いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

いま一度、場の影響を考えると

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祝福を。写真は市内中心部の桜です。
場のもつ力というのは自分が考えている以上に強力で、無意識に人を拘束するのかもしれない。
週末のジタバタ旅から戻り、一拍おいて考えを立て直し中のいわきびです。今日はふつうに出勤し、淡々と仕事を終えてきた。職場ではいわきびの他に、同じ身分の人たちが何人か辞めるらしい。非正規とはいえいずれも主力と言い得る人材なので、残された人たちはちょっとびっくりしたようだが、いわきびはま〜そうだろうな、としか思わない。 皆さん本当にマジメに几帳面に、残業代のつかない範囲で時間の犠牲を払ったり、担当者の負担を先取りして仕事を手伝ったり、時にそれにつけ込まれて仕事を押しつけられたりしながら今日までやってきた。それを、人手もインフラも足りないことを放置し、毎月突貫工事のように担当とやり方を変え、だんだん整合性がとれなくなって歯車は狂い始め、いまや若手正社員が潰れかけるに至ってもう関わるのをやめようと決意したのかもしれない。

それにしても、場のもつ力は怖い。そんな職場でも矛盾を呑んで、機転を利かし、年の功や処世術に任せて何となくまともなメンバーと関係を築いていく人たちがいる。そうして、色々あってもどことなく平和でなんだかんだ言いながらホームドラマのように決められた枠の中で全ては起き、たとえ体制に楯突いても時がくればまた体制へと回帰していく物語のような空気が作られていく。その中で矛盾に気づき、何とか声をあげてもみなその平板な空気に均され覆い隠されてゆく。十分な処世術をそなえていたはずの若手たちもそうやって疲弊したんだろう。

その場に固有の空気は来る人にそこに合わせた所作を要求する。それが具体的にどんなものか言語化できればまだいいけれど、そうとは限らない。たとえばこの地元特有の息苦しさ、窮屈さ、煮詰まりやすさは、本当に風土の厳しい地に住む人たちからすれば一見恵まれて見えるので、合わない人は何に嫌悪をおぼえるのか自分でも自覚できないままごまかしようのない違和感を抱えて日々暮らすことになる。

働く場で最低限のインフラさえなく、身の置き所なくラインをたらい回しのごとく移動してみれば、そこに居ることが命のムダに思えた。そうやってわたしは退職を決めたはずだった。このブログも、働き方(稼ぎ方、生存資源を得る術)を変え、住まい方(どの地に誰と住むかだけでなく、身の置き所や居場所)を見直し実践するために、そしてその足跡を記録するために書いている。

だったら、こっちで職業訓練とか一人暮らしとか眠たい考えが胸をよぎること自体おかしい。ここに身を置く限り思考/志向はどうしてもここの仕様になってしまう。それを断ち切りたくて移住を決めたはずなのに、資金が危ういのと、当初の候補地が揺らいだのとで迷走に陥った。

まず、生活の段取りーとくに身の回りのことをするタイミングーを自分仕様に戻すことを優先する。だったら一人暮らしはまだ譲れない。そのために余分な支出を極力避けて、生活コストを下げる。雇われることや通勤してどこかに通う以外の稼ぎ方を試す。そっちに舵を切る過程でまた別の風景が見えてくるかもしれない。

こうしてる間も労働時間も、アイディアを浮かべては否定し、書き出しては調べている。自分の行動が、行く先々の場に縛られすぎていないか、もっと吟味する必要があるだろう。

さて、どうしたものか

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祝福を。
この数日間迷走気味のいわきびです。

地元を出るにあたって、色々調べては動き、結果が出て別の選択肢が湧き、試行錯誤を繰り返しては何が優先順位かわからなくなってきた。

山陽へ出て、安い部屋を借り在宅ワークと派遣労働を組み合わせてゆっくり自分の生活を取り戻す予定だったのが、先月あたまから志向が変わってきつつある。
わたしの年齢で正社員ふくめ何か「正統とみなされていること」へのアクセスハードルが高いのはわかるのだが、どこで見切りをつけるべきかわからない。


