いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を変えたく奮闘中。既定路線から降りても研究と執筆を開花させるには?人生の時間比率は自分仕様に!

気まぐれと絆しのはざまで

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上の写真は、連休初日に訪れた山陽の街中にあるバス停で撮った藤の花である。晩春とはとても思えない寒さの中、昼過ぎに高速バスを降りてから外を歩く行楽はもう中止して夕方までずっと宿にいた。これはその宿へ向かう途中にふと視界に入って惹きつけられて写メに収めた一瞬の気まぐれである。

 

 街中は人出も多い。色んな年齢層やカラーで溢れている。私のすぐ前には四人の幼い子どもを連れた母親らしき女性が歩いていて、私が藤を撮り終えようとするちょうどその時に、鋭い声で子どもの腕を引いた。車が通っている横断歩道へ走って出ようとするのを止めたのだ。小さな子は好奇心旺盛で世の何にも慣れず、大人の予測がつかない突発的な行動をする。叱るのが一瞬遅ければ、事故につながっていたかもしれない。

  じつに、子どもの面倒をみることは常に神経を使い心を配り、気を抜けない。子育てで辛いのは「自分のことが何一つままならないこと」だと聞く。一瞬の隙に誤飲や転倒、ケガや失跡など子どもを命の危険にさらされる状況はたやすく現出するので、つねに目を離せず注意を向け緊張し、食事もトイレも自分のタイミングでできないー。これはワンオペ育児だけでなく多動の認知症高齢者の介護もそうだろう。

 

 とはいえ子連れや高齢者に対して色々問題はあるにせよ、彼/女らはまだ様々な社会的つながり・社会的紐帯の中に在り、良くも悪くも絆しに絡めとられて生きている。実際にケアが必要な人を特定の一人だけで面倒をみるのは危険かつ限界があるし、関わる個々人の善意によってかろうじてであるにせよ、それはまだ社会的包摂の一環をなしている。

 

 今の私は、そういう立場ではない。

 

 そこに居たのは一人旅の途中としてである。

 

  辺りを見渡しながら、あるいは周囲に何ら気を配ることなく自分のタイミングで歩き、視界を定め、止まりたければ止まり、カメラを向け写真を撮れる。実に気ままに、そして気まぐれに動けるものだ。

 

 だが一方で、自分のこの気ままさが社会的つながりの希薄さ、社会的排除紙一重にあることも意識できる。かつて自由なイメージで語られたフリーターがその実不安定雇用労働者であり、多様な働き方と称して政府が雇用の流動化と破壊を推し進めたように。低賃金と社会保障に絡めとられて居ないせいで結婚も子どもをもうけることもできない人たちが持っているように見える「気ままさ」は、社会に繋ぎとめられていない不安定さ危うさと紙一重である。

 

 平成三十余年にわたって、この国は社会統合のコストを放棄し続けてきた。もともと福祉国家の機能をほぼ企業が代替し、残余部分のケアは家事育児介護すべて家庭に丸投げして繁栄をきわめた日本社会は、企業内福利厚生のハシゴを外したとたんにその脆弱性をあわらにした。

 国家や企業が手放したケア責任を一手に担わされた家庭や地域ももはやインフォーマルなつながりを失い、バッファは低減する一方だ。

 

 いったい誰が排除された人に目を向け、人が作る社会へ参画する機会へ連れ戻すのだろう。砕片化しフラグメント化し、点在する島宇宙から個々の眼に映る固有の風景が無限に近いほど在るには在るけれども、それらは決して互いに交わることはない。

 

 本来、生活保障やケア提供は手厚い公的セーフティーネットによる負担を前提に、血縁以外の多様なタイプのネットワークによって支えられるべきだ。それこそが結局、個人の自立ー近代的主体概念はもはや自明でなく問い直しの段階にあるけれどーを促すのである。

 

 人一人が生きて成長する過程で必要な「傷つく権利」、試行錯誤の機会を包摂できる社会。これは、平成の失策に気づいた個々人が、新たな目覚めのもとに社会と関わり、必要ならば運動によって築いていくしかない。

 

