、幾品かは先生の手作り総菜だった。談笑の合間に先生はメニューの説明をしてくれた。玄米のおにぎりも家で白米しか食べたことのない自分には珍しかったが、先生のお宅ではいつも玄米なのだという。
シュトレンというお菓子のことをそこでチラッと聞いたような気がする。ドイツにはこういうお菓子があるのだと。お祝い事のケーキといえば生クリームに苺の乗ったデコレーションケーキが一般的だった頃、それは意識的にも文化的にもあまりに遠い世界の話だった。
ゲームをし、たしか一人ずつ今年のふり返りを話し、場が盛り上がってきたところで先生はマンドリンを爪弾きドイツ語のリートを歌ってくださった。
先生はなぜかドイツ語が堪能だった。公文式には英語以外の外国語学習教材もあり、たまにその紹介を兼ねて読むこともあれば何か文学の一節やその時のように歌に口ずさむこともあった。

今思えばこの先生はかなり高い教養をお持ちで、しかし地方在住のためそれを満足に生かす場がなかったのではないだろうか。
ドイツ語がペラペラで、マンドリンが弾けて、遠い国の文化や教養に明るくて、食卓には心身に良い素材で献立をあつらえる―、子どもの頃にそういう人を身近に知ることができたのは貴重だった。インターネットはまだ普及しておらずSNSもなく、一般人が不特定多数に向けて発信する手段を持たなかった頃である。
私はそこでたんなる自己顕示欲とは全く異なる、自分が関わる子どもたちに「善いものに触れさせたい」という態度をじかに経験することができた。玄米おにぎりの味も、マンドリンの響きも覚えている。それは彼女が人生の歩みのうちに積み重ねた一片にほかならなかった。

この十年余り、SNSの発達で誰もがライフスタイルを人目にさらすことが簡単になった。ネットを開けば国内外の多彩なクリスマスの様子が見られる。国内のクリスマス製菓も種類豊富で、ヨーロッパだけでもあちこちの国のスイーツが売られるようになった。
そしてTwitterを開けば溢れているのは「シュトレン警察」である。この短文投稿サイト独自の芸風も、正しい情報提供の有難さも分かっていながら、虚実が複雑に混濁し影響を与え合う情報社会にあって外来の文化が一般化できるだけの時代の特性にはたしてどこまで思いが至っているのだろう。
ネットによる情報の受発信が不可欠となり、オンラインの交信が盛んになった現代になお残る、地方で経験できる文化的機会の絶対的な少なさをふり返るたびに、私はこの公文の先生が体現してくれた善良さを思い出すのだった。

老後の下地をつくる

 

 今年97歳になる父方の祖母は、昨年春に祖父を亡くしてから持ち家に一人で暮らしている。数年前から急速に足腰が弱ってはきたものの、市内にする叔母が毎日訪ねて朝食を買い届け、服薬管理をし、また週末は私の両親がおかずを作り届け、どうにか一人で過ごせている。

 どこのお宅もそうだろうが、この祖母も家の中にすさまじい量のモノを溜め込んでいて、祖父が亡くなる二週間前までは室内はほぼゴミ屋敷と化していた。数年がかりで叔母と父が片づけ掃除し、不用品処分を折を見てはコツコツ続けていたが、何しろ祖母は菓子・総菜のパッケージにいたるまで「捨てる」という発想をもたないうえに掃除を拒み、不用品を捨てようとすると怒り、ちまちましたペースではとても間に合わず、祖父の葬儀を出す直前にモノの断捨離を強行してやっと今数人が座れるスペースが確保できている。

 

 その祖母が身内の顔さえ見れば言い募るぼやきが「一人はつまらん、寂しい」なのだ。祖父が入退院を繰り返し施設で暮らすようになってから、彼女はずっと彼女の自宅で一人暮らしだった。でも叔母が毎朝夕訪ねては食事と服薬管理をし、買い物や病院に連れていき、手続き関係もすべて代行してくれていた。夫である叔父との時間も犠牲にしながら、である。彼女の子は皆県内居住だがそれぞれ家庭をもち、叔父夫婦には孫の世話もある。彼女の要望は身内が頻繁に自分を訪ねて世間話をし自分の嘆きを聞き、孫たちも同様にしてくれることらしい。が、それまで足の踏み場もなかった家でそんなことは不可能であり、孫たちも自分の家庭や仕事がある。かかりつけの整形外科で祖母の話を聞いた医師による「そんな方のためにデイサービスがありますよ」との提案や、介護職をやっている義理叔母の「うちの勤務先のデイサービスへ来たら?」という話には一切耳を貸さない彼女にどんな対策があるのだろう。