地元で暮らすことへの限界はうすうす見えている。長くここを離れて暮らしていれば、ずっと地元にいた人たちとは同世代でも価値観や利害関係や優先順位が異なることを昨年痛感した。まして今は転換の時代。同い年でも旧い価値観を払拭できない人、早々に捨てて新しい技術を取り入れネットワーク作りに励んできた人とでハッキリ明暗が分かれておる。で、いわきびは危機感はあったけど具体的な行動が今一つ及ばず前者組だ。

それで、職業訓練を受けてPCでもITでも情報関連技術を正統に体系立てて学びたいと思うのに、どこでどのコースを、が決まらずうまくいってない。

職業訓練は大きく二つに分かれる。

公共職業訓練と求職者支援訓練のちがい
http://jouhouguide.com/public-training

今回わたしは雇用保険を受給できるので、前者をやるべきだ、とハローワークで助言された。公共職業訓練は、雇用保険の受給が訓練修了まで延長される。通学距離が2キロ以上なら交通費がつき、担当者いわく「教科書代の足しに考えてもらったら」と通所手当もつくらしい。

コースによるが、だいたい半年〜1年間。

地元で受けたら1年間はこっちに住むことになってしまう。その場合、今の家を出て一人暮らしはたんに貧困に陥るだけではないか。

3月下旬、春分の日頃までには結論を出そうと思う。どんな落し所が見つかるか予想もつかないが、こういう不安定な時も楽しめたらよいなあ、と思うのでした。
写真は岡山駅構内のチューリップ。ほんとはこんなことしてる場合ではないのかもだが、目の保養に。

アクセシビリティについて

祝福を。
退職・転居を告げて数日のいわきびです。

求職も住まい探しも職業訓練も、調べて動いてバタバタしているのにいっこうに落とし所が見つからない。山陽、関西の都市部を徐々に絞り込んで「で、どうする?」の結論が出せずにいる。

職業訓練も、もうすぐ締切の県外のコースを申し込みたかったのだが、それは求職者支援訓練で、いわきびは今回雇用保険が出るのでこれに連動した(訓練終了まで受給を延長できる)公共職業訓練の方を窓口で勧められた。で、公共訓練のメニューはまだ詳細が掲載されておらず、説明会を順次行っているところらしい。他の候補地を見ると内容はすでに掲載済&募集開始だが、私が取りたいコースが公共訓練にはなかったり、コース一覧が未定だったり、またはメニューが豊富すぎるのは良いが締切に間に合うか、そっちで部屋探し間に合うか、など計画の立てように困る。ちなみに地元には、マッチングするのが無い。役立ちそうなコースもあるが、開始が遅い。

明日はまた山陽へ発つが、自分のしていることの方向性が「?」である。もう少しだけ、めぼしい求人に応募して試験へ、派遣会社への登録ももっとする、そして住まいの辺りをつけるー、はずが、資金がジリ貧になってきた。
だいたいもらうものが少なすぎるのだから支出が増えたらあっさりヤバくなるのは当然ですね。帰郷前に働いていた給料とは違う。そしてあっちのアクセスとも違う。交通費がかかる。市内も交通が不便なのでたとえば雨の日トラムでハロワへ行ってまた駅前へ戻るのに時間を食う。それでも十分おきに来てりゃ恩の字だろうが、と思われるかもしれないが、大都会なら問題なくできること、ド田舎ならあきらめがつくことのどっちも地元ではだめ。家賃も賃金も激安の中途半端な地方都市でジリ貧に陥ることの危険を帰郷四年目で痛感する。
あっこの状況ヤバイ、この選択ダメだ!と気づいても、素早い変化がしにくかったり変化に制約がかかったり、しがらみにジャマされたり、選択肢が少なかったりあってもアクセスするのが困難だったり、情報を得るまでにやたらハードルが高かったりコスト負担が大きかったり。
どこで何をしても逆境や不調は付きものだが、たまたま悪条件が重なった時に身動きが取れなくなってあっさり詰む、ということが地方では起きやすい。大都会に比べて田舎は、生存資源のなかでもとりわけ情報や支援制度へのアクセシビリティが良くない。大都市なら一日に五つのタスクがこなせるところを田舎では一つだけ、ということもある。

