母方の祖母が他界して2年半が経つ。
祖母が住んでいた家は今空き家だが、近くに住む叔母が庭や部屋の掃除を頻繁にしている。生前のこまめな手入れのせいか古いわりに内装はきれいで、法事をそこで行うこともあって電気・ガス・水道も通してある。ただ、経費はとてもかかる。
そんな折、叔母の知人が週イチでこの家の一部を借りることになった。山奥の少し辺鄙な場所で雑貨屋を営んでいたこの方は、もっと交通が便利で客の出入りがしやすい立地の店舗を探していたのだという。そこへ、大きな道路沿いにあり周辺に家も店もたくさんあるこの祖母宅が空き家であることを知った。叔母と相談して客間にしていた和室2部屋を日曜日だけ雑貨屋として開放し、部屋や廊下の掃除をするなどの取り決めでなんと月5千円の賃料で借りることになった。そうして1月から雑貨屋はスタートした。
写真は年末に撮ったその一部。
同じ頃、母の友人の友人が、亡くなったご両親が住んでいた古民家を人の集まる場所として開放するようになった。元は学校教員を務めていたというこの方のネットワークで楽器の演奏、趣味で制作した絵画や小物の展示、合唱やヨガ教室の開催を単発で行っているという。母もこの友人のお誘いで小さな文化祭に参加してきた。以外にも3、40代の方が多く集まり、活況を呈したそうだ。賃料はやはり度外視しているそう。儲けることが目的ではなく、商売で貸すとなれば採算をとるために色々人間関係に制約がかかるからだという。
空き家問題は今後ますます身近になるだろう。高齢の親が不用品を溜めに溜めたゴミ屋敷同然の家屋ばかりではない。愛着はある、手入れも行き届いている、でも現役世代が子連れで住むには手狭だったり不適切だったり、子世代には別の住環境と生活があってその家には住めないー。こんな空き家もあるはずだ。更地にすれば税金がハネ上がる、解体費用ももったいない、住めない・売れない・貸せない空き家たち。
そんな中、どうにか活用のヒントとなるのは家を「人のつながりの中に置く」ことだろうと考える。
「ポツンと一軒家」という人気番組を思い出す。この番組がなぜ人気なのか、すでに考察が多々あるけれど
「ポツンと一軒家」が視聴者を釘付けにし続ける理由(高堀 冬彦) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
『ポツンと一軒家』、視聴率20%超え!“圧倒的” な支持を集める理由 | 週刊女性PRIME
やはりそこに「人間の物語」があるからだろう。
(ちなみにテレビをお持ちでない方も、アマゾンプライムでこの番組を視聴できる)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07MY3TM89
一軒家に住まう・関わる人の事情も、田舎暮らしを望んで自らやって来た人もいれば、お堂や寺社仏閣を守るため、お墓があるから、亡くなった家の主にとても良くしてもらったからなど多彩である。
そこに共通するのは、彼/彼女らはどんなに辺鄙で物理的に隔絶されたように見える場所に住んでいても、必ずしも社会的に孤立しているとは言えないことだ。
皆、各々の社会的・個人的ネットワークの中で生きている。
お墓やお堂を大切に思い守ることは、特定の社会的文化的文脈における意味・価値の現れである。
関わった人との遺志を継ぐためや、その人の思い出ゆえに生きることも個人的つながりの中でこそ意味をもつことだ。
そこに人が集うなら、家は人間の営為や物語の中に置かれ、命を吹き返すのだ。