いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

地の利と行動力

 このブログではもう何回も書いていると思うが、いま住んでいる地元は県外とくに四国外とのアクセスが非常に難しい。決して僻地ではなく、暮らすぶんには地方都市の中ではまずまず便利なほうなのだが、四国外へ出るときはいわば遠征プラン、メイン行動の予定時間によっては泊りがけの日程を組まなければならない。これがめんどくさい。あれこれ悩み段取りを立てる心労が負のコストである。

 

 かつて、東北の都市に住んでいた頃はそうではなかった。金曜夜に残業して翌朝7時の高速バスで新潟まで日帰り旅をしたり、8時前後の新幹線で東京へこれも日帰りしたり、夏休みには長野へ小旅行したり、泊まりがけ旅行も格安高速バスを使ってあちこち出かけた。東京までは各駅の新幹線で2時間少々。高速バスも色んな会社から頻繁に出ている。それらを利用すればどこでも行けた。今より貧しく稼ぎも少なかったが、居住区に閉じ込められているような閉塞感はあまり感じなかった。その気になれば短時間でどこでも行けるからだ。

 

 自分には行動力があると思っていた。県外で(だいたい首都圏か他の大都市圏)就活するのも今ほどハードルが高くはなかった。げんに時間ができたら映画や展覧会や集まりへサッと出かけてきた。動き回ることで、自分の未来を拓いてきたつもりだった。

 

あれは、地の利が味方していただけなのだ。新幹線が通っていて、陸路が発達して、その前に本州だから首都圏や他の大都市圏とも地続きで居られた。居住地の市内は冬に積雪も路面凍結もありバス文化に慣れるのも大変だったが、中心街に住んでいたせいかだいたい生活物資には困らない。原付も乗ってたし、今思うと冬さえ攻略すればあとの季節は自分の優先順位で暮らせた。

 

  今はそうではない。

 

 橋を渡るのにけっこうな額がかかる。岡山や神戸あたりは高速バスはあっても本数は限られている。泊りがけ旅行は早くから段取りを決めて申込が要る。思いつきで遠出、滑り込みで展覧会へ行ってきましたなんてことはできない。

 

 それが四国へ住むということだ。

 

 同じことをするにも、大都市(とくに首都圏)と地方ではかかるコストが違う。後者は前者の数倍ほど時間・金・体力・段取りが要る。その交通費を稼ぐのも地方の賃金は安く容易ではない。最寄駅や主要駅へ行くまでに時間や金がかかる。

 

 これが格差なのだろう。最低賃金を全国一律にするのはそれを正す第一歩にすぎない。失われた三十年と構造改革が壊してきた文化的情報・インフラを再整備するまでには、この辺りから始めなければならないのだ。

 

 

名前のつかない困難

 足指骨折後20日目にして、添え木を外すことができた。まだ完治はしていないので飛んだら跳ねたり自転車に乗ったりはできない。モーラステープを使用したので1ヶ月は患部を日光に当てないよう注意だ。

 

 嬉しかったのは、入浴で患部を濡らす許可をもらったこと。つまりふつうにお風呂に入れるのだ。まだつま先へ体重をかけたり何かの拍子に右足に重心がかかったりすると痛むため、恐る恐るではあったが、昨夜はさっそくギプスカバーなしで入浴した。ぎこちない動作ながら、ふつうに髪と体を洗い湯船にも浸かれた。

 

 有り難い。しかし回復して添え木を外すと、今度は何を履くかが問題となる。光線過敏症を避けるため、薄い靴下を着用後にサンダルを履くのも心もとない。だいいちあれは添え木で膨らんだ部分を固定できるよう大きめサイズを買ったのであって、ベルト穴とバックルで調節できるにせよ足に合ったサイズではない。いつものスニーカーは履けたけど、長く歩くと圧迫が心配だ。何より、外から見てまったくふつうに戻ってしまうと誰も私を足をケガした人とは見ないだろう。人混みで押されたり踏まれたりする恐れがある。