 

 加えて年金や保険関係の手続きにも無頓着になり、祖父の他界後に本来なら妻である彼女自身がすべき委任や手続きをぜんぶ子どもたちに投げてしまった。認知症なし、口達者であるにもかかわらず署名さえ「知らん、わからん」で当初は拒否の一手だった。(もともと子どもたちで何をどうするか分担と手順を決めていたので、適当になだめて手続きは遂行できたが。)

 

 そして、加齢であちこち衰えてからは娯楽の幅がかなり限定されてきた。若い頃から手芸が好きで、折り紙や布人形、編み物、広告紙を折って棒状にして編んだ籠や空き箱を利用した物入れなど作っては人にやったり家に飾ったりしていた祖母だが、今の視力と指先の動きはそれらの作業にこたえられないらしい。家じゅうにモノがあふれ、モノを捨てたがらない原因の一つにこの手芸制作がやりたい気持ちがあるのかもしれない。

 

 現在の祖母の要求はだいたいこうだ。

 

 デイサービスで気心の知れない他人と神経使いながら過ごすのはイヤ!

 住み慣れた家を離れるのもイヤ!

 家のモノを減らされたり置き場を変えられることもイヤ!

 たとえ便利でも新しいこと覚えるのはイヤ!

 自分が慣れ親しんだやり方でしか生活を回したくない!

 難しいことはしんどいからやりたくない!

 

 身の回りのことは身内に、とりわけ実の娘にやってほしい!

 なぜなら気兼ねがいらないからー。

 

言い分をまとめるとそんな感じになる。

 

 気持ちはわからんでもない。自分も新しいことに慣れるのは時間がかかるほうで、あと一ヶ月半で終わる現職も異業種未経験だったから初めての作業の連続で、「この歳でコレをやって何になるの?」という徒労感の払拭がいまもつきまとう。コロナ災害でリモートワーク他通信機器を用いたコミュニケーションスキルが労働や生活に不可欠となり、しかもツールやソフトは日々進歩するので自身の意識やスキルの更新がいたちごっこ...。

 

 でも、以前書いたように現代の「老後」はほぼ1世代分に匹敵する長さの時間であり、自分がどう過ごしたいかを自分であるていど明確に思い描いておく必要がある。

 

iwakibio.hatenablog.com

 

  仕事や家庭以外のつながりを、何でもいいから意識的に作ること。

テクノロジーに頼れば、物理的に移動が難しくなっても対面でなくとも他者と交信できること。

たやすいものしか受けつけないという姿勢をやめて、多少負荷がかかってしんどくても自分が有意義だと思うことをやり続けること。

 

 デジタルデバイスの使用、インターネットスキル、ソーシャルメディアへの参加、居住地以外の地域や国外に目を向けること、日本語以外の言語で情報を取ること、その他価値観のアップデートー。これらは時代を生き抜く術という以上に、今では快適な老後の下地作りなのだなあ、と自戒をこめて思う最近である。 

 

 

 

 

 

コロナ禍と職業差別

 2020年に話題にのぼった本にデヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』(岩波書店)がある。
ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論 | デヴィッド・グレーバー, 酒井 隆史, 芳賀 達彦, 森田 和樹 |本 | 通販 | Amazon

グレーバーの指摘は新自由主義下の労働を考えるにあたって的確な整理の一助となるだろう。だが2020年にわが国で起きたことをふり返ると、ブルシット・ジョブ等の語の半端な普及は、世にある仕事に対する安易で侮蔑的な腑分けが促進されはしないだろうか?

