いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

ふたたび優先順位について

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祝福を。のどかな街である。

派遣の仕事にいくつか応募して詳細を聞く段取りをつけた、いわきびです。

今日はそれで一日が暮れた。いや二転ほどあった。これはと思う仕事が詳細を聞くとやはりやめた方が良いと判断したり、他に候補を挙げてもらって検討し上記の状況へ。

連絡を待つ間カフェで読書のつもりがドッと眠気がくる。今月あたまからの諸々の疲れだろう。何程も進まなかった。

帰宅後、送別にもらった品々の包みを解く。
昨日はモノたちに込められた思いと重み(たとえ義理であったとしても、贈り物には相応の気持ちが宿る。まして好みの品なら尚更)で手がつけられなかった。

断捨離で、かなりのモノを捨ててきた。今もその実践は変わらず続けてあるつもり。だが、これだけ方向性が宙に浮いて志向の変化と行動と〆切日のタイミングが合わず、資金と時間だけが減ってく日々にあって、ゲットした資料(県外の職業訓練のチラシとか)は手元に残してある。

コーヒーを飲みながら、スマホで居酒屋の求人を探す。向いていないこと体力的に無理なのは解っているので、深夜バイトの相場調べだ。外食産業はキツイ仕事だが時給だけ見ると昔(十五年ほど前)よりずいぶん良いように思える。人手不足はやっぱり本当なのだろうか。

行動が滞らないように!と2月からとくにフル回転で動いてきたが、もう4月を迎えるし、機械的にやってくしかない。

本当は自分の机上から、発信し、読み書きすることをメインにしたい。が、来月半ばまでにせめて12万は稼ぎたい。でないと地元で返済&資金作りに切り換えた意味がないからだ。

優先順位がまたしてもわからなくなりかけている。でも行動していれば、道そのものは何やかや拓けるでしょうと思う、いわきびなのでした。

今日からのやることリスト

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祝福を。写真は近所の水辺から。
皆さんおはようございます。

今日からいわきびは制度上失業状態になる。 三つほど派遣会社に連絡して仕事はあるか、あれば応募する。
クラウドで来た案件の疑問点をクライアントに伝えること、(別件で32円の記事を書いて承認されたのは良いが、金額を振り込むのに手数料が500円かかる通知もきた。こういうオマケ付きとは。みんなどうやって活用しているのだろう??)

先週切り取ったワークワークを見てできそうなバイトに電話、いまリーディングリストに入れた短期バイト、派遣に応募。働くほうはこれらをしたい。
離職票が届いてからどこへどんな手続きをするか段どりを決める。ハロワ、役所の国保・年金課。

検討中の職業訓練の申込は4月から。

登録した派遣会社のサービスで受講できるeラーニングでスキル復習と向上をはかる。

そして、これがいちばん気が重いのだが関西のお友だちへの報告。

あと、地元(つきあいが続いている人たち)や遠方の友人とも連絡をとりたい。そのために遠方へ旅してもいい。

でも働いたらとれないまとまった時間で語学、文献読み、ノート、を進める。

もっと細かい地ならしや格闘はあるが、だいたいこんなところ。

良い一日をお過ごしください。

〈働く〉に多くを託すムダ

両親が引き揚げた食堂のテーブルでこれを書いている。一杯だけ焼酎の湯割を呑んで、あとは頂いた焼菓子をつまみつつコーヒーで一服している。

いったいなぜ、「働く」をめぐってこれほど多くの人が苦しむのだろうか。一つに、経済のグローバル化に伴う産業構造の変化やそれへ適合の失敗がある。今の国内貧困は90年代以降、なんのセーフティネットもなく日本型経営を解体していった帰結でもある。

もう一つに、古い時代の労働観にもとづいたあるべき労働者像や仕事像(多くは親やその同世代から量産される)がとりわけ地方の若い人を苦しめているのでは、と考える。

私は後者の罪も大きいと思う。親やその同世代と書いたが、そこには小学校から大学までの教員や、広くは労働組合などで労働運動に携わる、そこそこ社会・体制に批判的な人たちも含まれる。

