いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

精神的なことは物理的なこと

 寒風のなかで飲むコーンスープは美味しい。

月・金は19時まで開いているハローワークを出て、自販機で買った缶入りコーンスープを外で開けて飲んだのが先々週の月曜夜である。

 

 実は、12月の職場面談で、雇用契約の期限を入職当初書面で提示した最大4年までと思うようにとの話を受けた。現在3年目なので雇用期限は21年3月末までをメドに進路を考えるようにとのこと。完全にこの期間でクビとも断言できないが、いまそれを言われるのだからやっぱり雇用はこの時までと思うのが妥当だろう。今年1年間はいわば執行猶予みたいなかたちで、仕事はある。

 

 この最大4年とは無期転換制度との関係でもうけた年数で、私以外の他の非正規雇用者は制度成立から最初の5年目をもってすでにその年数に該当するため無期転換できたが、今いる非正規雇用全員を無期にするのは難しいため、等々の説明があった。

 

 要するに非正規に対してよくある契約期限の説明である。

 

 よくあるし、私自身はいずれ地元を離れるつもりでちょこちょこ求人応募もしていた。だが、年齢や経歴からして県外転職は厳しいなあと考えてた矢先のことであり、何より昨年の面談では4年たったからハイサヨナラ、とはならないという説明を受けてそれをメモしてあることを振り返ると何か納得いかない気分で、先月半ばに上記を言い渡されて年末年始はかなりの悲痛と落胆を味わう時間となった。

 

 家族には言ってない。地元と遠方の、ごく限られた友人にしか伝えていない。

 

 自分が現職に不向きなのは解っている。

 

 自分でもずっと居ることは自分にも職場にもあんまり良くないな、とも思ってきた。

 

 ただ、入職当初私には高額の奨学金負債があり、一昨年完済できたあとも到底次のステップを踏むだけの蓄えにはほど遠かった。それでもこの短期間で経済的余裕を何とか作り得たのは非正規としてはかなり好待遇の現職収入があったからだ。それには感謝しているけれど、これが足かせになるならもう離れてよいということだろうか。

 

 実際こんなことでもなかったら本気で地元を離れ転職するインセンティブもそうないので、ある意味ではチャンスかもしれない。そんなふうに考えられたのは年が明けてから。目ぼしい求人を探して数件応募し、いま一つ結果待ちである。

 

 私もこれまで何もしなかったわけではない。年末年始は昨年からやってた通信の授業と課題をこなし、求人応募書類を書いて(断続的に応募して書類のアプデをしておいて良かった)、別の転職サイトに登録し、今年の時期ごとの優先順位を決めた。ハロワに登録し直し、職業訓練校の見学説明会に行き、同様のスキル習得目的で民間スクールを調べ説明も受けた。そうやって動きながら、徐々に活路になりそうな方向を探れている。

 

 

 悲壮な気分というのはこの時期とくに助長されやすい。冬で、年度末特有の多忙さ不安定さに溢れ、退職・転勤・転職で人の入れ替りがある。この国の会計年度の決まりがそうなっているだけのことだから、あとはとれる範囲の選択肢を見渡して対策の先手を打つ。身体を温めるという物理的なことは、悲観的になりやすい気分、精神的な問題の悪化を食い止めるのに役立つ。これと同じで、メンタル疾患や自殺等の問題は、雇用や賃金や社会保障、最低限の身の安全を守るための衣食住の有無や多寡に左右される。

 

 最低限の物理的インフラさえ壊れた社会では精神論など空疎なだけ。大人がやるべきことは、皆が人たるに値する生存ができる物理的条件の整備である。「ものづくり」は本来そのための工学を指すはずだ。

 

 あとは、変な空白の時間を作らないこと。不安やネガティブな感情は、多忙な時間の間隙を突いてささやかなひと時にさえ入り込みその人を苛む。息抜きの時間にはなるべく意識して楽しくリラックスできることをしたり考えたりしよう。

 

