いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

地の利と行動力

 このブログではもう何回も書いていると思うが、いま住んでいる地元は県外とくに四国外とのアクセスが非常に難しい。決して僻地ではなく、暮らすぶんには地方都市の中ではまずまず便利なほうなのだが、四国外へ出るときはいわば遠征プラン、メイン行動の予定時間によっては泊りがけの日程を組まなければならない。これがめんどくさい。あれこれ悩み段取りを立てる心労が負のコストである。

 

 かつて、東北の都市に住んでいた頃はそうではなかった。金曜夜に残業して翌朝7時の高速バスで新潟まで日帰り旅をしたり、8時前後の新幹線で東京へこれも日帰りしたり、夏休みには長野へ小旅行したり、泊まりがけ旅行も格安高速バスを使ってあちこち出かけた。東京までは各駅の新幹線で2時間少々。高速バスも色んな会社から頻繁に出ている。それらを利用すればどこでも行けた。今より貧しく稼ぎも少なかったが、居住区に閉じ込められているような閉塞感はあまり感じなかった。その気になれば短時間でどこでも行けるからだ。

 

 自分には行動力があると思っていた。県外で(だいたい首都圏か他の大都市圏)就活するのも今ほどハードルが高くはなかった。げんに時間ができたら映画や展覧会や集まりへサッと出かけてきた。動き回ることで、自分の未来を拓いてきたつもりだった。

 

あれは、地の利が味方していただけなのだ。新幹線が通っていて、陸路が発達して、その前に本州だから首都圏や他の大都市圏とも地続きで居られた。居住地の市内は冬に積雪も路面凍結もありバス文化に慣れるのも大変だったが、中心街に住んでいたせいかだいたい生活物資には困らない。原付も乗ってたし、今思うと冬さえ攻略すればあとの季節は自分の優先順位で暮らせた。

 

  今はそうではない。

 

 橋を渡るのにけっこうな額がかかる。岡山や神戸あたりは高速バスはあっても本数は限られている。泊りがけ旅行は早くから段取りを決めて申込が要る。思いつきで遠出、滑り込みで展覧会へ行ってきましたなんてことはできない。

 

 それが四国へ住むということだ。

 

 同じことをするにも、大都市(とくに首都圏)と地方ではかかるコストが違う。後者は前者の数倍ほど時間・金・体力・段取りが要る。その交通費を稼ぐのも地方の賃金は安く容易ではない。最寄駅や主要駅へ行くまでに時間や金がかかる。

 

 これが格差なのだろう。最低賃金を全国一律にするのはそれを正す第一歩にすぎない。失われた三十年と構造改革が壊してきた文化的情報・インフラを再整備するまでには、この辺りから始めなければならないのだ。