いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

わが手に、わが台所に

  足のケガで旅行に行けなかった昨年の夏、頻繁にアクセスしたのが日本から海外へ移住した方々のSNSだった。わけても印象的だったのは、7年前にご夫婦でタイ・バンコクへ移住した方のブログサイトで、街の様子や生活様式のちがい、夫婦のやりとりなどが漫画とエッセイで綴られている。とりわけ興味深いのは食生活のことで、町の屋台や食堂で何でも食べられて、ご自宅で自炊することはほとんどない、という件だった。

 

 まず外には屋台、出来合いのおかずを売る店がたくさんあって、それも1回分から買える。メニューには辛味・酸味で味付けした火を通した野菜のおかず、切った果物が豊富で、選び方に気を付ければ栄養が偏ることもな無さそうだ。ご飯のおかずになる献立もある。食堂やフードコートも充実しており、外で食べることも多いという。

 またご自宅のキッチン設備もあまりに簡素で、そもそも自炊を想定していないともいえる造りで、調理用具も揃えていない。それでも周囲の飲食環境が上述のため不便は感じず、お子さんなしのご夫婦二人きりの生活には十分足りているという。

 

 もちろんタイの人たちが全く自炊しないわけではないだろう。とはいえ子連れで同じくタイへ移住した方のサイトを見ると、お手伝いさんを雇って働く間家事をお任せするほか、外食も頻繁になさり、しかもとても安い。

 

 都市では条件が整えばこんなこともできるのだなあと感心した。

 

 おそらく、明らかに衛生上の理由もあると思う。蒸し暑い土地では持ち帰りの道中が遠いと中食が傷むかもしれない。何でもかんでも自宅に持ち帰って置いておくのは決して合理的ではない。入手した食材を保存しておくには存外コストがかかるものだ。スペースの確保、温度湿度の管理、賞味・消費期限を覚えて気にしながらアシの速いものから料理して片付けるー。

 

 それだけでも大変で、かなりの頭脳と神経を使うのに、食材によってはそれ一品ではおかずにならないものもある。それを食べるために他の食材を買い足して日々献立を繰り回す。平昼9時5時の労働者ならまだしも、不規則勤務や夜勤のある仕事の人にそういうことがどれだけ過酷で労力を奪うことか、考えずにはいられない。

 

 日本の夏はこの二十年間で過去とは比較にならない酷暑となった。もともとの高温多湿に加えて、気温はありえないくらい上がったのだ。それなのに家庭での食や調理のスタイル、とくに弁当の慣習は古いままである。この2年間で公立学校の冷房設備はだいぶ整ったみたいだが、それより前は冷房もない教室に炊いた米の弁当を持って人の密集した閉鎖空間で過ごすなど、考えると恐ろしい。

 

 加えて日本には何でも家庭で囲い込むのが愛情だという思い込みと規範があるようだ。とくに食事はわが家に!わが手で!意地でもいちど自宅に持ち込んで、母・妻の手から食べたい・食べさせたいー。そんなこだわりとそうさせる圧力が日本社会にはある。これもまた私的領域への囲い込みといえるかもしれない。

 

 適正な市場化と共同化が進めば、どちらも家事を家庭内での抱え込みから解放できるのになあ、と考えさせられるサイトだった。