いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

やる気のともし火

 新年度が始まった。あいにく朝から酷い雨で、時間ギリギリで乗れた路面電車の中からマスクで表情が隠れるのを良いことに胸中で悪態をつく。

 

 勤務はあと1年ある。契約期間は半年ごとに更新する。とはいえコロナ感染状況いかんではいまやどの職種業種も雇用不安と無関係ではない。そこは覚悟している。今日は新規採用者を迎えて辞令交付式と事業説明があり、明日から業務ごとに研修がある。

 

 コロナ危機で仕事を失わないだけ有り難く思わねばと頭では考えつくのだが、年末面談で雇用期間を告げられた日から自分の中でやる気は砕け散っていて、出勤して息して手を動かせていることをむしろ不思議に感じてしまう。チームワーク、手や身体を使う作業、と何一つ自分に向いてる要素がないこの専攻外かつ異業職種で入職してもうすぐ3年近く経つ。

 

 部屋には新しい上司が来た。長く県外で同業種を務めたヴェテランで、今回の着任で出身地である地元へ帰郷したかたちになるそうだ。現職場の雰囲気からして今まで居なかったタイプの物腰で、何でも具体的に細かく詰めそうなのでうまくやっていけるかしらと不安も感じる一方、仕事が回れば何でもよいとも思う。

 

 この人のやや突き放したように聞こえるもの言いのせいか、雑談の一つとして交わされた

「(コロナは)もうみんなかかるでしょう、時間の問題です」

という発言は心底恐ろしかった。

 

 ヨーロッパとアメリカで感染拡大してから、このウイルスがかなりの致死率を備えていることが明らかになっている。

 自分が感染すること、自分の身近なまたは大事な人が感染して不可逆の苦痛に留め置かれること、そして死ぬ可能性はかなり高い。そうやって引き起こされた事態は心身にどれだけの痛手をもたらすだろう。

 

 新型コロナウイルスの感染拡大は凄まじい。今worldometerを見ると世界全体の感染者数は87万人を超えた。

https://www.worldometers.info/coronavirus/

 

 「クラスター対策」なるものが功を奏したかと言われた先週末から一変、国内では一気に感染が増え若い人も0歳児も感染した。特措法を一気に改正したのに緊急事態宣言は出さず、出てきたのは1住所に布マスク2枚配布という、いっそ国が買い上げて配給の方がまだマシではという取り組みだ。

 

 じつは、今月県外で私が受ける予定だった採用試験が延期になった。7月を目処に実施調整とのことだが、その時期に情勢がどうなっているかわからない。

 

 コロナは有名無名にかかわらず感染する時はするのだ。王室の人も政治家も芸能人もかかる。富裕層は自衛手段の選択肢を貧しい人よりたしかに多く持つが、かかる時はかかる、という現実が各国で示されている。そして致死率はイタリアで10%を超えている。

 

 

 思い出すのは3.11東日本大震災の被災時である。あれを思い返すと仕事や体裁はともかく生きたい、自分よりもはるかに有能で必要とされる人材こそが生き残るべきだと言われたとしても、私は生きたいという気持ちがはっきり湧いてくる。

 むろん、非常事態に奮い立つ覚醒や災害ハネムーン期はいつまでも続かない。いつかコロナが本当に終息し、自分がまだ生きていて、しかし何の適応力もスキルもなく生存を脅かされる可能性もある。

 

 雇用もやる気も生産性も風前の灯火ではあるけれど、この意外な危機が震災の記憶をもって生きる方向へ意欲を導いてくれることを実感する数日である。