いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

いわきび、洋上を見る

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週末に晴れていれば港へ行くことが楽しみになっている。と言っても勤務を終えて、もし夕焼けがきれいで海の方角へ行きたくなったら自転車を走らせる、という気まぐれな散歩で、気候が良く疲れがひどくなければ平日夕方でも足を運ぶ。

職場は海の近くではないけれど、ある道順に従えば確実に海へ出るルートがある。日の長い夏場は夕涼みを兼ねてそこへ疾走するのがほんとに好い気分転換になった。最近は雨天と担当業務がうまく進まない気まずさゆえに、しばらく行ってない。

港にはさまざまな時間が交差する。漁船も旅船も貨物船もそれぞれの都合で進みまた停泊する。海沿いに集う者もまた思い思いの態度で時間を過ごす。釣糸を垂れる人、ラジオをつけてワゴン車の扉を放ち洋上を見やりながら実は終日そこに居るのではと思われる人、積荷の上げ下ろしに組んだ相手と短いやりとりを交わすペア労働者。倉庫には猫が住み着き、潮の匂いが張りつくコンクリートの上や茂みの中をコロコロ駆けまわる。夕涼みの散歩をする付近の高齢者。海を見せに気晴らしに来た子連れ。ヤンキーぽい数人連れ。

瀬戸内海沿岸は地形が込み入っているわりにのどかで海岸ギリギリまで民家や店が並ぶ。港の縁から臨む対岸は入江で静かな佇まいに惹きつけられる。

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私は未熟な難破船みたいなもので、今は入江に船を停泊させてその修復と補強、新たな技術獲得の最中といえる。
半年前、地元脱出を試みて瀬戸内海を渡ろうとしたのだがうまくいかず、何転かの末に地元で転職した。未経験OKかつ必要なスキルは入職してから教えてくれるとのことで、げんにそうしてもらってきた。素人の新人を受け入れてゼロから教えるなど、誰でも呑める案件ではない。日々教わる作業や技術に私は子どものように単純に驚き、その鮮やかな様子にただ見入っていた。

そんな業務も新たな工程を迎え、技術習得は徐々に実務へと移っていく。私はなかなか自分の分が思うように進まず、気まずさと後ろめたさに包まれながらも淡々と振舞っているつもりで居る。

陸地から臨む洋上はとても輝かしく見える。磯の香のコンクリートから、旅客船待合室から、山道に繁るニセアカシアの合間から眺める海は遠くでありながら、しかし確実に今居る自分の現実世界の風景として欠かせない一部でもある。

入江の暮らしは荒っぽく粗暴な面もあるが、とても丁寧な細部をもつ。軒の明かりや鉢植に花壇、掃き清められた玄関、厨の窓を見てそれがわかる。ファミリー層が車で乗り付けるに適した大型量販店、ファミレス、マクド、中規模スーパーが並ぶ、決して洗練されたとは言えない雰囲気の場所で自分も休憩をとりながらやはり落ち着くのがわかる。

地元はどこまで行っても地元で煮詰まりやすい。このことにどんなに注意をはらっても行き過ぎることはない。でも、そんな地元をあえて選び移住また帰郷した人たちがいる。その人たちにここの風景はどう見えているのだろう。浜辺にゆっくり潮が満ちるように、手元の砂や貝殻をつかむように、充溢そのものと映るのだろうか。
だとしたら、海の彼方に沈む夕陽も波間を照らす灯台や船の明かりも、決して遠くの手の届かないものではなく、自分の身近に足元にすでに与えられているのかもしれない。新たな技能習得に煮詰まり、早朝目覚めてしばらく涙を拭いてから起き出すこともあったこの半月。どこに焦点をしぼるべきかわからなくなりかけていた。だが一日を、ダメなら一呼吸を、丁寧に生きてみるのも悪くない。気まずい空気の中に滞留してはいけないが、どのみち仕事以外の研究を捨てる気はないので、複数の時間を意識的に持ちながら前へ進んでみよう、と思うのでした。