いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

若葉の街から

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快晴である。こんな日にお勤めでブラインドの開かない部屋で仕事をする人はほんとに気の毒だなと思うほどの日差しだ。

今日はとくにハロワへ用事もなく、バイトもなく、あえて外出する必要もないのだが、そろそろなくなりかけた野菜の買出しを兼ねて散歩に出た。温泉街を抜けて山辺のお寺付近へ。そこのファミマで一服している。

観光地に近いだけあって旅行者らしき人も多く、明らかにバックパッカーとおぼしき人もいる。もちろん近所の人もくる。カフェの奥で仕事だろうか、PCを叩く人もいる。軒下で会話に興じる男性客。さきほどインスタント焼きそばを食べ終えて去ったバックパッカーの座席分広くなったカウンターでいまこれを書いている。

時間はゆっくり流れている。楠若葉の合間からおびただしい量の紅葉が落ちる。山の新緑を縫うように藤が咲く。緑の影はしだいに濃くなり、来月にはもっと黒々としてくるだろう。

観光バスが行き来する。駐車場で小休止する人たちはスマホや書面に見入り、何か差し迫った自分の用事に没頭している。 様々な時間ぎ交差する。

じつはこの少し前、この場所とは正反対の方角にある河原を走っていたのだが、ふと家の鍵を忘れたことに気づいて慌てて引き返した。近道なので中心街を突っ切った折に、ふと信号待ちで前職の同僚に似た人と目が合った。一瞬だった。時間とは、各々に課せられた変化の一過程にすぎず、どんなひと時もある流れの一側面でしかない。気まずさも悔しさも喜びも、ただ生きている間のことである。

ぶじ鍵を取り、ふたたび戸外へ出るともうペダルは街へは向かわない。移ろう初夏のいましか経験できない若葉の匂いの中へ、私は身をうずめる。

数日前撮った新緑の城を思い出す。

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緑のあわいに刻まれる影と同じような、些末な営為であっても個々の人は風景の一部をなす。もはや世界を統べるほどの大きな物語や観点はなく、断片化した各々が調和を欠いた世界であがくような時代である。けれど、自ら世界と折り合い自分なりに信頼を築きなおす技法の探求にあっては、既存の制度や慣習の枠など放棄してよいのだと強く確信する。