彼らが言い放つ連帯や闘争は、過労死寸前の人や、「安定した」仕事に就けず社会的つながりからも排除されがちな人たちに対して救いになってない。非正規雇用でも種類や待遇にこれだけ差異があり、雇用期間もバラバラな彼らがただ同じ現場で一同に会しているだけ、の状態ではたして有効なのか。

集会やって声や拳を挙げるよりも、たんにセーフティーネットが大事とわかればあとはフツーに今ある雇用保険のもらい方や職業訓練の受け方や条件を教えればよい。

そもそも彼らには、たんなる生計手段としての所得と、やりたいこと、社会参加や社会的つながりといった側面をそれぞれ切り分ける発想がないのだ。ぜんぶ一緒くた。とはいえそれも、他先進国では福祉国家が担ってきた福祉機能を企業内福利厚生という形で全て会社に取り込んできた日本型雇用慣行を、そしてそれを可能にした高度経済成長という歴史的特殊産物を前提とする働き方しか知らず、またそれを基準にモノを考えていれば無理からぬ発想である。

生計つまり生存資源としてのオカネを得るため、仕事の向き不向き、やりたいこと、社会的承認、社会性、社会参加の場、成長の機会等々を、一つの労働に託すこと/一つの労働でまかなうことは、いまやかなり不可能といえる。一つの仕事で実現しようというほうが無理なのです。だから、それら全てを別々に考えて、賃労働以外のことで実現しようと考える若い人たちの見方はとても自然で健全に見えるのです。

仕事はオカネのため。テキトーに必要なだけ稼いであとは自分の人生時間を有効に使おう!みたいなことを発信すると、そんな考えは社会人としてどうか、政治や社会に無関心なのはよくないと眉をひそめる向きもあるかと思いますが。

たぶん、その生き方が既存の制度へのフリーライダー(ただ乗りする人)のように思えるのでしょう。しかし、働く人を食いつぶす企業は、再生産とケアワーク全般にわたる不払い労働をぜんぶ家庭に無償で押しつけて労働者を働かせてきた会社は、個々人の意欲や労働にどれだけただ乗りしてきたか。

また、個人が国家なり会社なりのシステムに関わって参加して制御しようとする努力に20世紀ほどの有効性はありません。組織や大義名分よりも個人が起点で到達点。「一人はみんなのために、みんなは一人のために」みたいなこといつまで言ってるんでしょう。

もし労働に貴賎がないなら、雇用の正規/非正規、直雇用/派遣、勤め人/自営業、所属を持つ者/フリーランスを問わず労働者であり働く者に変わりはない。
まず 生計のため、とりあえず生きていくため、手っ取り早くコスパ良く稼ぐ。働くことの意味なんかそのていどにとどめ、書類ばかり出させる就活から降りて、淡々と自分なりに世界への信頼を築く方途をめいめい探ってゆきましょう。

ここから

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一つの区切りはついたと思う。働くにせよゆっくりするにせよ、こういう時は自分の直感を信じてやるのがいちばんよい。停滞しそうだな、と思ったらその作業は切り替えて別のことに着手しよう。

しどろもどろで挨拶を終え、職場をあとにしたいわきびです。晴れた一日で、ふだん通らない道を走ったら良いアングルで夕陽が見えた。写真は自転車を停めてとったので、本当はもっと鮮明で味わい深い光景です。春の夕方らしい、白壁に沈む陽光の映える様子、行き交う人や車、提灯の下がる桜並木、花束を抱えた人。

暦に振り回されてはいけないが、日本の年度末が最も移動の激しい時期なのは確かで、今日明日に職場を去る人変わる人は多いだろう。

思うこと。嫌なことから逃げる、ということも立派に自分を大切にする行為なのだ。自分をとりまく環境や条件がどんどん悪化し、何をやっても好転せず疲弊とあきらめが募ることがある。そして自棄になってもうどうでもいいとばかりにお酒やくすりや甘いものやその他快楽に浸って自分を害し続けることも人間にはある。しかしそういう行為も「痛みから逃れようとする」気持ちに起因しているのであって、頭だけで本音を抑えつけていては嫌なことを嫌だと思う感情さえ麻痺してしまう。

