年が明けた。現職はカレンダー通りの勤務で私の仕事始めは4日からだった。が、休みを取った人も多い。すぐまた土日が控えているのだから遠方へ帰省した人はまとまった時間が欲しいだろうし、世間でも本格稼働開始は7日からのところが多かったようだ。
7日の朝、職場まであと数分の通勤途中にある工場からは作業服を着た人たちがゾロゾロ出てきて横断歩道を渡っていく。仕事始めにつき、トップの訓話でも聞きに行くのだろうか。
じつはここ、現職に就く少し前に派遣で雇ってもらおうとした工場なのだ。県外転職・移住がどうやら無理みたいだと分かり、でも当時の職場を辞める決意は翻ることなく、しかしスキルや何やの都合で応募できる枠は限られていて、登録していた派遣会社に連絡をとったところ、紹介されたのがここだった。決まりかけたのだが、通勤時間や交通費込賃金諸々の面で折り合いがつかず結局流れてしまった。
製品を作る工場敷地のすぐ近くに別棟があると聞いていたため、何か集まりごとの時にはそこを利用するのかもしれない。社員さんたちの制服がまた、自分がいま着ているのとよく似たデザインで、ふと妙な近しさをおぼえてしまう。
そういえば、仕事の内容も思えば近しいはずだった。現職で今やっているのは専用のデザインソフトで起こした図面の整理で、あの工場でやるはずだったのはやはりデザインソフトを用いた、製品の設計図修正だった。PhotoshopとIllustratorを一部使用することも似ている。
もちろん扱う対象は全然違うし、工程や納期の組み方も異なる、あくまで別分野の業務である。けれど、いずれにせよ私にとっては初めて触るソフトで未知の作業に変わりはない。しかも、場所も現職と近い。自転車電車クルマ何を使ってもその工場の前を通過するという通勤動線なのだ。
だとすると、同じような制服を着て、画像編集ソフトを使い、現職に近い地域で似たような作業をしているもう一人の自分の姿が目に浮かんでくる。わずかな時間差で、あり得たかもしれないもう一人の自分が。
工場の朝は早い。7:45にはラジオ体操が始まるそうで、私などは月イチの早出当番の朝、通りがかりに体操前の人々を横目に自転車で疾走するていどである。(もっとも現職も現場の朝は同様に早く、クルマで1〜2時間とかいう通勤時間が加わる。)その付近はちょっとした工場地帯なので私が通る頃にはもうどの事業所も仕事を始めている。
生活していれば色んな朝が来る。出勤しただけでエライ、とでも思わなきゃしょうがないような時もある。だが、生きている〈今・ここ〉も数多ある可能性の一つにすぎず、それも単なる時間差などではなくて、現在も生き続けている一つのかたちだと想像することで、得られる慰めもあるのでは、と考える新年であった。