帰郷前に住んでいた土地には、喫茶店文化というものがほとんど無かった。あるのはチェーン店のカフェか、常連でもってるような個人経営の喫茶店で、後者はいちげんさんが入りやすいとは言えない。小洒落たカフェは街中にはいくらもあるものの、本当に匿名で思いつきで、サッと入って出る、がし易いとは思えなかった。
地元に帰郷して瞠目したのは、個人経営で雰囲気の良いカフェ兼レストランがきっちり生きていることだ。人口52万少しの街なのであまり客層を絞るよりも、間口を広くして色んな立場の人ー単身者、友だち連れ、カップル、家族、子連れ、高齢者ーが気軽に入れる空気やメニューが鍵となる。
だが、それは今の時代簡単ではない。居心地の良さを構成する要素の一つに匿名で居られること、ベタベタ構われないこと、一人で入れること等を前に挙げてみたが、これらは高い技術を要する。
学生時代、学校の近くにそういう喫茶店があった。カフェ兼定食屋みたいな、学生、単身赴任者、近所の人の御用達といえる店だった。取り立てて珍しい献立は、ない。こんなことを言っては酷いが、本当に奇を衒うようなモノは一つもなく、昼間はカフェ、夜は食堂として学生を中心に仕事帰りの人や近所の常連さんが通う不思議な店だった。
強いて言えば、いや今は大事なポイントだと思うが、レジ台に季節の花が生けてあった。
この時期なら桃や豆桜、菜花やストック、スイートピーだった。きれい!と褒めると、そういうことに気づく人はなかなか居ないのだとマスターが応えてくれる。当時ご夫婦二人で切盛りしていた店も、もう十三年前に閉店した。正確にはオーナーが替わって暫く存続したのだが、かつての雰囲気はなく結局すぐ立ち行かなくなった。
新歓の時期には、そこを貸し切ってコンパが行われた。リーダーの合図で「大きな古時計」を熱唱する合唱団の姿が今も思い浮かぶ。若い熱気と苦悩と、モラトリアムゆえの停滞、生活を支える新婚家庭の不安や働き始めの疲弊した空気など様々な立場の時間が交差する空間だった。
そういう生きたお店が地元にはいくつもある。河畔に、街中に、山手の住宅街入り口にー。写真は街中の古いカフェ。週末で諸々の思いを吐きだす人の会話で、満ち溢れています。