いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

もっと明かりを

 街中はすっかり晩秋の風景を呈しつつある。この時期美しいのは冷気に浸された紅葉で「霜葉は二月の花よりも紅なり」(杜牧「山行」)に深く首肯する。日が短くなると同時に心細さも増す季節に心身が求めるのは赤や黄金や橙の暖色だ。白い薄野に沈む半熟卵のような夕陽、八百屋の籠に置かれた柿と快晴の対照、黒々とした山に映えるハゼノキの紅葉、道の脇に咲く小黄菊やヤクシソウ、叢に狂い咲くタンポポ―。秋の光も紅葉も菊花たちも、私には灯火のように親しみ深い。

 じつを言うと暖色を求めるのはこの時期だけではない。何か気落ちすることがあると必ず夕景の色をした明かりを探す。古い戸建ての窓からもれる風呂場の照明、玄関灯、温泉街の賑わいを思わせる明かり、それらはすべてあの3.11に起因する。 

 東日本大震災当夜、私は近所の学校に避難していた。停電し、暖房もなく、真っ暗な体育館の椅子で配られた毛布と水とクラッカーを隣の人と分け合い一夜を明かした。携帯電話は通信制限がかかり、通話もネット接続もできない。自宅に戻っても真っ暗でコンセントを差しても点かないヒーターを前に充電できない携帯電話を持って過ごすなら、周囲に人がいる避難所のほうがマシと判断した。

21時頃だったか、TV局が取材に来た。集まった人たちに撮影用の大きなライトを傾け「今のお気持ちを聞かせてください」というようなことを2、3人に聞くとすぐ引き揚げてしまった。あれは暖かで広範囲を照らせる明かりだったが、一方的に被写体である避難者を映し先方の都合で消してしまう、ある意味で暴力的な照明だった。私たちはせめてあの大きな照明が欲しかったが、マスメディアは撮りたい絵だけを撮りたい角度から撮って流すことを今も続けている。ほどなくして奥から誰かが備え付けの自家発電を回してくれた。その小さな頼りない明かりと最大音量でつけっ放しにしたラジオから情報を(と言ってもほとんどが救援要請の読み上げである)聞きながら夜明けを待った。

 その時の経験からだろう。あの時欲しかった安心できる明かりの色を無意識に求めてしまう。そして闇夜は避難所の中だけではなかった。照明の消えた街の怖さをどう表現すればよいだろうか。数日の停電でさえ都市機能は停滞し、薄暮の頃からピリピリした不安定な落ち着きのない空気が街路に漂った。阪神淡路大震災の時、被災した街や避難所で女性がどんな目に遭ったかは以下の本に詳しい。

女たちが語る阪神大震災

女たちが語る阪神大震災

  • メディア: 単行本

都市に明かりがあることと、人間が作り出す文化や文明の明るさはどこかで符合している。もちろん電気エネルギーの過剰消費や樹木を傷つけてまで灯す電飾は有害で控えるべきではある。しかしあの橙色の明かりは朝夕自然を照らす太陽光でもあり、人間が煮炊きし生活する現れでもあり、命あるものが生きている証を思わせるシグナルだ。道端に灯る紅葉や菊花の灯火は一方的な視点という暴力性とは別次元の温かみを思わせてくれる。そういう明かりが欲しくて、人々は技術を磨き文化を高めてきたのではなかったか。そんなことを考える。

 写真は路上の小黄菊、そしてサルスベリの紅葉と実。
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