と書いているうちに夜が更ける。入浴と、登録向け経歴の入力をしなければ。

どこでどんな身の振りになるかわかりませんが、人生にはこんな旅もあるのでしょう。
現状を変えようと奮闘するみなさんと、ぜひ共に生きたい!!

さよならの前に

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祝福を。今日、退職と転居の予定を家族に伝えたいわきびです。折に触れてそうしたい旨はつぶやいてきたけれど、面と向かって報告するのは今日が初めて。
思ったよりあっさり淡々と受けとめておりました。たぶん、今の両親には子どもより親のことが優先だからかもしれない。毎週それぞれの実家だの病院だのに介護へ通う親にしてみれば、とりあえず自分で動ける子どもの体裁など目を向ける余裕がないのが実際だろう。

3年前の今頃、地元で一人暮らしをしようとして両親の猛反対にあった。二人にとって私の帰郷じたい不可解であり、奨学金返済残額も今よりずっと高額で、またここで何度も書いているようにびっくりするような時給の非正規雇用だったので、無茶なことに思えたのだろう。こっちでは保証人なしで借りられる物件は見当たらず、保証人になってくれるという友人を頼るのも借りだけつくるような気がして断念した。

そこからは、煮詰まりと停滞との闘いだった。震災後抱いた夢のための貯金も返済にあて、イチから貯め直すことに。貯金を手放してみれば、こんな貧困な雇用に留まる理由はかえってないことに気がついた。良い仕事が決まったら、などと考えていると1〜2年がすぐ過ぎていく。しかも、フルタイム労働、家族同居だと時間の使い方に制約ができるため、何かをしても「消費」に留まってしまう。それが嫌で、昨秋からジタバタを開始した。

そんなわけで、資金面の不安は在るものの前へ進んでいくことにしました。ここでもちょいちょい報告するので、気長に見守ってやって下さいね。写真は街中のミモザ。実際のこの周囲には、ビオラ水仙など春の花が溢れています。

自分の手から職務を振り返る

祝福を。
毎日少しずつ清算を果たして、前へ進んでるつもりのいわきびです。
今日は職場の倉庫を整理した。担当業務の古い書類を荷造りまたは廃棄して、できる限り保管庫を空けておかなくてはならない。夕方デスクワークがひと段落したので倉庫へ入り段ボールを組み立てる。もともと手仕事は苦手なほうだが、一日仕事をした後なのと、これまでここの仕事で手首を酷使したせいで、手の動きはぎこちない。箱詰めを終えてテープをかけた指には血が滲んでいる。毎年気温が一定数下がるとできる、ひび割れが血を吹いたのだ。あわてて口で湿しティッシュをあてて手洗いへ。いつもならなかなか止まらない出血が、幸い洗ったあと止まってくれた。

今の仕事は事務職で、しかも入職時から任されたのは殆どが手作業だった。月1万6千枚位の書類を受け付け、数え、分け、番号をふる。月ごとの〆切があり、その前後は山場で人手も必要となる。だがもっともタイトなスケジュールとなるのは番号をふるすぐ前の段階である。他の業務そっちのけで1万6千枚ほどを数日でさばくのだ。
当然、手に負担はかかる。鍼治療も受けたが仕事のダメージのほうが大きくて、一昨年の秋あたりから手指にしびれを感じ出し、徐々に動きが鈍くなっていった。