 

 以前見た、脊柱間狭窄を患った方のSNS投稿を思い出す。道を歩くことや電車の中で立っているのは死ぬほど辛いが、自転車には乗れる、車も運転できると書かれている。すごく意外だった。車はまだしも、歩けないほど足腰が辛いのに自転車は乗れる…?どういうこと!?と。

 

 でも今ならわかる。病気やケガで、何ができて何ができないかはまったく人それぞれなのだ。それらは病状と回復の段階と、とりまく環境(室内外の道の形状、どんなバリアがあるか)によって、困難も必要なサポートの種類も変わってくる。だから、「あの人は立って歩けるのに車椅子使うなんておかしい」などの非難はつくづく的外れでバカげている。

 

 私の場合、危ないのは外よりむしろ家の中だった。フローリングに1枚敷かれたじゅうたんの段差が引っかかりの元になる。スリッパの着脱がいちいちめんどうでストレスがかかる。洗濯物を干そうとベランダの窓を開けて敷居をまたぐのがしんどい。 手前に置かれたモノやゴミをちょっとよけるとか、ちょっと体を伸ばして拾うとか、その「ちょっと」の動作ができない。無理してやって別の部位を傷めるほうが怖い。

 

 日本の戸建て室内ってこんなに障害物だらけだっけ?フローリング、マット、じゅうたん、タタミと足場が何種類もあるってそれだけで掃除が大変だし、部屋によってはいちいち履物を履き替える。こんなんで高齢社会って怖くないか。もともとが足腰の弱った人に使いづらい家の仕様なのに、高齢者が一戸建てを管理するなどすぐに限界がくる。日本の家は買った瞬間価値が下がり始め、リフォームに多額の金がかかり、いまや持ち家は資産ではなく負債となる。

 

  今回の足のケガで、体が思うように動かない人の困難は、決して個人の身体のみに起因できないことを思い知らされた。環境要因もおそろしく多い。バリアフリーユニバーサルデザインを普及させるのはもちろんとして、そのはるか手前の、みんなが毎日やってる家事や日常の身辺ケアの手間が浮き彫りになった。

 

 その大半が、名前のついた行為をする前のセッティングである。洗面所へ行くために階段を降りる、ドアを開ける、歯ブラシや化粧具を置いた棚の扉を開ける。入浴は濡れたギプスカバーを受けるための新聞紙とビニル袋を広げるところから。とくに家事はただでさえワンタッチでできるものが少ない。料理をする前に流しと食器カゴを片付ける方がストレスフルだ。名前のついた行為の前にやる、名前のないセッティング、さまざまな膨大な手間と手順、名前のない困難。

 身体が不自由になると、それらが細分化され、一つ一つがハードルとなって立ち現れる。それも同じ病名や症状名に共通の困難ではなく、同じ建物で一つ部屋を変わるだけで質の違う困難がそのつど現れるのだ。こうして日常生活の、当たり前の身辺ケアにおいて心理的ハードルがどんどん上がる。

 

 私たちは、身の回りに置く物やその配置、動線をよく吟味しなければならない。大量生産大量消費のシステムはもう経済成長にむすびつかず、環境上良くない。名前のつかない無駄な困難を増やさないために、住宅施策を市場任せにしないこと、人権を基盤とした住宅施策の実施、無尽蔵な物の販売を見直すことが必須だろう。

 

<ふつう>にかかるコストについて

 足指を骨折して2週間が経つ。その間大変だったのは身の回りのケアである。
仕事は内勤なので職場へ着いてしまいさえすれば業務ができる。階段を上がって部屋に入り、自席のキャスター付き椅子に座り、デスクトップPCの電源を入れ、そこから一日が始まる。重い物を運ぶことも、週1回同じ職階の人でやる全室のゴミをまとめて階下へ運ぶ作業も、今は免除してもらっている。通勤は、家族の手が空いていれば自家用車で送迎、そうでなければ市内電車だ。昇降のとき足場に注意は必要だが、寄り道しなければ歩くのは大した距離ではない。

