いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

斜陽の国から

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祝福を。写真は夕暮れと若葉。

相変わらずのいわきびです。待機期間は明けたものの、選考途中で止まっている地元求人からは連絡がなく、県外求人は落ち、4月も下旬に突入しつつある。今日はまた一つ地元求人へ応募。先週月曜は先月分の給与が振り込まれたので少しホッとする。

例の奨学金返済方法は、月賦のみへの変更を機構に伝え、申込用紙送付をお願いした。後日確認のため職員から電話が来ることになっていたがまだ来ない。申込手続きは、適用月の2ヶ月前に済ませることになっているため、早く手続きしたいのだが。

家庭も、とくに良いことは起きてない。祖父がまた入院・手術し、また親が付添をしている。

求人を見ながらつくづく介護求人の多さに感嘆する。今の高齢社会は人口コーホートの問題で、生産人口の絶対数に対して老齢人口が爆発的に増えていく。 新たに子どもが生まれても、その面倒をみつつ、何らかの形で高齢者のケアに携わることになる。生産人口以外の人口ー子どもや高齢者ーは、ケア・サービスを必要とするが、サービスの提供者ではない。介護や保育などケアを必要とする人は増えても、ケアを提供する側の絶対数が足りなくなる。高度成長で拡大した日本経済は、いまやその規模を維持するだけの労働力を確保できなくなっている。いま起きてる人手不足はそういう事象だ。

お金を稼ぐ人も、使う人も減る。お金が回らなくなり、経済規模は縮小せざるをえない。稼ぎたい働きたいと思っても育児と介護でフルタイムは無理、少なくともかつての「企業戦士」な働き方をできる人がいなくなる。人手をかき集めようと時給を上げようにもコスト削減したギリギリの予算では人件費に限りがあるし、経済規模が小さくなればやはりそれじたい難しくなる。

こういうことが、日本中で起きる。大都市でも地方中堅都市でも僻地でも。人手を必要とする側と人手を提供する側の比率がとんでもなく不均衡になる。AIやロボットなど技術化を進めることが上策のように指摘されるけれど、ケア労働が扱う対象とは不条理でかつ一枚岩でない人間の感情と、いまだ/もはや制御しえない身体だ。医療行為ともまた違う。はたして技術化の対象とするのは適切だろうか。

人手補充として移民受け入れは必須だろう。しかしこの差別と封建制井の中の蛙な人々の国で、外国人労働者を働かせること自体申し訳ない。そんな国へ、募集したからといってまともな人が喜んで来るだろうか。もう日本が買い叩かれる側の斜陽国だというのに。

もう一度記す。労働力不足は日本中で起きる。だったら、別に地元で生きても同じではないか。今日は初めてそう考えた。ここで生きて、また情勢が変わるまで読み書きと発信を続けて、ネットを通じて同じ志を持つひとたと交流する。国外もわやな情勢である。日本を出たから良いとかどうとかいう問題でもない。
ほんの少しだけ、ここで生きている自分を肯定する兆しが見えたような、夕方の散歩であった。