サントリーが出しているボトルコーヒー・クラフトボスの450mlがお気に入りで、仕事中はつねにそばに置き、自宅の机の上でいまもよく飲んでいる。
最近あれはカフェイン含有量がすさまじいという投稿をSNSで見かけたので、本当は飲むのを見直すべきなのだろうが、口当たりが良いので外で買うコーヒーは結局これを選んでしまう。
コーヒーは眠気覚ましに使われることが多いが、私は寝る前にもよく自室の机に置いたこのボトルから数口飲むことがあった。
ボトルを開けて、何度も空気に触れた中身は少しずつ風味も落ちているわけだが、夜遅くやっと風呂を終えてパジャマに着替えて布団に入る前に手を伸ばせばすぐつかめる机上にコーヒーのボトルがあるのは束の間の、儚くも確かな安心だった。
何より落ち着くのだ。
そして、冬にはどんどん遅くなっていった起床時、カーテンを開けてボトルからコーヒーを飲む。冷たくはなっているが、カフェインのおかげかどんなに睡眠不足でもそれで何とか頭が冴えてくる。
トースト一枚も食べ切れないほど慌ただしいほどギリギリの時間まで寝ているが、自分で選んだコンビニの食パンにオリーブ油を回しがけて、家族がコーヒーメーカーで淹れたコーヒーを飲んで出勤する朝は、それでも自分の生活の一部だった。
こうしてコーヒーが美味しいとまだ大丈夫、と思える。何が大丈夫なのかと問われたら、うまく答えられないのだが…。
コーヒーが美味しいと感じられるうちは大丈夫。
明日のコーヒーもきっと美味しい。
明日のパンもきっと美味しい。
一瞬の、物理的な快楽とはいえ、明日もコーヒーが美味しいと信じられること。それはきっと自分の人生を納得させる重要な作業なのだと思う。