作り置きおかずが人気だ。一時期流行って、おそらくいまも書店にはレシピ本が専用コーナーに置かれている。
あれは、おかずそのものの美味しさよりも時短や家事の合理化、もっと言えば自分や家族の食をマネジメントしているという全能感を味わうためのジャンルだと思う。
もちろん忙しい人の味方ではある。
仕事に育児に介護、その他あれこれ抱えた人が、毎回その都度ゼロから調理をするのは過酷なこと。だから、少しでも時間のある時に冷蔵庫等で日持ちするおかずを多めに作ってタッパーへ。手作りだし、レトルトや外食や中食に比べて添加物の心配は少ないし、健康的で、家の食材を消費できる。
なので、一時期わたしの母がよくやっていた。が、これらは本当に時間コスパの面で優れているのか?
冷蔵庫から容器を取り出す。
蓋を開けて、中身を箸やスプーンで食器に移す。
モノによってはラップかけてレンチン。
つくおき料理の入ったタッパーに蓋をして冷蔵庫へ戻す。
レンジから出してラップを開ける。
食卓へ置く。
おかずが複数あれば食器の数も増え、手間も要る。そして問題なのは、タッパーに入ったぶんだけきっちり食べ切れる機会があまりないこと。
小鉢一つ分とか、中途半端に余ってしまうことも。一人分ならあるけど、数人で分けたらメインのおかずにはとてもならないし、一回分の食事として別途何かを料理しなくてはならない。
そんな出来事がどこの家庭にもあるのではないか。
その中途半端な残りおかずを適切な大きさの器に盛り、タッパーは流しへ、で、新たに何か作る。
それができればよいけど、本当に忙しい人は冷蔵庫に残ったそのタッパー内おかずの量を確認した瞬間次の料理に傾注し、タッパーのことは忘れてしまう。家族も、別途その日に作った料理があれば、冷蔵庫内のタッパーに目が向くことはなく、思い出しもせず、結果タッパーは冷蔵庫に数日置かれる。
わが家ではそんなことがたびたびあった。
つくおきは、未来の先取りといえる。
つくおきは、未来の制御。
しかし、今日作ったものは明日、過去作られたものとなる。未来は予測できないことが多い。その日の忙しさ、気分、気候、そして食べたいもの。
疲れて帰ってああ冷蔵庫のアレを食べなきゃ、なんか残飯処理してるみたいだけど、という気分にならないとも限らない。つくおきは、ラクとは限らないのだ。
現代日本の忙しさーとくに家事労働のそれーは、旧い性役割分業や手仕事信仰、長時間労働に低賃金などのせいで家事の外注も機械化も省力化も全く進んでいないことに原因がある。真実に食を大事にしたければ、浅ましい未来の先取りに汲々として時間支配の優越感という幻惑に引き寄せることとは異なる、〈いま、ここ〉の時間を奪わない手法が求められるだろう。