 新型コロナウイルスパンデミックがこの国で浮き彫りにしたことの一つは露骨な職業差別だった。約9ヶ月前、国内で感染者が増加し始めた頃にその原因たる場として ビュッフェ形式の食堂、居酒屋、屋形船、宿泊施設などいくつかの営業形態が名指しされ、それからライブハウス、劇場、コンサートホールなどが密閉・密接・密集に該当するとして休業を余儀なくされ、緊急事態宣言が出される前後には「夜の街」の風俗店が感染拡大の発生源とされた。それらの店を「自粛」させるあたって、当初満足な補償などなかった。

 一方で世間ではリモートワークが推奨され出した。オフィスに居合わせる人間を削減するために在宅でできる業務ならオンラインにシフトしようというわけ。ただこれも適用されるのが正社員のみで、非正規労働者は対象外という事例があちこちで指摘されている。何よりリモワできる業種職種はごく限られていて、外回りや現場系の仕事のばあいそれは不可能だ。そして忘れてはならないのが、リモワできる環境条件はリモワできない仕事を担う人々によって支えられていることだ。

 夏・秋に感染者数が減ってくると政府は旅行と外食を促した。GOTOキャンペーンである。観光業と飲食店の救済が目的とされたが、実際には大手旅行代理店やぐるなびと結びついた利権や中抜きの問題が指摘され税金を使って行う政策として公正が問われた。

このGOTOと感染者増加が無関係なはずがない。医療労働者はその間も感染拡大防止と感染者治療のために、必死に現場で奮闘していた。おそらく政府の無策によるひずみを最も被っているのは医療従事者である。巷でマスク不足だった時期にはPPEも十分に配布されず(大阪市では防護服の代わりに雨合羽の提供を市長が市民に呼びかけた)、危険手当はいまだ病院ごとに格差があり、慰労金はなかなか届かず、病院赤字によって夏冬のボーナスはカットされ、感染を防ぐため私生活に厳しい制約を課されている。これでは退職者が増えないほうが不思議だ。

で、今回一都三県に出された緊急事態宣言で憂き目を見ているのは飲食店である。夜8時以降の営業自粛の根拠は会食クラスターの頻出らしい。しかしウイルスは夜行性なのだろうか。外食は楽しみや贅沢だけでする「不要不急」の行為なのだろうか。たとえば営業や運輸、夜勤のある仕事など現場系労働の「外で働く人々」にとってイートインできる飲食店は不可欠のはずだ。そういう人たちが利用するのは決して「夜8時以降」だけではない。もし本当に飲食店利用が感染拡大源ならば、飲食店には補償を渡して休業させ、デリバリーや小売りを拡充して外に出ざるをえない人たちを支えるべきだろう。

 ざっとふり返っただけでも、職業や雇用形態が違えば人々がこのコロナ禍で見ている世界はそれぞれあまりにも異なる。補償のあり方や金額もカバーする対象が狭すぎるために同業者間にさえ分断をもたらしている。その陰で「あの仕事はブルシット、この仕事も不要不急」などとジャッジする姿勢が進んだら、この社会は本当に機能するのか?

 私が昨年忘れられなかった出来事に、炎上を招いた平田オリザ氏の発言がある。

https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2020/04/0422.html

製造業の場合は、景気が回復してきたら増産してたくさん作ってたくさん売ればいいですよね。でも私たちはそうはいかないんです。客席には数が限られてますから。製造業の場合は、景気が良くなったらたくさんものを作って売ればある程度損失は回復できる。

この後平田氏は発言をめぐって以下のサイトで返答しているが、製造業従事者への謝罪や理解はこの文章には入っていない。

主宰からの定期便|平田オリザ|青年団公式ホームページ

社会維持のために、文化政策にはより手厚い資金投入と擁護が必要だと私は考える。演劇をはじめ「不要不急」扱いされたあらゆる文化活動に対してである。だが、平田氏の発言・態度が招く帰結は異なる業・職種間の序列化と分断だけだろう。それは社会階級にもとづく文化資本の序列化と連動し、かつ強い政治性をもつ。かつて、活字の本は文化だがマンガは子どもの学びを阻害する有害な娯楽と言われた時代があった。こんな発言の延長上にはそれと同じことが文化活動をめぐって起きかねない。