 制度も市場も私的領域も、人間が作ったもの。人の力で変えていけるはず。先の見えない時代にあって、そんなことを考えながら毎日過ごしている。

 

 

 

 

 

街の動脈を歩く

 先週明けから、落ち着いていたはずの右足指がにわかに痛み出した。整形外科でのレントゲン撮影からは、骨折患部は7割方くっついているため添え木の必要はなく、湿布をしてもらう。

おそらく自転車再開と屋外作業に伴う動きすぎ、軽い飲酒によって痛みの閾値を超えた炎症反応では?という見立てを薬剤師さんからもらい、それがどうも当たっているみたいだ。湿布でだいぶ楽になり、この連休はなるべく安静を心がけてわりと良くなった。ただ湿布はモーラステープなので日光に当てないよう注意をしっかりしている。

 

 それでも金曜日、とくに夕方から降り出した雨の中、どうしても本屋へ寄りたくて駅前で電車を降りた。目的の大型書店まで駅から徒歩2、3分ほど。健康な人ならすぐ行ける場所が、足をかばいながらだと5分強はかかる。書店を出て駅まで戻る道はもっと大変で、本降りの雨の中傘をさし、リュックと手提げ袋を携えてゆっくりと歩く。

 

スクランブル交差点を渡り終えた途端、立体駐車場から車道へ出ようとする車に出くわす。急いでその前を通り過ぎようとするも、実質足を引きずった歩き方では敏捷な動作ができない。どうにか通り去るも、つぎは駅前の横断歩道から街中へ出てくる人たちと、駅へ出ようとする人たちが入り乱れる狭い歩道だ。

 

  足腰の不自由な人にとって、人混みはかくも危険かつストレスフルなものかと愕然とする。

 

 傘をさし、足場も悪い中ぶつからずに歩くのは至難の業だ。急ごうとすると、どうしても身体に無理な動きを強いることになり、患部の再受傷や別の部位を傷める可能性がある。

 

 人混みはそれ自体固有の速度を持っている。その速度や流れに応じて歩かなければ、滞りが生じて遅れる本人も周囲も危険だ。ここは小さな地方都市で、私鉄は三線の在来線と路面電車とバスを有する一社のみ、自家用車ほぼ必須の街だから、首都圏や関西大都市圏よりは混雑も速度もはるかにマシだろう。にもかかわらず、退勤ラッシュ、週末、雨という条件下の街中心部の駅前は、小さくても街の流れを形作る人の動きを実感できる。人波の滞留しやすい場所か、足早に通り去る場所か、人々が昼食を買いに殺到する場かくつろぐ場か、酒の入る場か、ダイヤの乱れがちな公共の乗り物を待つ場かー。

 

 こうした人の流れは都市計画である程度調整できる。都市は人間が造るものであり、その場固有の役割や流れを作ることで、公私にわたる人間の活動を十全に引き出せる。地元はべつに駅を中心に発達した街ではないはずなのに、駅前の一角は街の動脈と化していた。

 

 これから車の使用をやめる高齢者が増えるなら、公共交通機関は車内環境、動線、本数、乗り換えダイヤほか精緻な工夫が必要だろう。快適な私的空間たりうる自家用車を離れ、あえて公共の乗り物に切り替えるには、まず歩くペースや時間配分を乗り物に合わせる必要がある。停車場で隣り合う人との距離、車内に乗り合わせる人のマナー、人いきれ、汗のにおい、風邪やウイルスの漂う空気や手すりやつり革。これらをどう緩和し、相互に快適な環境を作り出すのか。

 

街の動脈を自由の効かない足で歩きながら、「街の足」は文字通り身体にねざしたセンシティブな生き物として考えなければ、としきりに思うのだった。

 

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チャリの景色、クルマの景色

  先週月曜から自転車通勤を再開した。それはよいのだが、炎天下の自転車こぎをあんなにキツく感じるとは思わなかった。自宅から職場まで、直行だと30分弱はかかる。行きも帰りも汗だくで、今まで当たり前に乗っていたことを不思議に思い、体力の低下に驚いている。足指骨折から2ヶ月が経つ。患部は順調に回復しており、通院も2週間に1度となった。患部をスポンジでしっかり固定すれば自転車乗りもOKと医師から許可をもらったのでそうしたのだが…。