そして、自分の心身の調子がすぐれなくなっても、その原因を自覚できない。あろうことか自分自身を責める人もある。そうやって負のスパイラルに落ちるくらいなら、嫌なものは嫌と認めて離れるなり相対化するなり、具体的な行動はとれなくとも自分の違和感にフタをしないでおこう。

帰宅し、急に気温も下がって一気に冷えを感じるのでいまストーブの前でこれを書いている。眠気がくる。明日からどんな日々になるのか想像もつかないが、リラックスして生きようと思ういわきびなのでした。

情況

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祝福を。

あさってから晴れて自由の身となるいわきびです。…家族と同居していなければ。

出勤しなくてよいのは嬉しいが、自宅が居心地が良いわけでもない。

いっそ本格的に篭ろうかとも考えるが、自分に不便なことが多いのでそうもいかない。

この3月に入ってから、ありとあらゆる選択肢が扉を閉ざしていく。県外で勤め先が決まらなかったのは想定内として、アテにしていた保証人なしの物件さえ借りる資金が足りないこと、雇用保険の受給が延びること(秋にさっさと辞めていれば別の職業訓練に申し込み、今頃給付も受けていた)、何よりこの地元で、あの家族と同居しながら半年〜1年を暮らすのは生きていても死んでいても魂の活力は同じではと思う。

自分が甘かったのだと言われればそれまでだが、そんなことは自分がいちばん知ってるし、地元しか知らない人たちより格下から、ゼロというよりマイナスからのスタートであり、この地で何も成さないまま老いていく自分しか想像できず屈辱しかない。

帰郷する時候補に上がった物件と、保証人を引き受けてもよいと言ってくれた学生時代の先輩に再度連絡をとるか?こっちで間借りできるところを探す選択肢もありか?

だがもうこの4日間くらい精魂尽き果て何もする気がしない。派遣応募も4月あたまの分はもう締め切っただろうか。首の後ろがひどく凝って痛く、寒気もする。引き継ぎもモノを言うのも億劫だ。

3月に自殺が多い理由はそりゃあそうだろうと思う。

老いていく自分。

ダメなほうへ足を引っ張る手がぞろぞろと伸びてくる感じ。

せっかく縛りがなくなったのだから旅でもすればと思うがそれも資金がもったいない。

よく人生で抜き差しならぬ状況に陥った人にプライドを捨てろという助言がされるが、尊厳ある暮らしを望むのはそんなに悪いことなのだろうか。安手の野卑な笑いを拒んで身を安らいたいという気持ちは、いけないことなのか?

明日になればまた良い案が浮かぶかもしれません。ですが、いわきびは少し先まで元気でいる自信がない。生きてはいるだろうが、魂が生きていない。

ぜんぶ詰んだので。売り言葉に買い言葉で大事な夢の一部まで口に出してしまい、後悔している。持っているものまで取り上げられた気分。

ここに書けることは書いていくが、今は前向きな条件が一つもない。

そうやって、2008年に一つ歳下の友人は死んでいったのだろうか。

どう結んでよいのかわからないのだが、勝てる市場を探して多様な意味で勝利の人生を取り戻したい、いわきびなのでした。

ゼロかマイナスか

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祝福を。
写真とは裏腹に心中穏やかでないいわきびです。

けっきょく、移住は先延ばしにして地元で働く選択が濃厚だ、と両親に伝えただけのことではあるが、それを機に親からの、まあどこでもあるネチネチとたしなめめいた発言があり、ほんとは家に火でもつけたい心境でいる。とくに父のほうは保証人にはならんと言い、こっちも一切期待せず、まあ介護が始まったらこちらに従わないばあいネグレクト、で対抗しようと今から考えている。

関西居候生活か地元労働か。無理やり前者をとる手もあり、後者はただ報告しただけ、なのだが男親のほうは「そんなに思うようにはいかない」ということを地元の訛りで面白そうに言う。