前田正子『無子高齢化ー出生数ゼロの恐怖』から言えること

無子高齢化 出生数ゼロの恐怖


 人口減少、人手不足、少子化、高齢化、若者の貧困化、日本国全体の貧困化—。これらが一つの糸で結ばれるのが本書である。
 これらの問題は近年頻繁に論じられるようになったものの、それぞれ個別に語られることが多く、まして若者支援や国内労働市場における女性の低賃金を議論の要素や射程に組み込んだ主張はなかなか表に出なかった。


 なぜこれほど少子化が進んだのか?団塊ジュニアから生じるはずだった第三次ベビーブームが起きなかったからだ。
 なぜ起きなかったのか?1993~2005年にかけての学卒者にあたる就職氷河期世代への支援対策を放置したからだ。
 なぜ放置したのか?この世代を不安定な非正規雇用に押しとどめることで、彼らの親にあたる団塊世代の正社員雇用を守ってきたからだ。

 「最も有効な高齢化対策の一つは少子化対策(p.84)であり、若者への「就労支援と貧困対策こそ少子化対策」(p.142)であるにもかかわらず、それらは果たされなかった。


 私が本書を有用だと思うのは、その背景・要因として就職氷河期世代の犠牲を取り上げていること、労働と家庭における女性の位置づけー男性稼ぎ手の家計補助とされてきたゆえの低賃金、安定雇用の欠落、専業主婦が介護や育児を無償で一手に担わせるモデルの残存ーへの言及があるからである。


 バブル崩壊以降、日本の雇用慣行は経済のグローバル化にともなう産業構造の変化に対応できず、1995年の日経連『新時代の「日本的経営」』方針以来、国内企業は非正規雇用の増加で延命をはかってきた。正社員雇用やその給与、福利厚生が縮小低減されていくなかで、結局日本は日本型雇用慣行に代わる成長戦略も労働・社会参加のルートを生み出すことができず、三十年間にわたって家族形態や社会保障設計においても「昭和レジーム」から脱却できなかったことがわかる。

 このことが、現行の生産年齢人口とくに就職氷河期を経験した30~40代にさまざまな困難と不利益をもたらしている。

 本書ではダブルケアへの言及がある(p.36)。育児と介護の両方を担う負担を考えると、晩婚カップルは出産を躊躇するだろう。

 また子育て関連施策の社会保障への移転が進まなかったことに関して、介護の危機は比較的共有され介護保険など制度確立につながったのに対し、子育てに対する公的支援の必要性がなかなか理解されなかったことも書かれている(pp.80-83)。子どもを産み育てることは個人の私的な問題であり、私的領域である家庭に丸投げしておけばよい、という考えは自己責任論とともに根強い。本書ではこの考えを否定し、人生前半(=若い世代)への公的支援の必要性を主張する。

 さらに、地方在住の高卒者にもふれている(pp118-121)。2000年前後、「高卒事務系の仕事がなくなり、求人は大卒者へとシフト」し、「高卒者の有力な就職先であった製造業が失われ」「残った製造業は従業員の非正規化を進めた」。失われた三十年で最もひずみを受けたのが地方在住で家庭の裕福でない高卒者であったことを忘れてはならない。地方で起きた疲弊はやがて都市部にもおよぶだろう。

 いまや「人口減少を上回るスピードで現役世代が減」り、これまでどおりのサービスもインフラもやがて維持できなくなる少産多死の社会が到来しつつある。人口が減っていくことを前提にインフラを維持管理できる規模に組み替えなくてはならない。これ以上若い世代をないがしろにしては、高齢者が自立したくとも介護されたくとも、サービスの担い手がいなくなるだろう。「家計補助」ではない現役非正規労働者に生活できるだけの賃金を手渡すことが急務であり、最も有効なのだ。でないと社会は維持することも再生産することも不可能になる。

 平成はつくづく人材養成の機能や負担を放棄し続けた時代だったといえる。企業は即戦力要求のもとにOJTや研修を放棄してきた。有期雇用者を数年で置き換え続けるモデルでは技術継承もままならない。社会参加のルートが労働、それも正規雇用での労働にほぼ限られていた日本では、そこを外れると結婚や子どもをもうける機会も失うことを意味してきた。教育も改革と称して予算・人員・公的責任の縮小がなされてきた。それは社会統合のコストを手放すことでもあった。その結果、どこともつながらない社会被非排除者が膨大に生み出された。