それでもパソコンを使う仕事なら問題なくできる。が、今の仕事のメインはどうしてもこの手作業であり、しかも端末は行き渡っているわけではないのでアナログ業務の合間にあちこちの部署で空いているそれを借りてどうにか仕事をしている。

こんなありようが、続けられるわけはない。職場にいる間、自分の段取りでできることは一つもない。これが工場のラインとかならまだしも、それぞれに座席のあるデスクワークだからたまらない。その上、大量の書類をさばけるようにと機械まで導入され、とはいえ仕分けは人がするため今度はこの機械に張り付く数日間というのができてしまった。
周りは曲がりなりにも21世紀の労働者をやっているのに、あたかも自分だけ19世紀にとり残されている気持ちになる。

さてそんなことを振り返っても生産的なことはあまりない。私がいまやっているのは仕事と住まい探し、仕事の引継ぎ、職業訓練も視野に入れてるので応募結果の日程と照らし合わせて申込検討。
何にせよ、今の地元生活は自分にメリットがない。収入が少なすぎるため大きな動きはできず、どこへ行くにも交通費がかかり、お金を貯めるには行動を制限するしかない。就活、集まりへの参加、奨学金の繰上げ返済、これらが集中しただけでもうギョッとする残高になる。
でも、守りの姿勢はとらない。動いて進んでいれば妙案も浮かぶだろう。今月初め、旅先で聞いた知人の急死を思い出す。たしか自分と五つも年齢の違わない人だった。恥も気まずさも生きている間のことにすぎない。

だから、現状維持をやめることにした。いわきびは明るみへ出るために、試行錯誤を続けよう。皆さまもどうか良い歩みを。

思うまにまに

祝福を。
昨夜日付けの変わる前には帰宅し、そのまま布団へバタンキュのいわきびです。
関西へせっかく行ったのだから、一泊してお友だちを呼び出してもよかったなど身勝手なことを考えつつ、それでも疲労のことを考えると帰って正解だったかと思います。

帰郷して、トラムも終わった夜の街をほてほて歩いて帰る。土曜の夜は人が大勢出張っていて、飲食店で談笑する姿がガラス越しに見える。たぶん、仲間内の集まりでしょう。そして、店主らしき人ともお馴染みなのでしょう。アットホームで心地よさそうに見えるその雰囲気は、いわきびにはもう窮屈に思える。
向こうでバスに乗る1時間ほど前、駅近の居酒屋で一杯やった。生中1杯190円という信じられない値段で、食事やその他の酒は普通の値段だがそれでも安い。店員は素早く席を案内し一人客も複数連れもうまく配置して店内に収めていく。注文も速く、つかず離れずの対応がいい。そして客はというと、これも思い思いのポーズやスタイルで呑みかつ喋る。通りに面したテーブル席で男性たちと冗談をとばしながらジョッキを傾けるスーツ姿の女性。学生時代のような気安さで2人がけの丸テーブルを囲むラフな若い男性客。カップルもいる。おばさんもいる。奥の6人がけ席では仕事仲間とおぼしきオッサンたちが肴をつついてのんびり話し合う。

昔、進路が行き詰まって手探りで始めた就活の一環で訪れた大阪のカフェもこうだった。身振りを交えて仲間と笑い合う女性客、本を片手に自分の世界に浸る人、日常の幕間に入ったそのカフェでけっこう深刻な家庭の事情を話す人。大げさな表現だが、人間ってこんなにも自由だったんだ!と思い知らされる一景の数々を経験した。

皆が好きに振舞っているように見えて、そこそこ場が機能し空気が淀まないのは、知らない人との距離のとり方がうまく、言葉や所作を他人との潤滑油とする文化だからだと思う。これは東京ではなかなか望めず、東北の気質では難しく、今の地元でもちょっとない雰囲気なので文化の地域差というのはどんなに均質化が進んだようにみえる時代でもそう簡単には消えないことを知らされる。