言わないつもりで居たやりたいこと(震災後に着手したこと)もわずかに言ってしまった。

死ぬ準備はできていない。

この返済残額で死んだら、まあちょっと残るのは恥くらいなものなので、今のところ選ばない。

今日はクラウドで記事を書いた。登録情報に手も入れた。通知もきた。

だが、身の置き所を変えたい欲求は叶っていない。

旅費はある。が、移住の費用はない。

関西の友人にも連絡を入れなければならない。

何か良い案が思いついたら試してみようと思います。一年後、自分に何か残されたものがあるか見当がつきませんが、きょう明日はまだ生きているつもりです。


覚悟の決めどころ

祝福を。

来月の身の振りも未定ながら、考えは浮かぶに任せて引継をがんばったいわきびです。

こういう時は頭で考えすぎないことにしている。本当に変転のときは、状況と心境の変化に容赦はない。数時間、数十分単位で目まぐるしく変化する。たとえば職場なら事情を知っている同じ業務担当の者が自分の考えを私に話し、次にたまたま備品を取りに入った別室で違う世代の人が言うことに立ち止まらされたり、あれあの制度はこの理解でよかったのか?とか疑問が湧いたりして、洗面所に行けば同世代の人のしぐさにただ生きていることの貴重さと尊厳を思わされ、しかしこの自分と重なるものはないのだと長く地元を離れていたこの身に決定的な事実をあらためて確認したりする。

まあ、職場で起きることなんぞいまの私には動揺のタネにはならない。今から9年前、進路が行き詰まって一ヶ月だけ海外へ出たり資格取得の勉強を勧められながら周囲に反対され進退きわまるところへ同世代の友人が自殺した報せがとびこんできて彼女とその周囲をめぐる人間関係のおおもとに不信を抱き…の頃に比べたらまだ考える時間がある。


三択だと思っていた選択肢はどうやら二択のようだ。

一つは、地元で実家に住まい、クラウドやランサーズで在宅仕事&派遣労働でひたすら奨学金返済にはげむ半年〜1年間。

もう一つは、居候していいよと言ってくれている関西の友人宅へ寄宿し転職目的の職業訓練を受けて、できれば週20時間以内のバイトをする日々。

前者はお金を取り、後者は転身を重視した選択肢である。

今朝まであると思い込んでいた三つ目の選択肢とは、地元で一人暮らしすること。もし契約可能な部屋があれば、安い家賃で地元で自活し家族と別居して働き、勉強と執筆を続ける、というもの。

でもこれ、あくまでMAXうまくいっての話だわ。

別居したとしても市内に住めば家族と断絶するわけでもないし、介護問題で揺れに揺れた昨年のことを思えば下手な情が湧いて介護に関わって家族関係がベッタリになり、結果としてキャリアにブランクができることもあり得る。
また、一人暮らしは今の自分には費用がかさみ過ぎてとにかく固定費を払うことに必死になり、貯金はもちろん返済もおぼつかない中途半端なドツボにハマるおそれがある。 もし思うこうに仕事が来ない、続かない、そして健康を害したときー、困るし、何を優先したいのかわからない途である。だいいち風呂の栓を抜いたままお湯を注ぐようなもので、部屋の契約と一ヶ月生活は可能でも今の自分にはあまり現実的な選択ではないみたい。

家庭の危機は誰にも訪れる。そんな時、「皆が働いていれば何とかなる」と同僚は言ってくれる。至言だと思う。しかしそれは、家族のメンバーが働くことメインの生活を送り、当人もそうしようという意思がある場合に限られる。メンバーの一人に家庭を支える意思がなく、家族とできれば距離を置きたいと考えているときには、正当とは言えない途かもしれない。

今は一週間の疲れと職業のしんどさがこたえてくつろいでいる。来週末には決めるだろう。ここが私的な心情吐露の場となっても、同じように自分の先行きを模索中の人がーまたそれを乗り越えた人がー読んでくれて、ともに奮闘できればと思ってしたためるいわきびなのでした。