いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

広い通りに立つ時

 母校の正門前の歩道が、昨年工事が入って秋頃から拡張された。いざ整備された歩道を見ると何とも清々しい気分で、なんで今まで昨年まで放置されていたのか、出来るならもっと早くやってくれればという気持ちになる。

 

 何しろこのエリア、市内の文京区でありながら歩道が狭く、車道も幅ギリギリ、民家やアパートのある道は水路が走っている都合上車2台が通れるスペースがなく対向車が来ると人も車もしばし待たなければならない。正門の向かい側には小学校、中学校、総合病院が並び、その端には路面電車の電停もあるためいつも人でごった返し、小さな子どもやお年寄りにとって決して歩きやすい道ではなかった。

 

 それが、どういう成り行きか歩道に面した母校の敷地を縮小するかたちで、歩道はちょうど2倍の道幅となった。向かいの病院の改修工事と合わせて一新された歩道は、それは鮮やかに辺りの見晴らしを良くしてくれた。

 

 見通しの良い場所は、道を通ることの心理的負担を軽くする。にわか雨の夕方も、急ぐ自転車や数人連れで道が塞がれることもない。周囲を一望できるせいですぐ横や足元の障害物を避けながらでなく次の歩みが見出せる。

 

 なにを当たり前のことを、と思われるかもしれない。しかし足場と見通しの悪い道が、足腰を傷めた人にとって、ひいては心身に障害を抱える人にとってはどれほどストレスフルか、私には思うところがある。

 

 四年前、不注意で左足の関節を傷めてしまい、自転車に乗れない時期があった。通勤に使う路面電車の駅は家から徒歩18分位、近道をするには著しく狭くて足場の悪い車道の端を通らねばならず、ふだんでさえやっかいな道を足に負担のない姿勢で車を避けて歩かなければならない。傘をさしていれば車のボディは身体のスレスレを走り、水溜りの跳ね返りを浴びることもある。かといって勤務先は車で行くほどの場所でもなく、約2カ月そういう状態が続いた。辛かったのは、痛みよりも自分の意思やペースで移動できないことに伴う心理的負担だった。

 

 歩道拡張が着々と進んでいる頃、ちょうどSNSには昔母校に勤務していたという先生が脊柱管狭窄症による足腰の痛みを切々と訴えていらした。数歩歩くにもゆっくり神経を使いながら、座席があればとにかく座りたい、坂道や満員電車は苦行だ、等々。メンタル不調を抱えるも足の痛みを発症してからむしろ調子が良いように見えるというご家族の指摘に対して、痛みに気を取られて他の事を考える余裕がないのだという叫びもあった。痛みとは、それくらい日常生活に大きな関心を占め、エネルギーをさらう。健康な人にとってゼロの労力でできることを、不調を抱えた人は4〜6割の労力を費やしてようやっと成し遂げる。それに加えて道が悪ければ、外出のハードルは一挙に高くなるだろう。つまるところ社会参加の機会も制限される。

 

 歩道の拡張は、環境やインフラ整備が個々人のQOLを大きく左右することを改めて思い起こさせてくれる。世の中には色んな人が居て、外観ではわからない、または微細な数値でしか現れない症状を持つ人たちに現れる世界が困難とストレスに満ちたものであってはあまりに不当だ。アクセシビリティの保障は人口規模の大きすぎない地方都市でこそ、その影響が顕著に現れるだろう。