 それは大きな損失であり、人権の否定だった。若い世代が社会へ参加する最も大きく主流たる回路である労働が、徹底的に損なわれた時代でもあった。本書の指摘と提言は、今後の社会展望を語るうえで不可欠の大前提といえるだろう。

下り坂の時間

 私には年上の友人が多い。大学院は社会人と留学生ばかりだったし、そこを出て働き始めた時も世間で言う新卒採用の年齢で就職したわけではなかったので、同年齢の同期というのが存在しなかった。

 

 もちろん歳の近い同僚は前職にも現職にもいる。が、彼/彼女らはそれまでの来し方が自分がこれまで多く接してきた人たちとはずいぶん異っていて、あくまで仕事場で関わる人たちの域を出なかった。

 

 地元の友人も、帰郷してから今も会っている人はわずかだ。同じ市内に住んでいても休みが合わなかったり家が遠かったり、同居の配偶者や親たちとそれぞれ違う生活を送っている。年賀状だけのやりとりの人もいる。ただどんな日々を過ごしていようと、時間だけは確実に過ぎていく。

 

 今年64歳を迎える私の母は、祖母(母の実母)の介護が終わってからも2ヶ所にわたるパートの仕事をかれこれ15年近く続けている。1日に2ヶ所合わせて8時間働き、時間外手当もつかないのに持ち帰り残業をしている。60歳を過ぎてからは再雇用となり、給与は今までよりガクッと減った。それでも社保がつくというメリットがあり、家でじっとしていられる性分でもなく、来年くる完全退職までは続けるつもりらしい。

 

 「消化試合よ」と母は言う。たしかに定年までの間、慣れた仕事を惰性でこなし、残りの時間をのんびり過ごそうという気持ちはわかる。しかし、そんな言葉はあらかた先が見えている安心感と余裕がなければとても口にできない。なにしろそれは今後も「試合」があること、試合を続けられる条件が整っていることが前提だからだ。この前提のうえに、人生の下り坂をゆっくり降りていくイメージがある。

 

 年とった親と暮らしていると、この下り坂の時間の方向を随所で意識できる。

 

 仕事も、経済成長も、結婚も子育ても経験し、家を手に入れ、子どもを高等教育まで進学させた。世間でいう成功とはかけ離れた結果や、思うようにいかなかったこともたくさんあっても、ともかくもそういう機会を得られた。親世代、私の親が該当する団塊世代が生きたのはそういう時代だった。

  で、物欲・金欲でガツガツ貪る時代は終わり、これからは心の時代、非物質的な豊かさを求めよう、あとはもう余生のことで、趣味も程よくパッケージ化された、手頃な価格と労力で楽しめるもの、みんなが知っていてそこそこ理解しやすいものがよいー。

 

 (でも、ハングリー精神だけは失わず、低賃金非正規雇用でも会社に尽くしてね!子どもも産んで介護も忘れずにね!という腹はあるみたいだ)

 

 では私の世代、就職氷河期世代はどうか。

 

 いわゆる「社会人」のスタートラインにも立てないまま数ヶ月、数年の雇用で食いつないで今に至るのではないか。にもかかわらずこんなニュースがある。

 

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190411-00000502-san-bus_all

 

氷河期世代生活保護入りを阻止するという。もはやこの世代を社会保障の負担でしかない見方である。

 私を含めて今の30〜40代にはこの先歳をとっても下り坂の余裕や見通しの良さはない。しかし時間は過ぎて、いつかは壮年と同じようには働けない時期がくる。

下り坂に待ち受けているのが生活保護で、そのわずかな受け皿さえ阻もうというのか。

 

 昭和を振り切れずに新自由主義改革断行の末、なし崩しに人を育てない、人が生まれない社会になっていった平成。令和は、昭和の悪弊を洗い流す時代となってほしい。

 

 

紙片の効用

  今の私には自分でコントロールできることがわりと少ない。地元の地方都市で、両親と実家暮らし、かつチームワークの多い仕事となると、自分の選択や決定、采配で動ける余地などたかが知れている。

 

 そのことが、かつてどれだけ自分を苛んだか。

 

 台所もだいたい母が仕切り、父が食材をやたら買って好きなように使い、私が料理する時はたいてい食器カゴに溜まった食器や水切りしてある調理器具を仕舞うところから始めなければならなかった。冷蔵庫内の食材を確かめ、よし明日はトマトと卵の炒め物を作ろうなどと考えても翌日寝過ごして降りてきた食卓には切った生トマトに茹で卵が並んでいる。

