いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

コロナ禍と職業差別

 2020年に話題にのぼった本にデヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』(岩波書店)がある。
ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論 | デヴィッド・グレーバー, 酒井 隆史, 芳賀 達彦, 森田 和樹 |本 | 通販 | Amazon

グレーバーの指摘は新自由主義下の労働を考えるにあたって的確な整理の一助となるだろう。だが2020年にわが国で起きたことをふり返ると、ブルシット・ジョブ等の語の半端な普及は、世にある仕事に対する安易で侮蔑的な腑分けが促進されはしないだろうか?

 新型コロナウイルスパンデミックがこの国で浮き彫りにしたことの一つは露骨な職業差別だった。約9ヶ月前、国内で感染者が増加し始めた頃にその原因たる場として ビュッフェ形式の食堂、居酒屋、屋形船、宿泊施設などいくつかの営業形態が名指しされ、それからライブハウス、劇場、コンサートホールなどが密閉・密接・密集に該当するとして休業を余儀なくされ、緊急事態宣言が出される前後には「夜の街」の風俗店が感染拡大の発生源とされた。それらの店を「自粛」させるあたって、当初満足な補償などなかった。

 一方で世間ではリモートワークが推奨され出した。オフィスに居合わせる人間を削減するために在宅でできる業務ならオンラインにシフトしようというわけ。ただこれも適用されるのが正社員のみで、非正規労働者は対象外という事例があちこちで指摘されている。何よりリモワできる業種職種はごく限られていて、外回りや現場系の仕事のばあいそれは不可能だ。そして忘れてはならないのが、リモワできる環境条件はリモワできない仕事を担う人々によって支えられていることだ。

 夏・秋に感染者数が減ってくると政府は旅行と外食を促した。GOTOキャンペーンである。観光業と飲食店の救済が目的とされたが、実際には大手旅行代理店やぐるなびと結びついた利権や中抜きの問題が指摘され税金を使って行う政策として公正が問われた。

このGOTOと感染者増加が無関係なはずがない。医療労働者はその間も感染拡大防止と感染者治療のために、必死に現場で奮闘していた。おそらく政府の無策によるひずみを最も被っているのは医療従事者である。巷でマスク不足だった時期にはPPEも十分に配布されず(大阪市では防護服の代わりに雨合羽の提供を市長が市民に呼びかけた)、危険手当はいまだ病院ごとに格差があり、慰労金はなかなか届かず、病院赤字によって夏冬のボーナスはカットされ、感染を防ぐため私生活に厳しい制約を課されている。これでは退職者が増えないほうが不思議だ。

で、今回一都三県に出された緊急事態宣言で憂き目を見ているのは飲食店である。夜8時以降の営業自粛の根拠は会食クラスターの頻出らしい。しかしウイルスは夜行性なのだろうか。外食は楽しみや贅沢だけでする「不要不急」の行為なのだろうか。たとえば営業や運輸、夜勤のある仕事など現場系労働の「外で働く人々」にとってイートインできる飲食店は不可欠のはずだ。そういう人たちが利用するのは決して「夜8時以降」だけではない。もし本当に飲食店利用が感染拡大源ならば、飲食店には補償を渡して休業させ、デリバリーや小売りを拡充して外に出ざるをえない人たちを支えるべきだろう。

 ざっとふり返っただけでも、職業や雇用形態が違えば人々がこのコロナ禍で見ている世界はそれぞれあまりにも異なる。補償のあり方や金額もカバーする対象が狭すぎるために同業者間にさえ分断をもたらしている。その陰で「あの仕事はブルシット、この仕事も不要不急」などとジャッジする姿勢が進んだら、この社会は本当に機能するのか?

 私が昨年忘れられなかった出来事に、炎上を招いた平田オリザ氏の発言がある。

https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2020/04/0422.html

製造業の場合は、景気が回復してきたら増産してたくさん作ってたくさん売ればいいですよね。でも私たちはそうはいかないんです。客席には数が限られてますから。製造業の場合は、景気が良くなったらたくさんものを作って売ればある程度損失は回復できる。

この後平田氏は発言をめぐって以下のサイトで返答しているが、製造業従事者への謝罪や理解はこの文章には入っていない。

主宰からの定期便|平田オリザ|青年団公式ホームページ

社会維持のために、文化政策にはより手厚い資金投入と擁護が必要だと私は考える。演劇をはじめ「不要不急」扱いされたあらゆる文化活動に対してである。だが、平田氏の発言・態度が招く帰結は異なる業・職種間の序列化と分断だけだろう。それは社会階級にもとづく文化資本の序列化と連動し、かつ強い政治性をもつ。かつて、活字の本は文化だがマンガは子どもの学びを阻害する有害な娯楽と言われた時代があった。こんな発言の延長上にはそれと同じことが文化活動をめぐって起きかねない。

エッセンシャル、ブルシット、不要不急―、職業をめぐって「上から目線」で補償対象の線引きをしたり、対象に含めたり排除したり、方向性のまちがった感謝の提示がなされたり(医療従事者を称えたブルーインパルスや電飾、感謝のお手紙など)、文化の成熟とは程遠い社会のありようが露呈した一年だった。今年は各人が従事する活動のちがいをふまえて真の連帯を作っていきたい。