 

 自転車と自動車では同じ通勤路でも見える景色は全く違う。移動手段のちがいがもたらす都市景観の経験の差異については、東口豊「都市景観の相対性理論ー移動手段の多様化によるイメージの変容」(西村清和編著『日常性の環境美学』2012年所収)に詳しい論考がなされている。

 それは第一に速度のちがいに起因するだろう。自動車は速い。空いている道路だと一直線に目的地へ向かえる。自在であることの快適さはまさにこういう時に味わえる。ただし速ければ速いほど、その景色は視野の広いもの、前方から見通しを中心としたもの、目立つものに特化した大味な輪郭として現れる。

 

 一方自転車は速度では車に劣る。動力源がエンジンとガソリンの自動車とちがって、基本乗り手の体力だ。その代わり、車なら決して目に留まらない光景を捉えることができる。職場まであと数百メートルの地点にある在来線の線路沿い土手には、フェンス越しに満開の空色朝顔ヘクソカズラの群生がある。もう少し経つとセイタカアワダチソウやススキが伸びてくる。手前の、土手を利用した小さな畑と併せて広がるこの自然の風景は、車なら決して見ることができない。歩道をあの速度で走るからこそ目に留まる一枚の絵だ。ほかにも民家の軒先や窓の様子、庭の植物や田畑の育ち具合を仔細に観察できる。自動車では一瞬で通り過ぎる点、または自動車から見える風景の輪郭をなす一点が自転車では立派な一枚の絵として立ち現れる。

 

 第二のちがいは、景色を知覚・表象するために用いる感覚器官である。自動車に乗る人は四方をフロントガラスに守られている。車内の者は周囲の情報や影響を直接的に知覚することは少ない。このため自動車から望む風景は視覚中心になり、聴覚、触覚(外気を直接浴びることはほとんどない)、嗅覚はあまり使わない。かつ目的地や見たい対象のみに特化した近づき方ができる。そんな中冷房をきかせてカーラジオをつけ、あるいは好きな音楽をかければそこはもう立派な私的空間となる。マイカーにこだわりを持つ人、車を手放さない高齢者の心理はこの私的空間としての自在性への愛着、また自分らしさの反映が可能なことにあるように思う。

 

 これに対して自転車では、通る路面のあらゆる情報を直接的に知覚する。視覚以外の感覚もフルに用いられる。青葉の影も紫外線も、開けた場所の風も埃も、フロントガラスを通さずすべて自分の肌に降り注ぐ。路面の凹凸もペダルを通してじかに身体に伝わる。草むらや並木の葉擦れの音、遠方の工事音、夕方の店の活況、道行く人の話声も時折聞こえる。あるエリアでは異臭、疲れ切った表情、そのオーラ、道にただよう雰囲気そのものの中へ突っ込んでいく。とはいえ、歩くより速度が速いので脱けるのもすぐだ。道一本挟んで向かい側へ、また一本でも別の通りへ入れば別世界、という経験は自転車だと鮮やかにできる。とはいえ自転車の動力源が乗り手の体力である以上、自転車から見える風景には天候と、本人の体調を含むコンディションが反映する。水分補給のためだけにコンビニで飲み物を買い、駐車場でキューっと飲み干し、ふたたび自転車で去っていく自転車乗りは多い。

 

 ところで自動車は渋滞にハマるとにっちもさっちもいかない。自在な私的空間は、この物理的な制約ゆえに運転者の意思ではどうにも制御できなくなる。そういう時自転車は小回りがきく。トイレも水分補給も乗り手の判断でできる。自転車と自動車、どちらの自在性を選ぶかという自由や選択の余地は、ただ若さや健康によって左右されるのだろう。

 

平日と休日のあいだ

 夏休みを頂いた。7〜9月までに3日消化しなければならなくて、その2日目を今日にした。

 

