いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

シュトレンの季節に

クリスマスがやってきた。SNSではシュトレンの画像がたくさん出回っている。アドベントを迎えてから毎朝一切れずつ食べていく慣習の、ドイツのクリスマス菓子である。
この数年で洋菓子店でもよく見かけるようになった。シュトレンを見ると、子ども時代のクリスマスを思い出す。

今から30年ほど前、私は公文式の教室に通っていた。今の住んでいる居住地区とは違うが、同じ地方都市内で小学4~5年生のときだった。
たしか公園敷地内の公民館1階を決まった曜日に借りていて、地区内の子どもたちが通っていた。そこが12月になるとちょっとした忘年会を兼ねてクリスマス会を開く。
先生は40代半ば位の女性で、たぶんご自身も家庭があり子どももいらしたのだと思う。
クリスマス会は少し変わったもので、教室内を折り紙の輪つなぎ等で飾り、公文式の教材で使っている外国の歌を流し、いくつかの島に寄せられた机の上には簡単な袋菓子のほかに玄米のおにぎりが並ぶ。先生手ずから拵えたものだった。
卓上には子どもの喜びそうな肉料理も並び、幾品かは先生の手作り総菜だった。談笑の合間に先生はメニューの説明をしてくれた。玄米のおにぎりも家で白米しか食べたことのない自分には珍しかったが、先生のお宅ではいつも玄米なのだという。
シュトレンというお菓子のことをそこでチラッと聞いたような気がする。ドイツにはこういうお菓子があるのだと。お祝い事のケーキといえば生クリームに苺の乗ったデコレーションケーキが一般的だった頃、それは意識的にも文化的にもあまりに遠い世界の話だった。
ゲームをし、たしか一人ずつ今年のふり返りを話し、場が盛り上がってきたところで先生はマンドリンを爪弾きドイツ語のリートを歌ってくださった。
先生はなぜかドイツ語が堪能だった。公文式には英語以外の外国語学習教材もあり、たまにその紹介を兼ねて読むこともあれば何か文学の一節やその時のように歌に口ずさむこともあった。

今思えばこの先生はかなり高い教養をお持ちで、しかし地方在住のためそれを満足に生かす場がなかったのではないだろうか。
ドイツ語がペラペラで、マンドリンが弾けて、遠い国の文化や教養に明るくて、食卓には心身に良い素材で献立をあつらえる―、子どもの頃にそういう人を身近に知ることができたのは貴重だった。インターネットはまだ普及しておらずSNSもなく、一般人が不特定多数に向けて発信する手段を持たなかった頃である。
私はそこでたんなる自己顕示欲とは全く異なる、自分が関わる子どもたちに「善いものに触れさせたい」という態度をじかに経験することができた。玄米おにぎりの味も、マンドリンの響きも覚えている。それは彼女が人生の歩みのうちに積み重ねた一片にほかならなかった。

この十年余り、SNSの発達で誰もがライフスタイルを人目にさらすことが簡単になった。ネットを開けば国内外の多彩なクリスマスの様子が見られる。国内のクリスマス製菓も種類豊富で、ヨーロッパだけでもあちこちの国のスイーツが売られるようになった。
そしてTwitterを開けば溢れているのは「シュトレン警察」である。この短文投稿サイト独自の芸風も、正しい情報提供の有難さも分かっていながら、虚実が複雑に混濁し影響を与え合う情報社会にあって外来の文化が一般化できるだけの時代の特性にはたしてどこまで思いが至っているのだろう。
ネットによる情報の受発信が不可欠となり、オンラインの交信が盛んになった現代になお残る、地方で経験できる文化的機会の絶対的な少なさをふり返るたびに、私はこの公文の先生が体現してくれた善良さを思い出すのだった。