 

 まあそうは言っても生活費は入れてるし、時間をズラせば好きなものを自炊することは可能なのだが、実家暮らしでこんなのは一例にすぎない。洗濯、お風呂、食事作り、食器洗い、全て家族の都合と段取りに合わせることは、長年一人暮らしでそれを誇りに思ってきた自分には想像以上に窮屈で気詰まりだった。

 

 家庭が大変な時に限って仕事もおかしなことが増え、坂を下るように状況が悪化する時がある。前職で、本当にキツイ時は自力で意のままになることといえば3ヶ月に1回変えるパソコンのログインパスワードくらい。あまり凝ったものだとそれすらはじかれ、たかがコンピュータやサーバーに自分は従属しているのだと改めて実感した。

 

 それでも唯一、自己決定で予定を制御するために実行していることがある。それは紙へのスケジュール書き出しだ。普段月ごとの予定をマンスリー手帳へ、週ごとの予定を雑記メモ用のA5ノートへ書き出しているのに加え、直近〜約5〜7日間のto doリストをメモしている。

 

 サイズはA4版裏紙を4等分したものなのでだいたいハガキサイズだろうか。これをまた四つ折りにして手元やカバンのポケットに入れておく。

 

 書くことの効用は凄い。漠然とした不安や後先の懸念、関係者へのモヤモヤはただ数個の箇条書きタスクへと落とし込まれる。とくに紙にペンで手書きだと、「わが手で始末をつけた」感がハンパない。

 

どんな難題も、この手のひらに収まる。

 

 いかに面倒なタスクも無味乾燥に紙片の一行にすぎなくなる。

 

タスクをこなして傍線を引くとき、私は自分でやるべきことを制御し征服していると実感できる。

 

 じつにこの紙片が友であり、伴走者のように思えてくる。

 

  本当はいちいち文字に書いて確かめる暇を捨てて身体と手を動かせる人間が、生産性が高く望まれる人間なのかもしれない。しかし私は世間や実体のない大多数の理想よりも、自分が納得ゆく日々を跡づけていきたいと思っている。

 

 

 

家はたんなるハコモノじゃない

 人が住まなくなった家というのはこんなに早く荒れ果てるものなのか。自宅周囲も空き家が目立つようになった。未曾有の少子高齢化で、空き家問題は今後ますます全国各地で拍車がかかることが予測されている。一方、マンションや戸建ては供給過多の風潮もあるという。人口の絶対数が減り、新たに生まれる子どもも減っているのだからその傾向もあるだろう。

 

 しかし「家余り」の時代なら誰もが気軽に希望する住まいへ入居できるかというと、決してそうなってはいない。住まいの貧困はいまだ存在している。  たとえば入居審査と保証人の必要は、ハウジングプアにとっていまだ立ちはだかる壁である。

 

そもそも空き家が増えていると言っても、住まいが「純粋な空き家」となるまでにはけっこう時間がかかる。私の近所には一人暮らしの高齢者が何人かいる。うちお一人はお子さんが同じ市内に住んでいるようで、時々そのお宅へ泊まりに行くらしい。おそらく一人ではできない用事や何かの手続きが要る時、体調が優れない時だろう。お子さんも親が心配で来た時は手を貸し相談に乗り、顔を見て安心する。ただ、お子さんにも自分の生活があるからべったり同居は難しく、高齢者当人も望んでいないケースがある。それゆえ何事もなければふだんは木造戸建に一人住まい、時々身内宅、もっと歳を重ねて健康にガタがくれば入院とかショートステイとかが増えていき、自宅で過ごす日は徐々に減っていく。どんなに健康な人でも歳をとれば一人ではできないことが増えていき、家や庭の手入れが行き届かなくなることもしばしばだろう。

 

