いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を変えたく奮闘中。既定路線から降りても研究と執筆を開花させるには?人生の時間比率は自分仕様に!

一つの癖

 同居の父はたまに細かいくだらない家事のことで小言を垂れるのだが、最近落ち着いて暇ができたせいだろう。再雇用を経て完全に定年退職したのは四年前、その時から母方祖母の介護や父方祖父の入院&介護泊り込み→施設入居、父方祖母の家の片付け・通院など家庭はゴタゴタして多忙だったが、今は違う。母方祖母が他界してからようやくこの頃、両親は自分の時間を堪能し始めた。

 

 だからだろう、時々家族の些細なしぐさが気になるようで、私に言うのはボックス入りティッシュの取り出し方である。

 

  私にはティッシュペーパーの端だけちぎり取って使う癖がある。ちょっとその辺を拭く時、塗りすぎた紅を均す時、耳のかゆい時、引き出しや窓の枠を拭く時ー。

 

 小さい頃からの癖ではない。東日本大震災で被災し、お金があっても物資が手に入らない経験をして以来である。

 

あの日、ほとんどの薬局やスーパーが閉まった。数日後徐々に営業を再開するも、行列に何時間も並んだり、点数制限を課されたり、やっと入れた店で買いたい品が売切れだったりした。営業時間も短く、物流は途切れ、物資はいつ入ってくるか分からない。停電が続き、大半の区域ではガスも水道も止まった。灯油・ガソリンもいつものようには入ってこない。

 首都圏や他都市では計画停電が始まった。物流は本当にいつまともに回復するか、当時は全く不明だった。避難所では隣にいた夫婦がレンタカーを借りるかどうかでモメている。買い出しに行きたくてもガソリンのストックが心配、GSには長蛇の列、かつ営業時間はいつもより短縮である。そもそも停電で信号機が機能していない混雑した街中を運転すること自体ふだん有り得ない経験だし、時間どおり戻ってこれる保障もない。

 

 明かりのない街があんなに不透明でピリピリしたものとは、経験するまで知らなかった。明日がどうなるか分からないということが、これほどまで街の空気を閉塞感で満たすこともそれまで解らなかった。

 

 私は住居は無事だったので電気が復旧してすぐアパートに戻ったものの、できることといえばとにかく手に入れた物資や食料を節約して使い、店の営業再開や水の汲める場所をラジオやテレビでチェックすることくらい。ストックが切れかけていたティッシュと生理用品を何とか購入した私は、テレビの「ポポポポ〜ン」を横目に物資をケチケチ使いながらインフラ復旧を待った。都市機能が麻痺してしまえば個人でできることはたかが知れている。

 

 その後、津波にさらわれた地域に仕事で訪れたり、素性不明瞭な団体が支援の名目で入ってきて売名に努めたり、被災後少なくとも半月ほど街中のアーケード内が闇市と化すのを見たり、両親も地元の友人も決して知らない経験をした。ティッシュの変な使い方はそういう経由で成ったものだと思われる。実家の両親にはせいぜい、災害に備えて食料物資の備蓄や非常持ち出しのリストアップくらいしておいてほしいものである。