 わが家は多忙である。県内市外に住む入院中の祖父を看る&祖母を歯医者へ連れていくという用事のため、父は8時前に車で出発した。寝床から何となく物音を聞いてそれを確かめた私が階下へ降りると、ダイニングで母がコロッケを仕込んでいる。先週末は土曜出勤後友人と会うために出かけ、夕方祖父の病院へ泊まり介護、月曜朝帰宅してその夕方から仕事へ出てきた母である。今朝は朝食の片づけ後、油で汚れたガステーブルのゴトクを外して重曹等で洗い、冷蔵庫に丸ごとあるキャベツとレタスをほぐし千切りにしてタッパーへ詰め、コロッケの具を拵えて卓上でポータブルTVを見ながらコロッケのタネを丸めているというわけ。

 

 ちょっとは休めばよいのに性分なのだろうか。衣をつけて冷蔵庫へコロッケをしまったら今度はスニーカー3足を洗いに帽子もかぶらず裏へ行ってしまった。ほどなくして戻ると今度は職場仲間からのLINEを確認して、今度人生の節目を迎える同僚へのお祝いに関することでやりとりを始めた。それが昼前だから、この3時間強後に彼女は仕事へ出かける。

 

 母は、まあとりわけ強靭なタイプだと思う。こんなことをすべての人が出来るはずもなく、だから世の中は人手不足と偏った役割分担に悲鳴をあげる人倒れる人続出で、昭和レジームの建前はもういい加減維持できなくなっている。そこへ賃金上昇を骨抜きにする消費税増税と、要介護1,2の給付外しと走行税実施がもし行われたら、もはや地方で自立して生きられる層は壊滅するだろう。

 

 日々の暮らしは、「ながら」の連続だ。洗濯機を回しながら台所で湯を沸かし、水切りの食器を片づけ調理をする。子どもに注意を注ぎ声がけをしつつ膳立てを整える。仕事をしている時もその最中に前後にある準備と後片付け、フォローを考える。

 

 ある行為と別の行為の切れ目はそんなに明瞭なものではない。純粋な意味で「何も考えずに」行動するなんて、実生活では案外できないのだ。母がお祝いする同僚もじつはシングルマザーで、定年後本格的に自分のお店を開きたいと前から考えていて、まだ勤めを続けているうちにその前段階を兼ねて店を始めるのだという。人生百年時代に皆、自分の先行きを懸命に考えている。

 

 子育てや介護をしている人にはもっと顕著で、自分だけの時間や、自分のことだけをできる時間はあってもごくわずかだ。自己と他者の領域が、時間が、複雑に、緊密にまたは緩やかに絡み合って作られるのが日々の暮らしである。

 

 仕事が休みでも「休み」じゃない。職場に行かなくてすむだけで、家の用事や仕事以外の領域で相互乗り入れを繰り返す、と共にひとつの時間にいくつもの行為を同時進行でやるのが現実だ。

 

 だから、働き方も8時〜17時土日休にこだわる必要はない。祝日をやたら増やし、限られた日にみんなが一斉に休む、というスタイルは現実に不適合である。戦後高度成長期につくられた

「人生の中でこの時期は学業だけ、この時期は仕事だけ、または子育てだけ、リタイアの年齢も横並びで決めてそこから先は働かない」というライフコースも、一人の人が仕事「だけ」、子育てや家事「だけ」を担う分業も、いまや機能不全かつ機能させる条件が成立しない。そんなわけで、誰もが休みたい時に分散して休める働き方が、超高齢社会で子育てと介護を同時に担うダブルケアが増える現代には必要だと思う。

 

 「ボランティアであり学生である、会社員であり学生である」ー、放送大学のポスターを見ながらこれからは一個人がいろんな役割を生きる時代だなあと痛感する。学生であり労働者である、労働者であり家庭人である、労働者である一方消費者でもある、親でありまた子でもある、一人の人間にはさまざまな属性が絡み合う。

 