 また、いくら空きそうな戸建があってもそれが入居希望者の生活ニーズとどうみても折り合わないケースもある。近くの学校密集区域には古い戸建住宅がたくさん残っており、住んでいるのは大抵高齢者夫婦だ。ここは街中で通学にも買い物にもわりと便利で子育てに適しているものの、家はほとんどが子連れカップルが住むには手狭だという。老朽化も激しくて親である老夫婦には愛着のある家でも、その孫を育て学ばせるにはスペース不足で安全面でも問題がある。ならリフォームすれば住むかというと、子世代の若い家庭に蓄えがあるはずなく、劣化した狭い家をわざわざ建て替えてまで子連れで住もうとも思わないため、仕方なく別居というパターンもある。

 

 かつて、増え続ける首都圏在住の高齢者を地方移住させ現地の医療福祉機関にケアを任せるという政府案があった。公的支援による高齢者ケアや若者の貧困対策をしぶる目的で、三世代同居が推奨されたこともあった。

 

これらの主張に共通するのは、住まいを余剰人口の容れ物か収容所とみなし、生存権を保障するインフラという視点を欠いていることだ。住まいは各人の生活事情にもとづく動線やサービスの必要を考慮してはじめて生活を支える場として機能する。それが、ひとたび生活困難を抱えた途端、無視されてしまう。

 

 たとえば生活困窮者に対する無料低額宿泊所の劣悪なサービス問題が指摘されている。

 

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190301-00268225-toyo-bus_all

 

 

 災害の被災者に提供する避難所も、間仕切りなしプライバシーなし、酷暑極寒の体育館という環境が数十年間変わっていない。以前物議を醸した「東北でよかった」発言は、命からがら生き延びた被災地に住む人々を、あたかもある箱庭から別の箱庭へピンセットでつまんで移せる素材のように考えている。

 

 住まいの貧困の根底には、住居保障を人権意識とセットで考える意識の欠落がある。もし今後、本当に住居の空きが大量に生じるなら、そこへ住む入居者が十全に人間らしく暮らせるための環境として住宅政策やメンテナンスを施行するべきである。

 

 

 

一つの癖

 同居の父はたまに細かいくだらない家事のことで小言を垂れるのだが、最近落ち着いて暇ができたせいだろう。再雇用を経て完全に定年退職したのは四年前、その時から母方祖母の介護や父方祖父の入院&介護泊り込み→施設入居、父方祖母の家の片付け・通院など家庭はゴタゴタして多忙だったが、今は違う。母方祖母が他界してからようやくこの頃、両親は自分の時間を堪能し始めた。

 

 だからだろう、時々家族の些細なしぐさが気になるようで、私に言うのはボックス入りティッシュの取り出し方である。

 

  私にはティッシュペーパーの端だけちぎり取って使う癖がある。ちょっとその辺を拭く時、塗りすぎた紅を均す時、耳のかゆい時、引き出しや窓の枠を拭く時ー。

 

 小さい頃からの癖ではない。東日本大震災で被災し、お金があっても物資が手に入らない経験をして以来である。

 

あの日、ほとんどの薬局やスーパーが閉まった。数日後徐々に営業を再開するも、行列に何時間も並んだり、点数制限を課されたり、やっと入れた店で買いたい品が売切れだったりした。営業時間も短く、物流は途切れ、物資はいつ入ってくるか分からない。停電が続き、大半の区域ではガスも水道も止まった。灯油・ガソリンもいつものようには入ってこない。

 首都圏や他都市では計画停電が始まった。物流は本当にいつまともに回復するか、当時は全く不明だった。避難所では隣にいた夫婦がレンタカーを借りるかどうかでモメている。買い出しに行きたくてもガソリンのストックが心配、GSには長蛇の列、かつ営業時間はいつもより短縮である。そもそも停電で信号機が機能していない混雑した街中を運転すること自体ふだん有り得ない経験だし、時間どおり戻ってこれる保障もない。

 

 明かりのない街があんなに不透明でピリピリしたものとは、経験するまで知らなかった。明日がどうなるか分からないということが、これほどまで街の空気を閉塞感で満たすこともそれまで解らなかった。

 

 私は住居は無事だったので電気が復旧してすぐアパートに戻ったものの、できることといえばとにかく手に入れた物資や食料を節約して使い、店の営業再開や水の汲める場所をラジオやテレビでチェックすることくらい。ストックが切れかけていたティッシュと生理用品を何とか購入した私は、テレビの「ポポポポ〜ン」を横目に物資をケチケチ使いながらインフラ復旧を待った。都市機能が麻痺してしまえば個人でできることはたかが知れている。

 

