いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

大学のない街で

 日曜は家族と母の郷里へ出かけてきた。メインは浜辺近くの神社での梅見だったが、途中で施設に居る父方祖父との面会、地元工芸品の店で買い物、母方祖父母の墓参りを経てある中華料理屋で昼食に。そこで考えたことを少し。

 

 店は街中の官庁街に面した通りの少し奥にある。2時すぎなのに店内は満員で、交通整理の男性がさばいてくれるおかげであまり広くない駐車場に何とか車を停められた。県外ナンバーが多い。皆何を求めて来るのかと見渡すと大半の客は看板メニューのご当地B級グルメを頬張っている。これが目当てか、と思いながら私たち家族はそれぞれ別のものを注文する。

 

 晴れた休日で周囲は賑わっている。この街は飲食店が多い。もともとは瀬戸内海の海上交通の要所であり、造船と繊維工業を主な産業として栄えた商業都市である。

人口約16万強で、私が今住んでいる52万弱の市内とは街の雰囲気や気質もかなり異なる。ここは商売人の街である。母いわく、今住む街の女性は専業主婦として家で小綺麗にお茶を飲むような暮らしを好むが、この街の女性は繊維工業の内職などをして小金を持っているため、遊ぶ時も友だちと出歩き外食する人が多いそうだ。テーブル席にはお年寄りも多く元気に食べている。が、何より気風の違いは若い人たちに目立つ。

 

 店内に突如元気よく笑い声が上がる。少々やんちゃな二十歳前後に見える若い男性数人が席で談笑している。ああ学生さん(生徒ではない)かな、と思いかけてふと気がついた。

 

ここは大学生の街ではない。正確には少し辺鄙な場所に短大が一校あるのだが、いわゆる学生街というか大学関係者を客層とするエリアはない。するとこの辺の若者とはすでに学卒で働いているか、専門学校生か高校生か。

 

 大卒の公務員会社員ももちろん居るが、地元の高卒者は現場系の技術職、工員、職人、販売などの業界へ入って地元の「若い衆」となる。また自営業者も多い。いずれも活発に人と交流し、しゃべり、つきあいにお金も使い、お愛想や冷やかしをとばしながら顧客や同業者と関係を築いていく。地元の旧い会社には荒っぽい職人気質の者も多く、ブラック企業もある。つい最近も(じつは数年前から問題になっていたのだが)外国人技能実習生を劣悪な条件で酷使したことが話題になった。

 

こういう土地で若くして働く人が、職場に馴染めなかったり、仕事につまづいたり、社交的なことが苦手な性格だったり、外の世界を知る機会が限られていたり無かったりしたら、どんなに辛いだろう。就いた仕事に不向きなことが判り軌道修正したくとも、地方では選択肢が限られている。

 

 今の大学は断じてレジャーランドなどではないが、かつて大学が提供していた一種のモラトリアム期間は、仕事に役立つ知識やスキルと程遠い教養に触れさせることで若者に自己形成の機会も与えていた。若者が社会の歯車として巣立つ前に、それは無意識のうちに産業労働界と距離を置く役割を果たしていただろう。しかし地方でその他に就職する高卒者に必要とされる素質は、荒っぽい気質への適応や従順さなど、労働に適合的なものでありカウンターカルチャーとして機能していない。むろん教育機関はどれも産業界の人材養成機能をもつとはいえ、上記を顧みると高等教育が就職予備校化することの弊害はもっと自覚されてよい。

 

 地方は多様だ。それぞれの歴史や産業構造の上に今があり、それが時代ごとに有利にも不利にもなり得る。だから、「富山は日本のスウェーデン」とか特定の国や地域を規範化するには無理がある。それらは数多ある地域の一つの事例にすぎない。願わくは、どんな地域や階層に生まれた人も教育による社会移動の機会とアクセシビリティを奪われないこと、労働スキル以外の学びがどんな地に住む人にも開かれてあらんことを。

 

 写真は神社の梅。学問の神様を祀ったけっこう有名な天満宮です。

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