現役もリタイアも、学校から労働への移行も、平日も休日も、キッパリ分けないで人それぞれの関わり方で生涯を生きる。それが、どんなに日本が零落しようと個人が前向きに生きていく条件を見すえる第一歩なのだろう。

 

散歩道から

 晩夏にさしかかり気温がマシになった。足指の骨折がだいぶ回復して少し長く歩けるようなので、夕方散歩に出た。

 

 カボチャの葉。畑からフェンスに巻きついて空へ蔓を伸ばす。

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 ザクロの実。白壁と夏の緑が映える。

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 あるお宅の生垣。ブルーセージ、トケイソウゼラニウムの静謐。

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 ある畑のゴーヤ。背後はキウイ畑。

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ゴーヤと赤紫蘇のコントラスト。

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 別の畑にてオクラの花、サツマイモの葉。

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 畦道のたぶんヒルガオの蔓とテイカカズラ

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 ある塀より垂れ下がるゴーヤの熟した実。

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 ざっと20分強の散歩で得た光景たち。植物はいつもその時々の姿をたたえるだけで美しい。置かれた時間の中でその過程ごとの姿形を精一杯実現するだけで絵になってくれる。寄せ植えのコントラストも日差しや季節ゆえの枝ぶりも、ある条件下に偶然成る一瞬であるにもかかわらず、命を十全に生きるプロセスがそのまま無比の作品となる。

 

 散歩はこれだけの豊穣さをもたらしてくれる。あとは無理をせず、ゆっくり時間にまかせて足の回復を待つことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

囲い込みの果てに

 先週の日曜午後、一番近いコンビニで用事をすませたあと逆方向の坂道だがどうしても喫茶店へ行きたくて徒歩で向かった。自宅からたいした距離ではないが、最短距離につながる道路は山道を少し整地したていどの急勾配で、自動車が身体スレスレに通り過ぎていくような狭くて足場の悪い道なので、今の私には危なくて歩けない。よって遠回りして住宅街の裏にあたる小道を小川に沿って歩く。足指を骨折した右足は添え木を外せたもののまだ完治はしていないので、走ることも自転車に乗ることもできない。土日は入院中の祖父の介護のため両親もそれぞれの車で出払っている。行動範囲はおのずと縮減する。

 川沿いの畑では夏野菜がうっすら終盤を迎えている。しかしトマトもカボチャもよく繁り手入れが行き届いている。住宅の密集したこの辺りは家庭菜園と花壇や植え込みがそこかしこにある。目を惹かれるが、なにぶん炎天下を歩くのはきつく、近道をしたくなる。目的地のカフェはちょうど三差路の角にあり、どこかの路地を抜けたらたどりつけそうに見えたので、小川の橋を渡って建物の陰を歩く。

 が、抜け道だろうと思って入った小路は戸建ての敷地で行き止まりだった。そこには幼少~学齢期の子どもがいるだろうファミリー向けの大きな戸建て―たぶんマイホーム―が並び、各家に2台ほど車がきれいに車庫へ収まっている。各家の玄関先はきれいに掃かれ、ゴーヤやフウセンカズラのカーテンが美しい。小川から引いた用水路を挟んで敷地の向いは畑のサツマイモはそれだけで絵になる蔓と葉の形姿を呈し、大事に育てられたオクラの青い実が愛らしく、ジニアやヒマワリも鮮やかだ。この付近のお宅が借りている菜園なのだろう。

 結局行き止まりなので川沿いまで引き返す。日差しはじりじりと焼かれるようだ。足を引きずるようにしてカフェ駐車場に面したバイパス脇まで歩く。通りへ出てみてあらためて思う。ここはバイパスを使って車で来る場所なのだ。広い駐車場はそのためだ。都市中心や近隣住民のカフェというより、郊外型居住者向けの立地と造りの店なのだ。

 白壁に瓦屋根、日本庭園を擁し、紅い和傘をしつらえた入り口から店内に入ると、お盆休み最終日のせいか空いている。汗だくでレモンスカッシュを注文し、窓辺の日本庭園に目を移す。酷暑で青草の端が少し焼けているものの、園内の草木は青々としていてよく手入れされている。広い店内は木造で有線放送ではない音楽がかかり、手前も奥もテーブル席がいくつもある。

