いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

無条件の信頼

 屋外はすっかり人が戻った。市中すぐ横を流れる河川敷付近には小さなテニスコートやグランドがあり、スポーツ練習に興じる人も多い。遊具をそろえたスペースもあって、そこは多くの家族連れが集まっている。小さな子どもはもちろん、犬もいる。

 

 よく晴れた初夏の日曜、真っ赤に夕日が沈もうとして皆ようやく帰り支度を始めた頃である。ある夫婦が、柴犬を抱き上げて自分たちの自動車に乗せようとしている。夕日の逆光のなか、ドア越しにその犬の小さな足がヨジヨジ動くのが見えた。

 なんと無防備な姿だろう。

 なんとあどけないしぐさだろう。

 柴犬は抱かれるままに、仮に落とされても身を守れない体勢で体を飼い主に預け切っている。この犬は飼い主を信じ、自分を取り巻く環境もまた疑うことなく生きている。まだ子犬のせいもあるだろう。飼い主はきっと心からこの子を大事に育て、守っているにちがいない。

 その犬が抱いているのはおそらく世界に対する無条件の信頼だろう。世界は自分を優しく包み込んでくれて、鼻を向けても足を踏み入れても面白く、危険があっても自分は守ってもらえる。そのことに疑いやよこしまな意図が付け入る隙はない。

 それはむろん、飼い主が最新の注意と配慮をその子に傾けているからにほかならない。それは幼い生き物が育つために不可欠の条件だ。幼いうちは外的環境や他者に対して無条件の信頼に浸かる。やがて成長するにつれ、世界の危険と自己の脆弱さを知り、自己と他者への信頼は自らが意識的な努力によって築きなおすものであることを知る。

 私はすべての生き物ーいうまでもなく人間の子もーがその甘やかな豊かな幼少期を享受することを望む。だがそれは親や血縁のある保護者だけでなし得ることではない。幼い生命が安心してつまずきや不可逆でない傷つきを経験して成長できる環境の整備は、すべての大人が物心両面で多様な形態でもって実現していかなくてはならない。