 概して、心身への負担が大きいのは日常生活のほうだ。とくに家事と身の回りの手入れであり、それも名前のついたタスクよりも名もなきタスク、それをこなすためのセッティングに莫大な心労と作業が必要になる。

 自宅は二階建てのフローリングなのでたいていスリッパを履く。(このスリッパをワンサイズ大きめのものに変えないと右足の添え木が窮屈なのだが、それを買いに行くには500メートル以上近く歩くか運転者が必要だ。)つま先に重心をかけられないので、このスリッパで階段を降りるには細心の注意が要る。床からスリッパ不要の別室へ移るさいはスリッパを脱ぐのがまた面倒だ。体重分の加圧とこの暑さで包帯をとめたテープの粘着が染みてスリッパに張り付くことがしばしばある。しゃがむことがつま先の負担になるため立膝を立てて洗濯物をたたむ。じゅうたんやタタミの上では座椅子がないときつい。スリッパから別のスリッパへの移動はまるで足場の悪い島から島へ飛び移るほどの冒険にひとしい。それはトイレに入る時と、洗濯物を干す・取り込むためにベランダへ出る時だ。ベランダはガラス戸を隔てた分敷居があって、それをまたぐ動作が毎回入る。

何をするにも面倒で危険なのは家の外よりむしろ中である。家の中のすべてがワンタッチでいかない仕様になっている。一つのタスクをこなすのに何段階も動作が要る。この仕様は、加齢が進み筋力の衰えから自力でできないことが増えていくにつれ、住み手に対して行為への心理的ハードルを無駄に上げてしまう。家の造りという環境が、住み手の自立を妨げるようになるだろう。考えてみれば家には高齢者が2人いるのに、このバリアフリー皆無の造りはどうだ。決してわが家だけが特別な造作というわけではないはずで、日本の戸建て住宅はよほど意識して注文を出さない限り段差と敷居と扉だらけの、手すりもない仕様になってしまうのだろうか。もうこれから建てる・建て直す住宅はぜんぶユニバーサルデザインにすべきと思う。

 身辺ケアで今の私に最も辛いのは入浴である。ここには不自由な体で、一切の固有のセッティング・道具の配備・介助といった補填がない状態で身の回りを自力で整える困難と矛盾が集約されている。準備はまず、脱衣所に新聞紙を広げる。次に濡れた防水ギプスカバーを受けとめるビニル袋数枚を取り出して口を広げておく。念のためキッチンペーパーで患部を包みギプスカバーを着ける。浴室には椅子がないので足を投げ出すように座ってシャワーの蛇口を使い、バスタブからひしゃくで湯を汲む。右足のつま先を受傷しただけで、ふだんなら当たり前にできていた「ふつうの」動作ができなくなる。もしくは不自然でぎこちない動作となる。生理の時はもっと大変だ。バスマットは汚すおそれがあるから使わない。脱衣所はすべて新聞紙を敷き、トイペもちぎってそろえ、ギプスカバーには何重にもビニル袋をかぶせて輪ゴムでとめる。入浴後に履く下着にもあらかじめナプキンをセットする。運よく汚さずに出たあとは、まるで家畜小屋のような状態の脱衣所を片づけなければならない。髪から水が、全身から汗が吹き出しあまり入浴の意味がない。準備から後片付けまで長い時で約一時間。包帯をした患部を濡らさないための工夫を最優先とするも、そのためのセッティングに膨大な時間と手間がかかり、患部以外の体に負担をかけている。

