いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

憩いの朝はいつか

 

 ダイニングの窓には隣家の若葉が揺れる。イタドリかな?と思ったがよく見ると丈の低いクルミの木にも似ており、よくわからない。休日の朝、晩春の緑を眺めながら朝食をとっていると、ふと昔よく行ったホテルバイキングの風景を思い出した。

 

 地元では23日から軽症コロナ患者の宿泊療養施設への移送が始まった。県内の感染症対応病床数はいま半数近く埋まり、呼吸器等の対応がきちんとできる病床はほぼ満床だという。今後も感染者が増え続けるとキャパの不足が懸念されるため、感染症指定病院の病床を重症者にあてるべく、医師が問題ないと判断した軽症感染者が順次、県が借り上げたリゾートホテルへ送られる。

 

 バイキングでおなじみだったホテルは、じつはそこである。ニュースで外観を見ると驚くほど古びてしまったが、周囲の面影はそのままだ。

 

 2000年代の前後、日曜朝によく家族で朝食だけ食べにそこへ行った。駐車場には初夏の渓谷の音が響き、蔦の緑も印象深かった。ほかに大浴場だけの利用も可能で、土曜の夕方などにやはり家族で行った。それが再開発で周辺地域に観光ホテルが競合し、貧困化の時代の波に洗われて地元住民は可処分所得の余裕を失い、私たち家族もそういう楽しみから遠ざかった。デフレで安いチェーンの飲食店やカフェが市内に普及し始めたのもその後である。

 

 今回のコロナ禍で真っ先に痛手を受けたのは観光業であり、次が飲食店だった。送別会のキャンセルが相次ぎ、宴会のご馳走用の食材は行き場を失うか値が暴落した。今はチェーンの飲食店もガラガラで、しかし休業補償がないため閉めるに閉められないのが現状だ。

 

 それで、業務形態を変更する店が増えている。学生向け食堂、カフェ、レストラン、居酒屋、もつ鍋屋までが続々とテイクアウトを開始した。じつに多彩で、どの店も必死なのだ。

 

 先日の誕生日に利用したディナーセットのテイクアウトを父は気に入って、8月の「お母さんの誕生日には別のメニューを頼んでみよう」などと言っている。私もぜひそうしたいが、それが実現するにはいくつもの条件がそろわなくてはならない。

 

 私たち家族が健康でいられていること。

 その店が夏までつぶれず存続していること。

 そしてテイクアウトで少し贅沢する金銭的余裕が、自分たちに残っていること。

 

 コロナ禍はウイルスの型の変種や第二波、第三波の到来であと2年は自粛が必要というのが専門家の見たてである。社会の常識やルールは変わらなければ生存を維持できない。もちろん働き方も変わるだろう。

 

 けれど、飲食店の形態がどう変わろうと、人間には憩いのひとときが必要で、またあの清澄な朝の食卓を迎える時が来ると信じたい。そしてできればあのホテルがその日まで残っていて、地元の人々を楽しませてくれることを、朝に若葉を見るたびに強く思うばかりだ。