いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から、働き方や住まい方を変えたく奮闘中。人生の時間比率は自分仕様に!

ドライブの記憶

土曜の夕方は特別な時間だった。

四国へ帰ってくる前は、その時間必ず原付を繰り出して郊外のショッピングモールへ出かけていた。アメリカ東北部を模して丘陵地を開発した、山野に連なるそこのアウトレットが程よい気晴らしとなった。

住んでいたアパートから片道トータル50分。秋冬には手足は凍えかけるが、今くらいの時期なら新緑の中をさっそうと突き抜ける。
桜のようやく散った山道を、眼下にちらほら渓流をのぞみながら疾走する。来月には早苗の植わった田んぼが見られるだろうか。広い道には両脇にメタセコイアが芽を吹き、雲とニセアカシアの花の白さが印象深い。

初夏にはだだちゃ豆(枝豆)が濃い葉を繁らせる。畔に咲くサルビアやダリアの赤さが真夏に若葉の色をたたえる緑の中に映える。くすんだ朱色をした民家の屋根も好対照をなす。

北国の秋はあっという間に過ぎる。その分週ごとの風景の変化は色濃く見応えがある。先週には稲穂が広がっていた田んぼは刈取りが済んでハセが並び、山中のモミジバフウは真紅となる。トチノキの実は9月には道路に落ち、人気のない道路をリスが青いクルミを加えて横切る。

ススキの穂や稲穂にかかる霧の光景。湿度の高い山中の空気は都会の人いきれとは全く異なる秩序のある世界を現前させてやまない。

本当はいけないのだろうが、冬も凍結した路面を原付で走って出かけていた。今思えばよくあんな運転ができたと思う。手袋をしても指先の感覚がなくなるスレスレまで走ってから頂く紙コップのコーヒーや暖房のそばの感触は格別だった。

そして何より夕景だ。丘陵地帯から見渡す街並みは白い建物がマッチ箱のようで、葉の落ちたケヤキや他の広葉樹の枝からのぞくピンク色の空と合わせて絵のようだった。

散歩は良い。自分と風景との一体化とは言わないまでも、自分が身を置く環境への信頼をとことん味わい取り戻すことができる。

いま、かつて住んでいた街のケヤキ並木を思い出す。これから6月にかけて、夜は霧に包まれる。新緑に漂う白いもやの中を一心に突き進んでいた頃の自分を思い出して、あの時ほどの緊張と焦燥をこちらで味わうことがないのに安堵とわずかな失意を感じる。