先週、重度障害と難病をもつ2人の議員が国会へ初登院した。登院に必要な改修や介助にかかるコストについて、ネットではさかしらに上から目線で税金の無駄だの遣いどころを考えろだの障害者差別でしかない発言も飛び交った。ぜんぶ、間違っている。これまで心身の不自由な人の社会参加と労働の機会・回路を保障するための制度的条件整備を放棄し続けてきたことがあらわになっただけである。人ひとりが、どんな障害を抱えようと当たり前にふつうに働き、社会に参加できること。税金は、そのコストを本人や家族や関係事業所だけで抱え込まなくてすむように、個人の自立を支えるための資源にほかならない。

足指骨折からのQOL再考

 先週金曜、誤って右足薬指を骨折してしまった。職場の飲み会へ向かう途中、路面電車を降りようとしてステップから転げ落ちたのだ。蒸し暑い雨の夜で、傘を持ちスカートにサンダルという慣れない服装、足場の悪い車内、これまで服にお金をかけられずサンダルがボロかったせいもある。

 

 とはいえ軽症ですんだ。レントゲンを見ても素人にはどこが折れてるの?と思うほど。ただし骨が完全にくっつくまでは最低1ヶ月半かかるそうで、それまでは添え木をし、包帯を巻き、週2回は通院して包帯の交換が必要になる。

 

受傷直後の手当はこんなふう。

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 ここで3点の問題があった。

 

 一点目は靴が履けないので、この添え木をしたまま履けるサンダルを探すこと。つっかけやクロックスを試すも、添え木の突起部分が引っかかること、大きめサイズだともう片方の足に大きすぎる、そもそも脱げやすいことから却下した。

 そこで選んだのがバックル付きサンダル。指部分とかかと部分の双方に穴あきベルトがあり、締め付けを調節できる。

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これだと左足も一番小さなサイズまでバックルを締められるし、かかとから脱げる心配もない。ちなみに普段の靴サイズは23.5だが今回は添え木部分を含めて24〜24.5を買った。

 

 

二点目は通勤。幸いデスクワークかつ階段もゆっくり上れるので仕事はできる。ただ自転車に乗れず、踏込みができないので自力だと電車通勤となるが、平地をゆっくりしか歩けないのに電停まではけっこう距離がある。加えてサンダル以外は履けないので雨の日に外を歩くのは困難だ。長靴も試し履きしたものの、足は入るが歩くには添え木が引っかかって危険とわかってやめた。

 で、家族に車で送ってもらっている。(…いやもう高齢の親をこき使う不甲斐なさ心苦しさは相当なものなのだが、ほかに安全な手段がないので仕方がない。)

 

 

 三点目は入浴。骨折後2日間は大きめビニル袋をかぶせてねじり、テープで止めて輪ゴム3本で口を縛り、シャワーを浴びていた。が、隙間からどうしても水が入り、包帯が濡れてしまう。うんざりしてネットを検索すると、介護用品の部門でギプスカバーが見つかった。

https://item.rakuten.co.jp/porto3/adult-leg-s001/

 

 今回はヤフーショッピングで同じ物を注文し、約3日後に到着した。

こんなギプスカバーを使っています。

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シリコン製の入り口を開けて患部を差し込むだけで水染みなし、濡れないという優れモノなのだが、蒸気で内部が湿るのを考慮して、私は患部をキッチンペーパー約5枚分で包んでからカバーをはめている。

 

 

 このように大きな問題はどうにか凌いでいるものの、移動と行動の制限からメンタル面はけっこう削られる。自分の不注意とはいえ気が塞ぎ、気が滅入る。

 

 今月末は旅行をと考えていたが当然中止。

 

 いくら軽症でも、立ち居振る舞いが普段どおりにいかない。日用品の買い足しどころか家の二階から入浴のためのあれこれを持って降りる時も段取りと順序を決めないと、あ、ちょっとアレ忘れたので階段途中で戻って引き返す、という身のこなしが難しい。

 