この記事は、自室のヒーターの前に立膝をつき、スマホで書いている。手元には本が2冊あって、どちらも平日細切れの時間では読むのが難しいにもかかわらず、この家にいると気が散ってなかなか進まないのだった。階下では、親の介護から戻った父が何やら夕食を拵える音がする。台所が空くのを待って、いわきびも料理をしよう。明日はまだ仕事である。
私が今の勤めや住む場所を放棄したい一番の理由は、自分の暮らす段取りを自分の主導権に取り戻したいからだ。旅先のカフェ居酒屋だけでなく、本当は全ての人がそれぞれの持ち場で、その人の思うまにまに生きてゆけるはずだ、という思いを根底に抱くいわきびなのでした。

人生の軌道のたとえ

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高速道路と列車、高速ビルの夜景がバスの窓からうねるように迫ってくる。朝早く四国を発ち、関西で就職試験を受けて今はその帰り。夕方に試験は終わって駅前で一杯やって、ターミナルの場所を間違えながらやっとたどり着いて乗車。
エスカレーター右側にびっしり並んだ人を脇目に左側を慌ててすり抜ける。目線を上げて天井に下がる案内表示を追いながら人の流れに滑りこむ。大都市では当たり前の動線も、久々に田舎から出てきた私には新鮮だ。結果はどうあれやって来て良かった。家に着くまでが遠足だから、あまり気を抜くのはよくないが。

こうして高速バスに揺られていると、遠距離恋愛をしていた十年前を思い出す。いわきびは東北に、相手は中部に住んでいて、東京で会うことが多かったが、その他の地でも都合が合えば出向いていた。旅先で会って別れる交際はしかし、時間と体力と金銭面の疲弊がかさむにつれ負担が増していった。会うのは良いが、その後どうするという見通しが立たなければ、結局徒労感が募るものだ。互いに異なる時間が流れる場所を選んで生活していれば自ずと生きているリズムも見ている風景も違う。そして自分の進む方角が、相手の歩むそれともう交わらないだろうと思ったとき、つきあいを続ける理由はなくなる。

朝、本州へ入る橋の景色を見ながらかつて世話になり尊敬もしている人たちのことを想起した。その方たちは同世代だったり所属を同じくしたり一時期そこそこの接点をもちながらも、今ではつきあい自体が解消したと言ってよい人たちだった。突然、この世から居なくなった方もいる。集まりで再び会ったにもかかわらず、声をかけそびれ先方は無視、という関わりもある。その時は身の置き所が定まらない自分の立場を口惜しくも思ったが、今ではそれでよい、と思う。

なぜなら、どんな人との関わりもたまたま人生の軌道を重ねる機会があったにすぎないからです。自分でその終着点が見通せなくとも、最期から見渡せば線グラフが無二の放物線を描いて交差するように、また異なる目的地を目指す人が同じ汽車で一定区間に車両を共にするように、人生の一時期を同じ場所や関心のもとに過ごしただけのこと。偶然の産物であるけれど、それもまたかけがえのないひと時でしょう。

一期一会といえばそれまでだが、そう割り切るまでにあまりに特別な意味や期待を込めて重ねて、私たちは現実を理解し自分の軌道を築こうとする。旅先の車窓からは山麓に多くの住宅街、また異国情緒ある建物が並び、各々が自分の世界像を持って生きているのだと思うと、いくら世俗が鬱陶しくても投げやりな感情は持つまいとも思う。22年前、ここもまた既有の日常を砕かれたのだ。

誰を愛そうと何に意味を見出そうと自由である。でも誰かの価値観や状況を、自分の幸福の条件に重ねてはいけない。孤独な作業ではあっても、個人がめいめいで生存の技法を紡ぎだすことで拓かれる活路を、その無比のフォルムを、私は古くて新しい論点としてずっと追っていきたい。