いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

裾野の広げ方

祝福を。
毎日早起きして段取りも確認し、さあこれでいけるだろうと思って臨む朝イチに、考えられないような勘違いやミスをすることが数日続いている。自己分析すると、要はチームワーク、身体を使う作業(といっても内勤なのでつまりは自分の机以外の場所でする作業だが)に不慣れで、ハッキリ言ってしまえば不向きなせいだろう。

作業内容を解っていても、そのために部屋の机をどう動かさねばならないか、どんな手順で何を運ぶ必要があるのか、まあそこへ思いが至らなかったということ。

これ、外業ならアウトだよなと自分でも思う。現場なんて大勢の人と声がけしあいながら共同で作業しなくてはならないのだから。議論や執筆が云々の世界ではない。机上の世界とは違う。

気をつけてはいるが、何よりそういうのが苦手で不向きなことは重々承知でいるから、本当に選べるならそういうことをしなくてもすむ仕事を選ばなければならなかったのだけど、それが諸々うまくいかなかったからこうなったのであって、経緯はこのブログに書いてきたとおり。

もちろん入職した以上はそれは禁句である。だからここへ書き連ねていることは現実の関係者にはとても言えたものではないが、冷静に自己分析するならそういうことだ。

お金がないことはとことん選択肢を削るなあ、と何かあるたびに痛感する。住む場所も、仕事も、一緒に暮らしたり過ごしたりする相手も、経済力がないと選べない。

段取りを確認して、わからなければ聞いて、作業の前に何をどこへどう配置するか理解して、スムーズに行動に移す、報告や質問は解るように発することー、と書いててうんざりする。当たり前すぎることではあるからだ。が、自分の適性くらい好い加減判る齢になって、解っていながらそれをふまえた選択ができず、やっぱり得手不得手は変わらない。

やりきれないのは、自分の得手不得手を活かして生計を立てることはあらためて遠いこと。かつ、書くのもはばかられるがせっかく書く場があるのだから吐き出しと整理を兼ねて書いてしまうと、
もともと苦手なことをこの歳で今さら練習してできるようになっても水準はやっと人並みかそれ以下だろうから、同じ負担をかけるならもう少し得意なことで稼ぐほうへ傾注したほうがコスパが良いのでは、という思い。人生なんていつ終わるかわからないのだから、災害も経済暴落も国家破綻の危機も想像だにしない地元の人たちと、あすもあさっても当たり前に命がある前提で合わせて生活していたら、死ぬ間際に後悔してもしきれないだろう。

…とまあ、書いてて酷いなあと思うけれど、やはりしばらくはここで働くつもりでいる。金銭的な問題はあと少しで解決できる。でもその後、虚脱感に囚われないように配慮しなければと思う。何しろ問題の渦中にいるときは無我夢中で格闘し、それさえ切り抜けたら光が射すとばかりに一心に進むことができたけれども、いざそれが解決して「ふつうの状態」になってみれば、マイナスがゼロに戻っただけで人より足りないもの持たざるものに目が行き失望する可能性もあるからだ。

まあそれも無事解決したらの話であって、いまだ到来しないことでぐずぐず思い悩むのはやめよう。

ただ嘆かわしいのは、一般的に本来この歳なら雇用形態はどうあれ働きざかりで仕事に傾注し、自前の家庭の有無にかかわらず安定した居場所があり、公私ふくめてつきあう人たちは決まっていて、自分特有のポジションが築けているはずなのに、自らハンドリングできる領域の少なさに唖然とすること。

それらを実現するために移住と転職を試みたはずなのだが…前者は実現しなかった。


ー何も自分の専門でなくていい、仕事でもプライベートでも何かのきっかけでかかわりを持った人々に気軽に話しかけてみるとよい、思いもよらないところから道が拓けることもあるのだから!

という内容の、若い人からの助言が脳裏に蘇る。この地じゃ誰も知らないのは当然だが、それも9年前から試し、どうにか浮上して今に至るのです。

移住と転職活動で間口を広くとれば迷走し、あたかも目的や方向性が曖昧な(たしかに着地点は曖昧すぎた。があれ以上どうすればよかったのだ。現状維持しなかったことが気に入らない者の因縁にかまう余裕はない)者と思われ、射程を絞ってネットワーク作りに励もうとすれば頑なで枠の狭い人間と思われ…。
もうどうしたら他人の意向に適うのか、いや何で生き方を他人の枠に合わす必要があるのか、ちょうどブログ始めて一年を迎えた今、あらためて忸怩たる思いがわきかえる。

それでも労働者でいられるのは支えてくれる人々のおかげであって、それには毎日感謝してある。ただ、これまでとあまりに違う世界に足を踏み入れたことに今さらながら背筋の凍る思いはする。そのせいで時折遠くを眺めては選ばなかった道に思いを巡らせる。北方の暮らしを思い出す。それが逃避でしかなくても、そうでもしないと煮詰まるか崩れ落ちてしまいそうだからだ。当事者でありながら、自分の置かれた状況さえどこか他人事のように見ている節が私にあるとすればそんな背景からだろうか。

人生の時間比率を自分仕様にすること!自分なりの方法でサヴァイヴすること。親和性の高い仲間を集めること。ハズレを引きたくない思いもある。ムダを避けたい気持ちもある。年齢を意識すればなおさら。それがいけないこととは思わない。

闇雲にランダムにという方法の忌避、もうそれを楽しむ余力はあるとは言い難い。そんなのはどちらかといえば、安穏で明日明後日も当然命のある土地にべったり溶け込んで生きる意向を持ったうえでないと難しいのではないか。

長々と連ねてしまったが、明日はこちらも雪の可能性があるのでゆっくり寝て、疲れを溜めないように養生していきます。真冬の夜にぐじぐじ悩むとロクなことが無いので。お休みなさい。