エッセンシャル、ブルシット、不要不急―、職業をめぐって「上から目線」で補償対象の線引きをしたり、対象に含めたり排除したり、方向性のまちがった感謝の提示がなされたり(医療従事者を称えたブルーインパルスや電飾、感謝のお手紙など)、文化の成熟とは程遠い社会のありようが露呈した一年だった。今年は各人が従事する活動のちがいをふまえて真の連帯を作っていきたい。

乳牛と労働者~『家族を想うとき』にみるケアのゆくえ

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ケン・ローチ監督『家族を想うとき』(原題 Sorry Missed You)は、グローバル資本主義下に台頭したギグ・エコノミーの労働問題と、不安定雇用に揺さぶられる家族のゆくえが中心的論点とされてきた。物語は不安定な生活から脱してマイホームの購入をめざしフランチャイズの宅配ドライバーとして独立した一家の父・リッキーと、その家族の様子を描く。ただし本編を貫く問題の場は家族にとどまらない。GAFAに代表されるICTシステムに覆われた資本趨勢のなかを生きる個々人のケアはいったい誰が担うのか。これが本編に終始伏在するテーマである。

1.高齢者、障碍者のケア

本編でリッキーの妻・アビーが訪問介護の職に就いていることは決して設定上の偶然ではない。アビーが日々関わるのは、自力で身の回りのことができず日常生活に他者からのケアを必要とする高齢者や障害者である。人は生きるために日々ケアを必要とする。かつて家事、育児、介護などのケアや再生産領域の活動はほぼ家族が全面的に担ってきた。だが資本主義の進展、福祉国家の確立と解体を経て、ケアの負担は家族・国家・市場いずれの領域においても脆弱化した。その矛盾が鮮烈に現われるのは、物理的に自分で自分の身の回りのことができない障害者や高齢者、子どもにおいてである。
細分化された業務スケジュールの中パートタイムの介護福祉士として働く彼女は、細分化された業務スケジュールの中より良いケアを提供しようと腐心する。しかしリッキーがドライバー業務に必要なバンを買おうと唯一の財産だった自家用車を売却したために、彼女は訪問先までバスを乗り継ぎ業務に必要な移動に膨大な時間と費用がかかるようになってしまった。雇用先はこの交通費も労働コストとして反映させず、利用者に汚された服の着替えさえ負担しない。かくして彼女は以前より自分の家庭に居る時間を削られることになる。
もちろんケアは身体介護のみを指していない。むしろ精神・感情面の配慮を中心としたやりとりがケアを受ける側にとって不可欠であることが作品中たびたび出てくる。アビーは介護者の手を焼かせる利用者について上司にこう叫ぶ。
「彼女は問題のある利用者じゃない、繊細なケアが必要な人なの!」
「繊細なケア」を必要とするのは介護サービス利用者だけではない。アビーらの子どもたちもまたティーンズとして様々なケアを欲している。

2.思春期の子どもたちのケア

多感で難しい時期にある16歳の息子・セブは学校で次々に問題を起こす。とはいえそれらは思春期特有の社会や大人に対する疑問にもとづく行動で、保護者役割をもつ大人がその都度向き合ってやればよいだけにも見える。物理的なケアが世話の大半を占める乳幼児とちがい、10代の若者に必要なのは精神面でのケアであり対話である。ときに対峙する壁となり、ときにフォローする役目を果たし寄り添うことが要求される。だが両親はそれぞれの仕事が忙しく十分にその時間が取れない。セブの態度に苛立ったリッキーは思わず彼を怒鳴ってしまう。そして学校側は保護者を呼び出しルールと厳罰で対応し、セブはとうとう警察に引き渡される。セブを補導した警官の言葉が印象深い。
「君には心配してくれる立派な家族がいるんだ。」
この立派な家族を悲しませないよう君はまっとうな道を歩まねばならない―、警官はそのように諭すが、日々の労働に追われるリッキーとアビーはもはやそのキャパシティを失いつつある。
久々に家族で食卓を囲む休日の夜さえ、アビーには勤務先から非番の呼び出しが入る。ある利用者が親戚の結婚式から帰宅したもののトイレ介助をする者がおらず下着を汚してしまったという。冠婚葬祭という非日常の場に家族が集まることはできても日常生活の場でケアを提供する人はいない。利用者の家族もそれぞれ生活があり、ケアを家族だけで抱えこむことができないゆえにこの高齢女性は訪問介護を受けている。家族の外部がケアを担うことができるように整えたシステムがまさにアビーの従事する訪問介護事業だが、市場化されたケアサービスは利用者の生活を十分包摂することはできない。そればかりかケアを提供する労働者がその家族と集うこともこの働き方は難しくする。呼び出されるアビーは自分の家族との時間を犠牲にして利用者のもとへ駆けつけている。
このようにケアをめぐるひずみは、ケアの全面的な担い手であった家族においてより顕著に現れる。行き届いたケアへの切望は、本編中において過去や現在の家族に対する思いとして頻出する。この意味で『家族を想うとき』という評判の悪い邦題はあながち的外れとはいえない。