 高齢者が車を手放せない理由もわかる。運転し慣れた人にとって、自動車は力の証なのだ。限られた時間内に複数の用事をこなせるし、人を助けることができ、何より自分の意志とタイミングで動ける。自分のしたい時に、したいタイミングでどこかへ移動する。この自己決定、自己制御がどこまで可能かが、意外と自尊心と深く結びついていることを痛感する。

 考えれば、歳をとって足腰が弱った人にとって現行の地方公共交通機関は案外ストレスフルな手段だと思う。発車に間に合うよう行動を調整する負担、停車場への移動、待ち時間、どんな客と居合わせるかわからない時の運ー。 

 今の私は躊躇なく電車の優先席へ座るけれど、混んでれば空きはなく、空いていればお構いなしにばっかりそうな荷物持った人や足バタバタさせる子どもが座りこむ。行きより帰りの方が皆の気が緩んでいる分、自他への注意が向かないみたいだ。

 高齢ドライバーがなかなか免許を返上しない理由の一つに、地方では車がないと生活できないから、がある。だが車なし生活が可能な都市部の高齢者も同様に免許を手放さないのは、上記の理由もあるように思う。

 

 今回の参院選では重度障害をもつ議案が二人誕生した。バリアフリー、移動保障、情報保障はそれを必要とする人にとって死活問題であることを、お二方は誰よりもご存知だろう。超高齢社会に入ったこの国で、少しずつでも生きやすさを作っていく方向に私も連なりたい。

 

 

時短レシピと家事担当者の主体回復

 SNSでつくり置きレシピのアカウントをよく眺める。そのうちお一方はよく見ると、常備菜を作って数回分の食事をしのぐというより
短調理のレシピを積極的に発信していらっしゃる。めんつゆや電子レンジの活用、火の通りやすいor味のなじみやすい食材の切り方、加熱や投入のタイミング―。
それらはすべて、いかに作り手に対し煩わしさを避け、負担を減らし、料理をすることのハードルをできるかぎり下げるかに主眼を置いている。

 料理をはじめ家事の負担とはたんに「タスクが多いこと」ではない。一つにはタスクをこなす手順や優先順位、先取りや先送りの自己決定権が
家事をやる側にないことである。いま一つにはタスクの主導権が家事労働者にあったとしても、「家事の足場となる空間をタスクがこなせる状態
まで整えること」から出発しなければならないことだ。たとえば流しや水切りにたまった食器を洗い片づけること、洗面所や脱衣所に出っぱなしの
モノをしまうこと、空になった洗剤や調味料の補充や容器の移し替えなど「名前のない家事」に含まれる作業をやってから、初めてタスクに
着手できるのだ。

 時短レシピは加工食品やテクノロジーを駆使して調理ができるセッティングの段階から後片付けの負担までカバーして、手間を省くようにできている。
家事はたいてい一つのタスクだけに専念することはあまりなく、洗濯機を回している間料理をする、お湯を沸かしている間食材を切る、など「何かをしている間に別の何かに着手すること」が大半だ。栄養バランスも偏りが少ないよう考え抜かれている。調そもそも生から料理する食材の残留農薬や添加物、成長ホルモン剤による脅威を考えると安全で健康な食事を実現するには生産段階からの規制が必要なことも多く、家事労働者の自己責任で食の安全を確保できるものではないことも視野に入ってくる。
味料投入や味付けは作り手自らがするレシピも多い。出来合いのものを受け身で消費するだけでも、味の限られたパックやレトルト(も使用するが)に食事を明け渡すのでもない。時短レシピが提供するのはおそらく、作り手の主体回復の一つだろう。

 これらをまだ知らない家庭内調理担当者は何をやってしまいがちか。
 料理もほかの家事も区切りがほしい。切れ目なく他人のつごうでタスクの量も段取りも決められ自分の労力と時間を奪われるのは辛い。
 だから、無理やり区切りをつける。物事に切り上げの印を刻み、始末をつける。残った料理を、また一回分で食べきれない量のあまり日持ちのしない料理を作って別の容器に移し、ラップで包み、また蓋をして、冷蔵庫に入れて扉を閉める。で、忘れる。

