いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

私の眺望点

祝福を。

四国内の他県では平野部でも積雪があるのに地元には(少なくとも私が住んでいる街中では)なかった。寒波のなか、ぶじマラソン大会を終えたようです。

つくづく街中は災害や厳しい気候とはかけ離れた地なのだなと思う。諸事情でチャリ通を続けている身としてはとてもありがたい風土である。が、私の置かれた状況はきわめて煮詰まりやすいことを自覚してしすぎることはない。もともと窮屈に感じていた土地で、家族と同居し、吐き出す場もろくになく、仕事もチームワークが中心で、自分の選択や決断で動く余地、自分の裁量でできることの範囲が驚くほど少ないからだ。

もちろん自分が幸運なことは自覚している。だが煮詰まったり気持ちが追い詰められたりした時、恵まれているがゆえに自分が抱いているしんどさやマイナスの感情を認めることができず、自分で自分を抑圧して小さな不満を重ねて気づけば頑なに周囲を拒否したままの硬直した態度をとることになりかねない。


家でも職場でもない場。ともすれば狭くなりがちな視界をズームアウトし、自分の境遇を相対化するにはそういう場所が必要なのだ。退勤後、自宅へ帰り着くまでに本屋やカフェへ立ち寄り一拍置く人の心境がよくわかる。


そう書きながら、家庭を運営している人は、子育てや介護をやりながら働いてる人はもっと大変なのだそもそも自分の時間などないのだ!という叫びが想像できる。しかしそうやってより困難な状況に基準をシフトさせていくとただQOLの引き下げだけが待ち受ける。

一瞬でも数分でも十数分でも!自分を遠くから省察して眺めたり、自ら段取りを立て決める時間をもとうではないか。人手不足と高齢社会と貧困の時代にあって、あらゆる技術は個々人が生きる時間の采配を自分仕様にするためにあると考える。

週末、久々に郊外へ出た。麦畑はまだ伸びていなかった。それでも畑には彩りが様々にある。

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なんとか年度末を乗り越え新たなフェーズへ行きたい。