3.乳牛のたとえ

セブのことに心を痛め対処するために仕事を休ませてほしいと頼むリッキーを、管理職・マロニーは突き放す。「私的な事情だと?俺はお前のカウンセラーか?」従業員の家族が重病で倒れても、従業員自身が心身の危機に陥っても、それらは彼にとって業務上の配慮の対象ではない。従業員のプライベートへの配慮は自分の仕事ではない、いわば自己責任で処理しろと言うのだ。
 休まず働くことについて象徴的なマロニーの台詞がある。
「俺の親父は乳牛を飼っていたが一日も世話を休まなかった。」
それは家畜が財産であり生活の糧およびその源泉であり、世話をしなければ死ぬ存在だからだ。ひるがえって現代の労働者―少なくとも彼のもとで働く者たち―はいつでも代替可能な労働力にすぎず、家畜ほどのケアさえ受けられず働かされている。
何よりマロニーの言う乳牛の世話は、厳格な家父長制による支配の行き届いた家族構成員の無償労働によって成り立っていたはずだ。そこにはケアの手間と時間と細心の注意に伴う心労も含まれる。そうした家族が生きていくための有形無形の社会的バッファは、福祉国家の盛期には制度によってその一部が担われる一方、大半は私的領域やコミュニティのインフォーマルな慣習に埋め込まれていた。そしてこのケア労働は、家父長制下の家長および資本制下の経営者層にとってあたかも無尽蔵の天然資源のようにみなされ、あえて意識されることさえなかった。この台詞は、かつて労働環境と処遇の改善を訴える保育士たちに対して「お母さんには休日はない」と一蹴した園長を彷彿とさせる(山森亮ベーシック・インカム』光文社、2009)。


4.私たちは自分の世話さえできない

上記のような過酷な労働環境に日々晒されるリッキーは思わずアビーにこぼす。「俺のこともケアしてくれ」。だがリッキーの選んだ働き方は、労働者を食事・睡眠・排泄といった自らの身体ケアさえ安心してできない環境に追い立てる。作品冒頭でリッキーが熟練ドライバーから車内に常備するよう助言される空のペットボトルが、なぜ配達員にとって不可欠の持ち物なのか。それは本編を観ればわかる。それを使うとき配達員は最も無防備かつ危険な状態にさらされる。業務中のドライバーは、自分で自分の世話すらできない。私たちはいまや社会的再生産やエネルギー補填のための時間さえも資本制に奪われている。
 ここからわかるのは、市場を支える膨大な非市場領域の危機である。資本蓄積は無償でなされる様々な再生産活動から成り立つ。細分化した勤務時間で極限まで働く労働者の心身の健康を支えるのは、家庭を含めた非市場領域の営為である。市場原理の存続を支えているのは無数の膨大な非市場領域(自然資源を含む)にほかならない。家族やケアをめぐる物語を軸に進む本編で浮かび上がるのは、労働者として分断され、自らの心身ケアの負担を家族と分かち合うこともできず、孤立する人々の姿である。

何月何日であろうと

 とうとう通勤路のそば屋に「年越しそばご予約承ります」の看板が出た。最近朝が遅くなりがちで自転車をすっ飛ばして職場へ急ぐのだがそんな朝に「ああ来たか…」と胸に迫るものがある。

 