 もし家の中に、包んで蓋をして別の容器に入ったモノが扉を閉ざされた場所にたくさんあるとしたら、それは大量のモノやタスクから距離を置きたい心理の表れかもしれない。私たちはありふれた慣習や溢れるモノをもっと手放してよいし、過剰なモノやタスクを強制する市場・流通体制・慣習から離れそれらを断ち切る自由も本来持っている。時短レシピが少しの主体回復を促すならば、わが手でわが暮らしを作ってゆく一歩となる気づきは生活様式のあらゆる局面に波及していくにちがいない。


 

法事のあとで考えたこと

 土曜日は母方祖母の一周忌だった。上京し、滅多に帰らない弟も帰省し、家族で呑みに出た。私が探して予約した店だったが勘定は母持ちになってしまった。

 

 法事に限らず盆や正月など家族親戚が寄り集まる場には独特の尾を引くしんどさがある。出てくる話題が仕事(というか雇用形態や身分、給与額)、所帯・子どもを持つ/持たない、今後の身の振り方、そして歳をとった人々によるその世代の常識で言いたいことを言うだけという、心身ともに削られるか追い詰められるかする話題ばかりだからだ。

 

 でもそんなことはよい。家制度やしきたりに基づく家族行事にまつわる心境や話題など、いつの時代もどこの社会もそうだろう。

 

  しんどいのは、身内から寄せられる様々な感情を、否定一辺倒でバッサリ伐れないことだ。

 

 今年96歳になる父方の祖母は、2年前祖父が施設に入った後ずっと一人暮らしをしている。近くに住む叔母が毎日祖母を訪ね、祖父のいる施設に面会へ連れて行く。その折に祖母の家を片付けたり、通院や買い物にも連れて行く。私の父も週数回は家や庭の片づけ・掃除をしに行く。それでも、もう一人暮らしはギリギリ限界に近いようだ。法事のあと弟の顔見せを兼ねて挨拶に訪れた祖母宅は、もともと祖母がモノを捨てられない・捨てさせないこともあって足の踏み場に困り、わずかに異臭が立ち込めていた。

 

  訪問するとなぜか祖母は、私が幼い頃の写真を貼った分厚いアルバムを出して見せてくれた。これはまったく予想外のことだった。もう遠い昔になってしまった東京(両親は仕事の都合で私が生まれてから8年間東京に住んでいた)での日々が鮮やかに写しとられており、祖父母や両親からできる限りの愛情と注意を傾けて育ててもらっていたことを否応なく見せつけられた。

 

 

 就職氷河期世代の受難と理不尽さ、それらが社会構造に起因する作為的なものだということは、今ではあちこちで指摘されている。アラフォー以下の世代が貧しく不安定なのは自己責任ではない。氷河期世代への仕打ちは、遅れてきた国内経済のグローバル化に対応するためになされた日本的経営の変種や、一連の新自由主義改革の一環であった。

 

 だがそれ以上に、日本社会においてメンタリティの側から体制を維持する機能を果たしたと私は考えている。新卒一括採用をはじめとする日本型雇用慣行を決して崩さず、新卒で正社員として就職し、適齢期に結婚して子どもをもうけることー、書いてみれば空疎なことにすぎないが、それが昭和レジームにもとづく日本の繁栄と幸福を保障・下支えする神話だった。少なくとも親世代はそう信じて疑わずに来れた。そして結局、それ以外の価値観をもつことができないか、経済基盤を得たうえでの余興のようにしかとらえていなかった。彼らにとっては人権も新しい生き方・働き方も、経済成長という下駄の上に成る産物だったのではないだろうか。

 

 

