いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

古巣眺めて

終日雨で底冷えのするなか外出してきた。いくつか応募中である案件の、いわば予習のため。

神社の沿道も学園構内も桜が盛りである。散りかかる花びらと、わずかに吹き始めた若葉の下を、若い学生さんたちが歓声をあげて通る。サークル等への勧誘を兼ねたコンパもこの時期なので、春の嵐みたいな今夜でも街の飲食店は賑わっているのだろう。

私が大学生だった頃、学生の私生活やコミュニティというのはもっと猥雑で生活臭があって、放埓で、堕落とワンセットで、ドロドロしたものだった。サークルや同好会などの学生コミュニティには悪しき体育会系文化をそのまま再生産しているものもあり、なるほど今でいうブラック企業の成員としてうってつけの人材を育てる場だったのだなあと感慨深い。アルハラあり、文系でも体育会系のノリと企業文化の縮図ありで「昔は良かった」などとは決して言えたものではない。

留年者はゴロゴロいた。 そうなると郷里の親も怒って仕送りを止めるので、5年生以上は大抵バイトかけもちで生計をつなぐ。 休学者もけっこういた。不本意入学者も多かったし、生活や将来への疑問や人間関係の行き詰まり等々が重なって「引きこもり」状態になってしまう人もいる。

でもそれらは皆、学生時代という期間に特有の、大学というコミュニティが始まって以来もともとあったか切り離せない問題群として認識されている様子だった。私が学生だった当時なら、その認識も間違いではなかったろう。私の3学年ほど上の世代ならどんなにハメを外して留年しても、新卒一括採用レールに乗れれば職業人生をスタートできた。学校から社会への移行の受け皿は、何だかんだで今より機能していた。しかし、そう見えるのは表向きの規範であって、実際は既存の枠組みからこぼれ落ちる人は当時もいた。

失われた二十年といえば話は通りやすいのだろうか。心身を疲弊させる就活、その果てに入った職場で過労から精神疾患を発したり、自殺したり、退職して次の行き場が無かったり、そういう人たちは確かに居た。当時の周囲の「社会人かくあるべき」の圧力、非正規雇用への蔑み、精神疾患への無理解、SNSの未成熟を併せると、時代の雰囲気からもその苦しみはどれほどだっただろう。

ひるがえって現在、若い世代の貧困や労働問題はもはや日常化し、高度経済成長前提の働き方やライフコースなどは若い人たちにとって相対化する対象となっている。働き方や雇用をめぐる状況は何一つ良くなってはいかいけれど、そういうおかしな体制、システムから離脱する回路や受け皿は2000年代より増えたといえる。

若い学生さんたちには、自分をとりまく社会や学校や親、バイト先、その他制度や常識をどんどん相対化してほしい。現行社会に参加に値する価値なんてないと思っていい。税収と労働力と保険料を巻き上げたいだけなんだから。。
そして、おかしなことから離脱した人の受け皿を増やすこと、別の価値観やコミュニティとつながる回路を作ること(これが地方では本当に難しい)を、私の世代はしてゆかなければ。

雨夜の枝垂桜を見られて、人生こういうひと時もあってよいなあと思ったいわきびでした。