 先が見えない人間にとって暦は想像以上に心身を追い詰める。世の中にはたくさん期限や締切があって、求人応募(年齢制限もある)、コンペの締切、仕事の納期、予算・見積もり・決算の時期、雇用の契約期間、家賃の支払い期限ー。社会の中で生活するからにはそれも仕方ないのだが、世間にはインフォーマルな、慣習にもとづく不文律のデッドラインも多くある。「何歳までに〜しなくてはならない」の類がそれで、たとえば30歳までに「きちんとした」仕事に就いて、結婚して、子どもをもうけて…と今ではごく限られた条件でしか成り立たなくなった、高度経済成長期の標準的ライフコースを前提にしか人生を考えられない見ようによっては哀れな常識を振りかざす人々はいまだにいる。

 

 私は「特別な日」にこだわるのが嫌いだ。冠婚葬祭、記念日など非日常の行事に振り回されて日常生活が疎かになるくらいならやらない方がまし、と思ってしまう。とくに年末年始、ただ年が変わるからと言って焦燥に駆られ意味もなくバタバタ動き、しかもその気持ちや行動を他人にも強要する輩がいる。

 

 あれは2008年末〜09年始の冬だった。私は当時住んでいた北日本から年末に地元へ帰省し実家で過ごしていた。進路が行き詰まってどうしようか追い詰められていた時で、しかも帰省前までひどい風邪で寝込んだあとだった。両親はともに年末年始がかき入れ時の仕事に就いていて、家の中は殺伐としていた。

 

 母の勤めていた飲食店はだいたい12/28〜31までは戦争のような忙しさで、ほぼ徹夜に近いシフトの合間に家へは仮眠をとりに帰るだけだ。父も12月後半から大詰めを迎え元日から出勤せねばならず、遅く帰宅しては、いびきをかいて眠る母を起こさぬよう別室で自分のシャツにアイロンがけをしている。

 

 そんな状態でも正月準備は人並みにやらなければならない!という家だった。夜行バスを乗り継いで帰宅した私を待っていたのは年一度しか使わない餅つき器とバケツに何杯も水漬けされた餅米である。ふだん住んでない家のどこに何があるかも分からぬまま餅をついて丸めるよう命じられた私は、不器用なので当然うまくいかない。機械に入ってる餅米を蒸しながらこねるための刃をべとべとに汚してしまい、これをお湯に浸けてほとびれるのを待つ。

 

 テレビからは年越し派遣村の様子が流れてくる。リーマンショックの影響で年末に仕事を切られ、住まいも失った人たちへの支援活動である。この先仕事が決まらなければ自分にとって他人事ではないこの光景を横目に、母は私を詰りつける。離れて暮らすだけに一年分溜まった心配と不安を叩きつけられながら、自分も

「あと数時間で年が終わる、年を越せなかったらどうしよう」と根拠のない不安に駆られたものだ。

 

 そうこうしてるうちに関西に住んでた弟が帰ってきた。着く早々お節料理を何品か作ることと餅つきを終えることを命じられた弟は私より器用なのでさくさく作業を進めていく。

 

 とりあえず元日の朝起きてみると、台所には父がかじったトーストの残りが放置され、弟は餅とり粉にまみれた手や服のままソファに転がって寝ている。泥のように眠り続けると思われたと母は起き出して、神がかりのような状態で母は巻寿司を作りだす(この地域では正月に寿司を食べる習慣がある)。県内に住む祖父母宅へ年始伺いの土産にするためだ。そうしてとにかく正月という「大事な節目」にふさわしいタスクにぶん回されて年始が過ぎていった。

 

 たしかその1月に発売されたビッグイシュー日本版の号だったと思う。「エモ!言われん」という連載の四コマ漫画にとても慰められた。「初日の出は見ましたか?」という問いかけで始まった漫画は

 

「何月何日であろうと/日が昇り沈むことに変わりはないのに」

 

という台詞で締めくくられる。

 

 派遣村に集まった人たち、仕事や住まいを失って路上へ出た人たちに目線を合わせてきた雑誌だからこそそう思えたのだろう。

 

 何月何日だろうとその日を生きる尊さに変わりはないし、各人が日々を大切に生きられるために、政治行動や社会保障はある。会計年度や司法年度の区分、諸々の制度はしょせん国や市場が、人間が定めた区切りにすぎない。暦やデッドラインに追い詰められそうな時、たびたび私はこの台詞を思い返すことにしている。