いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

それぞれのセカンドキャリア

 年度末につき、周囲では人員の出入りが知らされ始めた。現職でも家族の職場でもとりわけ印象深いのは、定年退職の手前で早期退職し、かねてから暖めてきた第二のステージを歩みだす人たちだ。

 

 一人は、若い頃からの夢だった農業を山間部の一軒家で始めるそうだ。この20年ほどもてはやされた新規就農や移住支援をうたう支援策も横目に見ながら、月イチ〜週末に現地へ通い、地域でつながりを作り、農地を借り、販路の見通しもつけたという。

 

 いま一人は、ひとり親として頑張ってきたが子どもが独立し自分の未来を考えたとき大好きな料理の技術を生かしてお店を開く、という選択をした方である。長年飲食店のパートで働いてきたが、60歳を過ぎると賃金ガタ落ち・それも65歳で終わりという展望のない働き方ではなく、体力の続く限り自分でお店をやりたいとのご判断から、自宅を改装し店舗調理場として小さなお弁当&お惣菜屋さんを始めた。

 

 

 いずれも、けっこうな準備期間があった。お弁当屋さんの方は、一年半ほど前からたしか週末だけ開けて、お客さんの入りやメニューの反応を見つつ、平日はパートを続けていた。農業をやる方も、長年家庭菜園で試行錯誤し、実際に実現に向けて動き出したのはこの三年ほどだという。

 

 資金繰りや採算合わせ、先の見通し、不安定な経済、自分の体力、家族や周囲との折り合い、ダメだった場合どうするかー。懸念は尽きないだろうし、リスクは次々と湧いてくる。それでもご本人たちは踏み切ったのだけれど、残念ながらそれを良く思わない人も周囲にはいる。

 

 妬みもあるんやろうなあ、と農業の人は言う。ご自身の選択を周囲に告げたとき、褒めるせよ貶すにせよ何らかの嫉妬心が多くの中年男性にはあるとその人は感じたらしい。

 

 自分もやりたいことがあった、だが家族と生活のために下げなくてもいい頭を下げて、組織に従って勤めを続けながら今に至る、それなのにアイツは好き勝手をしているー。

 

 こういう感情は歳をとっても尾を引くらしい。そして何かの折に胸中にしまっておいた忸怩たる思いは頭をもたげ、酒の席などで時として意外な発言として口にのぼる。

 

 無責任、という言葉を吐く人もいた。それは今勤めている組織に対してであるだろうが、しかしそう言う人が組織の未来を考えながら働いているとはあんまり思えないところが面白い。

 

 もちろん、リスクはある。

 FTAで日本の農業は壊滅的な痛手を受けるだろう。

 高齢女性が一人で飲食店を切り盛りするのは歳を経るにつれ厳しいだろう。

 経営する側の体力以上に、買い支える消費者の側が高齢化と貧困化でまともな食を口にするのが難しくなる時代である。

 

 でも、これだけは言える。

 

 どんなに資金や時間、体力が潤沢に与えられたとしても、人間は望まないことをわざわざ行動に移さない。逆にはたから見てどんなに危険に見えることでも、本人が望むならその人はそれを選ぶ。意志あるところに道はあり、とはこのことだなあとこの人たちを見ながら思う。

 

 ともあれ、年金制度の解体等々で定年退職という制度じたいがあんまり機能しなくなる労働環境が迫っている。内需は減る一方でガラパゴス化するこの列島で各々が問うべきことは、

どうすれば自分の納得いく生き方ができるか?である。年度の変わり目に新たなステージを歩む人たちに、心から声援を送りたい。