いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

風の抜ける場所

 外出自粛が緩和されたからというわけでもないが、夕方の仕事帰りに自転車で散歩するのが目下私の楽しみとなっている。
 コースは職場から自宅付近までは直帰して、さらに東南方向へ迂回するエリアが気に入っている。どちらかというと温泉街付近にかかるのだが、木造住宅やしゃれた戸建てが多く並ぶ閑静な生活圏の小道を縫うように走る。

 自転車をこぐ動作が作り出す景色の流れ方は格好の気晴らしになる。自動車だと風景の享受は視覚中心になり、徒歩だと全方位から来る情報や感触を身体全体で受けるためコースを選ばないと淀んだ雰囲気の場所からは負の影響をまるごと浴びてしまう。その点自転車は風景を眺めるスピードを自分の身体でコントロールでき、同じコースでも天候や季節、生えている植物や水路の流れ方によって違う絵を見ることができる。

 自転車乗りは私にとって最適解の運動だ。一日働いた分の疲れやモヤモヤした気分、終日在宅した休日の漠然とした閉塞感が、自転車で走ることで手放せる。これも不思議なことに、心身に澱んだエネルギーがきれいに発散できるコースやアングルが存在する。

 一つは「流れ」を意識させてくれる場所だ。山辺を切り拓いたバイパスや蛇行する宅地の小道でもそれがより広い通りや豊かな山に連なっていることがわかる空間に立つととても安らぐ。勢いよく流れる用水路の淵も同様だ。

 もう一つは目を惹く街路や庭の一角である。濡れるような柿若葉が屋根に影をつくるとき、緑の艶を増した泰山木が花を開くとき、まだ若葉の色をした芙蓉の葉が伸びる傍らに生えたばかりのヒルガオの蔓が絡むとき、季節のほんの数日しか味わえないような光景をとらえたとき。心身と外的環境が巧みに調和する一瞬がある。

 ある小学校のプール周辺はオフホワイトの壁とターコイズブルーの柵・屋根の対照が美しい。その横の舗道はコンクリートで覆われているが水路がほとばしる音がよく聞こえ、立ち並ぶ戸建ての庭木は健やかなのがわかる。そういう場所はいわば気の流れが良いのだろう。人の流れや動線をスムーズにし、見通しが良く障りのない環境は、都市設計などで技術的に作り出すほかに、住まう人の意識的な努力と、通る人の意図的な良い風景への渇望から立ち現れてくるにちがいない。