いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

わが手でその暮らしを

職場は朝が早い。始業時刻は前職と同じなのだが、皆現場を経験している人なので、その仕様に合わせてか慣習か、7時頃には必ず誰かがいる。チームの上司も例外でなく、私が着く頃にはもう一服してくつろいでいるか、机上の仕事を始めている。

外勤となれば早起きは必須だろう。今は五時半頃起きて一通り身の回りのことをゆっくり目にやって出勤しているのだが、これがもし一人暮らしだったらもっと早く出勤できると思っている。

というのは、自分の都合で家事を先送りできるから。何でも自分でやらなきゃいけない代わりに(その前にアウトソーシングするという手もある。もちろんカネがあれば。これすらしたくても家族の許可がおりなくて嫌々自分の手でしている人は多いだろう)全てを自分のタイミングでできる。洗濯機を回してから洗顔、湯沸し炊事、の順を日ごとに入れ替えても良いし、その日の天気や優先順位でタスクの順番もやり方も変えられる。

私の朝は寝床を剥いで体操から始まる。寝起きに身体を動かして血行を良くしておかないと終日体が重かったりだるかったり動かしにくかったりする。(尤も今は体操していても午後はしんどい。疲れがとれてないのだろう。)リンパ節と首の両側をほぐし、耳たぶも首も回してやっと人心地ついたら着替え。

ハロゲンヒーターを点けたまま、時間があれば語学の勉強や読書の続きをやる。が週後半にはそんな余裕もない。そのあと窓を少し開けて真っ暗な外を見てすぐ閉め、敷布団を片づけて階下へ降り、洗顔歯磨き化粧トイレ、弁当包んで朝食、と一連の支度が続くのだけど、それがスムーズに行くとは限らない。

風呂場の排水溝に溜まった髪の毛を毎朝とる。洗面所には家族がしまい忘れた歯磨きやシャワーキャップ。洗濯機に汚れ物を突っ込んで回す間、自分の洗顔など。歯ブラシ立てはなぜか洗面所の鏡が付いた扉の中に(つまりキャビネット仕様の棚の中に)あり、〈開けて取って閉める〉、〈開けてブラシを立ててコップ置いて閉じる〉が手間である。

で、台所へ行くと今度は流しを片づけなければならない。台上には乾かすためか、洗った鍋やボウルが出しっ放し、食器カゴの中は洗った食器がギッチリの時もあり、湯を沸かしながら片付ける。テーブルには昨夜の夕飯・晩酌の跡ー落花生や空豆の殻、蜜柑の皮、鶏の骨、食べかけの煎餅やおかきや豆菓子の残りが載った皿、ーがある。決していつもではないが、くずの散ったテーブルを拭き、そんな残骸と、流しの排水溝のゴミをゴミ袋にまとめる。

なんで夜片づけないの?と思われるかもしれないが、家族の食事時間がバラバラだからです。母が仕事から帰宅するのは22時半〜23時で、そこからTV見つつ食べ、呑む。そういう状況でその後完璧な片づけなど求めるのは無理で、その時間には風呂を終えて寝る準備をしなくては睡眠がとれない。で、朝に持ち越すのだけど、どうしても急ぐ時は上記をほったらかす。

湯を沸かしながら水を足したカップに白湯を注ぎ飲む。沸いたらインスタント珈琲を作るべく水筒に粉を注いで混ぜようとするも、マドラーが行方不明な時がある。家族も何やかやで使うからだろうが、箸やスプーンを入れる引き出しはモノが多くてギチギチ、中食買って着いてくるプラのスプーンやフォークなど捨てればよいのに取っておいてここへ入れるから洗練されたとは言い難いラインナップの引き出しになってしまう。勝手に捨てたら怒るだろうし、自分に処分の権限があるのは狭義の自分のモノだけだ。

別に混ぜるのはスプーンでも箸でも構わないのだが、自分が決めたモノの配置が変わる、自分が大切だと思っているモノを蔑ろに扱われる、そういう不満の蓄積は十分ストレスになる。

寒い部屋。機密性のない室内。部屋の造りは北海道や北東北でないかぎりどこも同様なのだろうが、せめて暖房をフルにして部屋全体を暖める発想がどうして持てないのだろう。

広い台所はモノを取るのにあちこち移動して扉を開けねばならず、一回の動作で何かが完了することはない。整えた食事をテーブルまで運ぶのが造作なので流しに立って食べる。ティッシュもすぐそばにあり、終わったらそのまま流しに浸けて出られるのでよい。…しかし、いつまでこういう生活が続くのだろうか。

仕事は基本的にチームワークで、自分の担当分を締切までにやる、というスタイルとは少し違う。複数タスクがあったら、何をどの順番でどうやるか、決めるのはけっして自分ではない。仕事というのはどこもおそらくそうだろうしお前は恵まれているなあと言われればそうですねえとしか返せないのだが、今の暮らしに自分の人生を生きている実感はない。

家族も勤務もしがらみも関係ない時間帯が早朝か深夜だが、寝る時間を削ることはできない。自分で決めて、自分で動く、自分のタイミングで身の回りのことをする、それだけのことが今は自由ではない。それを何とかしたくて一昨年からジタバタしてきたのだが…

自分の手で、自分の意志で!そういう時間の使い方を取り戻すために、稼いだり気晴らししたり、未知の世界へ踏み込んだりしながら格闘する日々がまだ続きそうです。