 田舎に住む人々がマイホームとマイカーを所有する理由がわかる。それらがないと快適さを身の回りに実現できないのだ。身近に徒歩圏内にリフレッシュできる場所が少なく、あっても行くまでの交通手段が確保できない。公共施設や文化施設が中心街から離れて分散しているわが街では動線もメチャクチャでわざわざ目的がないのに気晴らしに行くような所ではなくなっている。中心街へ行けば洒落たカフェも数多あるけれど、郊外に住む人たちは付近まで車で来ざるを得ない、なのに駐車場を探すのが面倒―。中心街の限られた場へ行くまでのコストが半端ないのだ。

 だから、快適なものは自分で買って手元に置きたい。花を、緑を、それを植える敷地を、家を、それらを自由に買いに行けるように車を買う。かくして善いもの、快適なものはほとんど個人所有で私的空間に囲われていく。個人の家や庭、畑が目を見張る精彩を放つのに対し公園や公共施設が貧弱で殺風景というのも地方ではよくあることだ。
90年代以降実施された一連の構造改革はつくづく地方都市に痛手を与えたと感じる。大店法で個人営業店を潰し、小選挙区制で地方の民意を反映できない仕組みを作り上げた。公共部門は非効率で無駄が多いからと公務員とその人件費を削り、事業の民営化を進めた。

 善いものの私的空間への囲い込み、「自己責任」と称した社会的な問題の私事化、公共セクターが担っていたサービスの市場へ民営化。これらはすべてprivatizationの一言で表せる潮流である。

 帰り道によく見ると宅地側からカフェへ連なる階段がある。だがそこは戸建ての隙間にある草の生えた溝地から延びた石段で、足場が悪く、足腰の不自由な人には危険だろう。これからもっと高齢者が増えるのに、運転免許返納が叫ばれているのに、それまで地方でふつうに暮らせていた人たちが年をとり、車を手放したらはたして尊厳ある暮らしができるのだろうか。地方で真に「健康で文化的な生活」ができている層なんて今何割いるのだろうか。足が治ったらどこへ行こう?そう考えるのは励みだし希望にもなるが、ちょっと足が不自由になっただけで移動が制限されるのはおかしくないか。

 すべてを囲い込み、私事化し、所有し、自助努力と私費でまかなうこと。この帰結が、高齢者だけでなく病気や障害をもつ人、妊婦や子どものいる人たちを生きやすくすることは決してない。誰のものでもない、皆に開かれた場と回路、すなわち公共の概念を今切実に求め実現していく必要がある。

父の楽しみ

「きょうは、下駄の日です」。

 朝一番、父の車に乗り込むと音声が響く。日ごとに初めてエンジンをかけた時、その日が「何の日」かを教えてくれるシステムらしい。

 

 足指骨折につき走れず長く歩くこともできないため、都合のつく日には家族に送ってもらうようになってひと月近くなる。母は平日は2店舗かけ持ちで仕事、休日は入院中の祖父に付き添いで泊り込みという過密スケジュールで、送迎を担うのは主に父だ。

 

 当初は道路がどれくらい混むか分からず渋滞回避のために早く出発していつもより30分近く前に出勤していたのだが、最近は空いてる道を覚え、最も道が混む雨の日の8時前後を避ければけっこう余裕で到着できることがわかった。

 そうなると、自転車通勤ではまず使わない通りの佇まいを毎朝観察できる。中心街から伸びる道路からいよいよ職場近くの工業団地付近へ入る通りの角には神社と森があり、管理者とおぼしき日本家屋の門には見事なキョウチクトウ琉球アサガオが咲いている。屋根瓦が夏日を照り返す。

 