 上記のことは、今の若い世代にとっては決して当たり前でなくなっている。就職が売り手市場てあってもだ。高度経済成長を前提に作られた制度や慣習の問い直しは、良くも悪くもごく身近なこととなっている。一方で私たちは、高度成長を経験した世代が当然に享受した生活水準を、経済成長や旧世代の資産に依存しないかたちで取り戻すこともしなければならない。「ふつう・あたりまえ」を問い直すと同時に取り戻すこと。難しいが、これも世代の役割だろうか。

 

 そんなことを解っていながらもなお、自分を育てた身内(これもよほどの毒親でないから言えるだけのことだが)に対する感謝と罪悪感が複雑に絡み合い入り混じった負の感情が荊か蔓状の草のように心身を浸し、まといつく。4歳下の弟が、なまじ姉の私より世渡りが上手くて色々の「ガチャ」に恵まれた(?)ために言いたいことを言い放つのを傍で聞き続けた弊害を、今週は少しずつ削ぎ落として、自分の人生のハンドルを再び自分で執れる日を目指して暮らしていこうと思う。

 

 

ペットが教えてくれること

 

 以前住んでいたアパートは、向かいがペットOKのマンションのようだった。朝、日課の体操をしていると柴犬を散歩させている女性が通りへ入ってきた。何となく視線を離さずにいると、向かいのマンションの玄関ホールに入っていき、何と犬も当たり前のようにぴったりくっついて自動ドアをくぐっていく。ここの住人が飼っている犬だったのだ。小さな巻尾を立てリズミカルに四肢を動かし白いお尻を振りながら建物に入っていく姿はいかにも自然で、本当にそこの住人の風格があった。

 

 帰宅した後、二人にはどんな時間が待っているのだろう。女性はまず家事をするのだろうか。夫や子どもなど他の同居者はいるのか。在宅で仕事をしているのかもしれない。あるいは病気で療養中かもしれない。犬はマンションの同じ一室で、共に一日を過ごす。ケージの中にいるのだろうか。部屋のソファや椅子、床の一部に定位置があるのだろうか。退屈しないようにテレビやラジオがかかっているかもしれない。だがそうした刺激があってもなくても、犬は犬の時間を生きているだろう。

 

 ペットというのは不思議な存在である。可愛がるために飼っているのだから飼い主による支配を受けている側面はどうしてもあるが、とはいえペットは飼い主と全く異なるペースで違う時間を生きてもいる。実家にもかつて犬がいた。可愛くて、顔を両手ではさんで「ずっとウチの犬でいなさい、どこへも行ったらいかん、こちらだけを見なさい」と頬ずりしながら胸中でよく言い聞かせた。しかし、ペットの可愛さは相手がやっぱり自分以外の、自分とは別の存在でいてくれることにもある。

 

 四六時中一緒に居ても、ペットはもしかしたら決して同じ方向を視ることはなく、あるいは自分のいない世界に浸っているかもしれない。それでもいい。同じ時間と空間を、あの温かいかたまりと過ごせることが至福なのだ。

 

 むしろペットが自分と違う方向や対象に注意や関心を向けている姿に救われることさえある。東日本大震災からひと月少し経ったある日、宅地から少し離れた緑地で子犬を散歩させている人がいた。飼い主の方はもう色々あって完全に疲れ切った面持ちで歩いているのだが、子犬は生え始めた芝生を、木の芽が萌え始めた枝が影さす地面を全身で喜びながら駆けている。あたかもこう言ってるかのようだった。

 

 ー僕ねえ、生きてるの!それがとっても嬉しい の!

 

  それは生き物が見せてくれる姿の中で最も感動的な姿勢である。自分をとりまく状況がどうあれ、ひたすら「生きる」方向へ全身を向けること。人間は言語で思考し、予測を立て、あれこれを意味づけ、人工物を使って生きるけれども、それはすべて「生」を善くするためだろう。これを忘れたくなくて、人は人以外の生き物に触れたがるのかもしれない。