いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

<ふつう>にかかるコストについて

 足指を骨折して2週間が経つ。その間大変だったのは身の回りのケアである。
仕事は内勤なので職場へ着いてしまいさえすれば業務ができる。階段を上がって部屋に入り、自席のキャスター付き椅子に座り、デスクトップPCの電源を入れ、そこから一日が始まる。重い物を運ぶことも、週1回同じ職階の人でやる全室のゴミをまとめて階下へ運ぶ作業も、今は免除してもらっている。通勤は、家族の手が空いていれば自家用車で送迎、そうでなければ市内電車だ。昇降のとき足場に注意は必要だが、寄り道しなければ歩くのは大した距離ではない。

 概して、心身への負担が大きいのは日常生活のほうだ。とくに家事と身の回りの手入れであり、それも名前のついたタスクよりも名もなきタスク、それをこなすためのセッティングに莫大な心労と作業が必要になる。

 自宅は二階建てのフローリングなのでたいていスリッパを履く。(このスリッパをワンサイズ大きめのものに変えないと右足の添え木が窮屈なのだが、それを買いに行くには500メートル以上近く歩くか運転者が必要だ。)つま先に重心をかけられないので、このスリッパで階段を降りるには細心の注意が要る。床からスリッパ不要の別室へ移るさいはスリッパを脱ぐのがまた面倒だ。体重分の加圧とこの暑さで包帯をとめたテープの粘着が染みてスリッパに張り付くことがしばしばある。しゃがむことがつま先の負担になるため立膝を立てて洗濯物をたたむ。じゅうたんやタタミの上では座椅子がないときつい。スリッパから別のスリッパへの移動はまるで足場の悪い島から島へ飛び移るほどの冒険にひとしい。それはトイレに入る時と、洗濯物を干す・取り込むためにベランダへ出る時だ。ベランダはガラス戸を隔てた分敷居があって、それをまたぐ動作が毎回入る。

何をするにも面倒で危険なのは家の外よりむしろ中である。家の中のすべてがワンタッチでいかない仕様になっている。一つのタスクをこなすのに何段階も動作が要る。この仕様は、加齢が進み筋力の衰えから自力でできないことが増えていくにつれ、住み手に対して行為への心理的ハードルを無駄に上げてしまう。家の造りという環境が、住み手の自立を妨げるようになるだろう。考えてみれば家には高齢者が2人いるのに、このバリアフリー皆無の造りはどうだ。決してわが家だけが特別な造作というわけではないはずで、日本の戸建て住宅はよほど意識して注文を出さない限り段差と敷居と扉だらけの、手すりもない仕様になってしまうのだろうか。もうこれから建てる・建て直す住宅はぜんぶユニバーサルデザインにすべきと思う。

 身辺ケアで今の私に最も辛いのは入浴である。ここには不自由な体で、一切の固有のセッティング・道具の配備・介助といった補填がない状態で身の回りを自力で整える困難と矛盾が集約されている。準備はまず、脱衣所に新聞紙を広げる。次に濡れた防水ギプスカバーを受けとめるビニル袋数枚を取り出して口を広げておく。念のためキッチンペーパーで患部を包みギプスカバーを着ける。浴室には椅子がないので足を投げ出すように座ってシャワーの蛇口を使い、バスタブからひしゃくで湯を汲む。右足のつま先を受傷しただけで、ふだんなら当たり前にできていた「ふつうの」動作ができなくなる。もしくは不自然でぎこちない動作となる。生理の時はもっと大変だ。バスマットは汚すおそれがあるから使わない。脱衣所はすべて新聞紙を敷き、トイペもちぎってそろえ、ギプスカバーには何重にもビニル袋をかぶせて輪ゴムでとめる。入浴後に履く下着にもあらかじめナプキンをセットする。運よく汚さずに出たあとは、まるで家畜小屋のような状態の脱衣所を片づけなければならない。髪から水が、全身から汗が吹き出しあまり入浴の意味がない。準備から後片付けまで長い時で約一時間。包帯をした患部を濡らさないための工夫を最優先とするも、そのためのセッティングに膨大な時間と手間がかかり、患部以外の体に負担をかけている。

先週、重度障害と難病をもつ2人の議員が国会へ初登院した。登院に必要な改修や介助にかかるコストについて、ネットではさかしらに上から目線で税金の無駄だの遣いどころを考えろだの障害者差別でしかない発言も飛び交った。ぜんぶ、間違っている。これまで心身の不自由な人の社会参加と労働の機会・回路を保障するための制度的条件整備を放棄し続けてきたことがあらわになっただけである。人ひとりが、どんな障害を抱えようと当たり前にふつうに働き、社会に参加できること。税金は、そのコストを本人や家族や関係事業所だけで抱え込まなくてすむように、個人の自立を支えるための資源にほかならない。