いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

コロナ禍、忘れてはいけないこと

インフルエンザの蔓延で学級閉鎖や学年閉鎖が相次いでいるらしい。

当然だろうと思う。

季節外れなのになんで…?と首をひねる向きもあるが、コロナ禍の約3年間学校や人の集まる場ではマスク着用と手洗い、換気、間隔空けがほぼ徹底されていたのを一気に緩め、マスクすら自己判断にしたのだから。

 

新型コロナは5月8日から5類感染症となった。これに伴って県ごとの日々の感染者数を追うことは不可能になり、以前のように厳重な感染対策はたとえ大勢が集まる場でもとらないケースが増えていった。

 

その結果、コロナ以外の感染症が大流行したのだろう。のみならずコロナも。ネットやSNSを見ると第9波はすでに拡大しつつあるらしい。

 

 

GWが過ぎてひと月半経つ今、観光地や飲食店には客足が戻り始めている。

それはとても良いことなのだが、なんだか凄く後ろめたい。

 

なぜなら2020年、コロナ禍真っ最中のしかしコロナ対策がまだ手探りだった頃、感染予防のために「不要不急」という言葉が巷のあちこちに飛び交っていたのを思い出すからだ。

 

ー不要不急の外出はやめましょう。

そんな呼びかけだった。

 

むろん接触感染やエアルゾル感染の防止が目的ではあったが、この「不要不急」のカテゴリーには明らかに観光業や飲食業が放り込まれる傾向があったと思う。

 

GOTO支援への批判の延長もあり、

 

ーこんな時期に旅行に行くなんて。

ーこんな時に店内でイートインなんて。

 

と旅行や外食をする人々に対して冷ややかな視線が向けられた。

 

前にも書いたが、コロナ禍は露骨な職業差別を可視化した。

 

性風俗業には給付金を渡さないという方針があった。

県外から来た人や、県をまたいで移動する長距離ドライバー、その家族への差別があった。

 

一般の生活者はもちろん、医療従事者がマスクすら手に入らない時期があった。

 

医療従事者は病院内で必死の防護をしながら業務に尽力したにもかかわらず、決して大切に扱われたわけではなかった。

感染の可能性が高いゆえに買い物や移動先で入店を拒まれるケースがあった。

 

ブルーインパルスを飛ばしても、賃金や休息など適切な処遇改善はなされなかった。

 

この時期、グレーバーの『ブルシット・ジョブ』という著書が話題となった時期と相まって、エッセンシャルワーカーの権利回復も叫ばれた。

 

でも「エッセンシャル」と「ブルシット」って本で書かれたようにハッキリ分けられるものなんだろうか。

 

GOTOはたしかに大手業者と経済的に余裕のある層にしかメリットは無かった。

 

しかしそれは全ての観光、外食産業が有事の際に否定される根拠にはならないだろう。

 

地元の温泉街はいま活況を取り戻しつつあって、週末は人力車の引き手と会話を弾ませたり、浴衣姿で商店街を歩いたり、いくつか点在する足湯でくつろいだりする観光客の様子があちこちに見られる。

 

ここに観光客として来てくれる人たちは、普段どんな仕事や生活をしているのだろう。

 

決して手放しでは喜べない観光地の賑わいも、訪れる人たちがもしかしたら長く抑圧された日常から束の間の解放を味わっているならば、せめて心から楽しんで心身を休める機会にしてほしい、と思うのだった。