 その後、津波にさらわれた地域に仕事で訪れたり、素性不明瞭な団体が支援の名目で入ってきて売名に努めたり、被災後少なくとも半月ほど街中のアーケード内が闇市と化すのを見たり、両親も地元の友人も決して知らない経験をした。ティッシュの変な使い方はそういう経由で成ったものだと思われる。実家の両親にはせいぜい、災害に備えて食料物資の備蓄や非常持ち出しのリストアップくらいしておいてほしいものである。

 

 

服と収入と立ち位置と

 かなり高額の買い物をしてしまった。来週末、久々に学生時代の同期や先輩、先生と会う機会があり、聞けばかなり盛大な集まりらしく、会場も温泉街の旅館にある大きなホールらしい。もう16年ぶりに顔を合わせる人びととお世話になった先生にせめて失礼がないように、参加を申し込んで真っ先に懸念したのは服装だった。

そこそこ小綺麗でセミフォーマルな服が良いだろう、しかしそんなの持っていない。また普段仕事用の制服が作業服なので私服もそんなに持つ必要がなく、かつすぐに移動する仮の居場所として地元に暮らし始めたからオフにこれと言って集まる場もなくて洒落た格好をする機会もなかったため、まともな服がない!という引け目と心配を抱えて週末やっと百貨店へ足を運んだ。

 

 結論からいうと、カジュアルフォーマル共に使えるパンツスーツ上下とインナーを購入して一括払いで済ませた。

 

 それは振り返ると、焦りと負い目と虚栄心に駆られて急いだゆえの選択だった。

 

 この日は百貨店にて、家族が持っているポイントカードを持参すればポイント8倍、かつ割引が出来たのに、持って行かなかった。前日に家族からチラッと聞いていたが、家族も出かけるためバタバタしていて渡しそびれており…。支払い時、店員にカードはあるかと言われた時点で家族に電話するか、その場での支払いを留保し取り置きをお願いすべきだった。その上家にあった商品券も持参したにもかかわらず、この全額を使っても予算オーバーし、かなり自腹を切った。

 

 この件で家族からはもうボロクソの非難である。

ざっくり言うと、こうなるのはあんたが情弱だから!であり、それはふだん一人でばかり行動するからだ、お金のない人に限って要領の悪い買い物をする、ポイント付加や割引デーを使った賢い買い方をしないという話。たしかにカードを使えばあともう一枚は安いインナーなら買えただろう。

 

 しかし、滅多に行かない百貨店のカードなど持つだけ無駄だし作る手間が惜しい。 何より百貨店を二つハシゴして(市内にそもそも二つきりなのだが)、もとよりどんな格好がしたいかのイメージもなく服飾売り場を回って疲れ、夕方には考える気力が萎えていた。試着時に値札を見てギョッとしたが、良いものはどのみち高くつくし、早くこの件を終わらせたかった。

 

 ちょっとした同窓会でもある今度の集まり。皆どんな社会的立場にあるのだろう。家族からは「正社員でちゃんとしている人」もいるのだから場に応じたきちんとした格好や振る舞いもできないと恥だと言われる。私は非正規雇用とはいえかなり恵まれた職場で賞与もつくけれど、世間ではしょせん非正規である。正規でないならそんな服装も振る舞いも要らないと思うのだが、大都市圏から15年くらい認識の遅れた地方都市ではこれほど国全体が貧困化しても中流意識にもとづく「恥ずかしくない服装」が捨てきれないらしい。

 

 地方の貧困労働者であるにもかかわらず、成功した中流層の振る舞いを規範に身の丈に合わない買い物をしてしまった後悔。人並みでありたいという尊厳と、世間の常識に屈従してしまったというやり切れなさ。

 

 まあ、もう今回は良い勉強になったと思おう。特別な日のために、少し高めの必要なモノを買っただけなんだし…。

 

 これを機に思い起こしたのは、ふだんの日、労働者とくに女性に課せられた常識的な身だしなみにかかるコストや心身への負担を見直して是正すべきだと思う。日々の化粧、スーツ、パンプス、極寒でも酷暑多湿でもストッキング…どれほどの負担か?これだけでなく、高度成長期やバブル時代の雰囲気を引きずった常識やマナーが、仕事や生活の合理化や快適さを妨げているかもしれないから。