  帰りはもっと意外な場所を通る。父は安いスーパーで食材をしこたま買い込むのが半ば趣味のようで、母と私はいつも半分あきれていたものだ。それも近所の店ではなく、郊外の聞いたことのない店を「秘密の場所」と称し、4枚98円のコロッケや2丁入り98円の揚げ出し豆腐などを嬉々として買ってくるのだった。

 

 で、今回ついにその秘密の場所を突き止めた。

先述の神社の角付近の通りをゆくと、子供服店と物流センターの並ぶある建物敷地の真裏にある24営スーパーで、近所の人でなければここにスーパーがあるとはちょっとわからない。ある日、いつも食べてる棒状の食パンを買うという父について初めてそこへ入った。

 

  店内は広く品揃えも豊富だ。野菜はあまり質が良く見えなかったが旬のものがそろっている。父は一種類ずつ手に取り値段を見て冷蔵庫の中身を思い出しながら(在ると分かっていても買うのだが)カゴに入れてゆく。

 

 肉や魚は安く、1パック分の量が多い。父母と私の3人しかいないのに、父は何でも大きいほうを買いたがる。鮭切り身10切れ入りを見せてこれにしようかと言うのでそれは多すぎると5切れのほうを選んでもらった。鶏モモ肉もほっとくと4枚目入りを買ってくるのでせいぜい2枚にしてもらう。まあ今は介護付添用弁当やふだんの昼食に必要なおかずになる。「冷凍しといたら後々食べるだろう」と言う父にしか、わが家の冷凍庫内の収納はできない。

 

 とはいえ父は食品の値段をよく知っている。安い品に敏感でもやし1袋がここなら20円未満で買えること、その日は翌日が29日で「肉の日」だから明日はどこそこのスーパーで肉を買おう、麺つゆやみりん、油は別のスーパーではいくらだから明日そこへ行こうとか、ふりかけはここが安くて1袋68円、ボトルコーヒーはコンビニの半額で並んでるとか。大袋で並んだ菓子類もどこよりもコスパが良いそう。豆菓子、ナッツ類、酒のつまみになる「柿の種」の亜流みたいなあられ類は業務用みたいな売られ方だ。これもカゴにいれる。

 

 やっと目当てのパン売り場にたどり着く。棒状食パンは一本が3斤くらいある。これが200円もしない。他にもハンバーガーやホットドッグのバンズ、メロンパン、コッペパン、調理パンが並び、父は一つずつ説明してくれる。

 

 そんなことをしているから会計は3千円近く。お金は少し前私が渡した生活費の封筒から出していたので別に文句もないが…。

 

これ以外にも父はよく産直市で野菜や果物を一箱、スイカひと玉という買い方をする。菓子も買うが、ジャンキーなものにはあまり手を出さず、むしろゼロから調理が必要な生鮮食品が多い。消費するほうも大変だ。わが家はぜったい他の家よりもエンゲル係数が高い、と私がこぼすと

エンゲル係数が高いんじゃない、物価が高いんや」

「食べるものをしっかり食べるから元気でおれる、粗末な食事で病気になったら医療費の方が高い」

と言い返される。

 

  父を見ていると社会とのつながり方もまた人それぞれなのだと思う。スーパーを通して物価と旬と時勢を知る。それはかつて専業主婦がしていたことだ。

 

 多忙で活動的な母は、退職してからの父が働くでも趣味の集まりに行くでもなく、たまに介護とスーパーへの買い出し以外外出をろくにしないことを憂い嘆いてきた。あたしの方がよっぽど忙しく動き回ってる、人との交わりがないのはダメ、社会とのつながりがない、等々。しかし、定年後再雇用で68歳まで働き、義母の介護を手伝い、在宅の折は家事の半分はやっている人にかける言葉だろうかとも思う。父自身は時代劇をDVDで楽しみ、図書館で借りた本を読み、パソコンを広げてインターネットで調べものもする要するにインドア派なだけである。

 

 マイカーの音声、スーパーの広告、カーラジオTVからのニュースで「今日がなんの日か」を確かめ、リタイアした自分と社会に固有の視点や接点が持てるなら、それはそれで豊かな時間を生きているのかもしれない。