いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

生産人口が減ること

祝福を。

失業給付(もういっそもらうのをやめたほうが良いような気がしてきた)、職業訓練(受けるなら)との兼ね合い、家族の理解のなさ、自分の意思、派遣法改正ゆえの短期労働の制約等々がまったくかみ合わず、利害がバラバラでうんざり中の、いわきびです。

今日は国保加入のため市役所へ。離職理由が会社都合なら軽減措置が受けられる。が、まだ離職票が手元にないため、もし軽減対象だと分かればその手続きに着て下さい、ということでいったん終了。このままこの状態が続けば6月に初めて保険料を納付する流れとなる。

外は午後からずっと雨降りだ。来週火曜まで続くらしい。

「三方よし」という、 近江商人が大切に守ってきた精神がある。「売り手よし、買い手よし、世間よし」、すなわち商売は売り手の利益だけでなく、買い手にとっても良く、かつ広く世間にも役立つものであるべきだ、という思想である。これと正反対なのが今の自分の状況で、何かを取れば別の何かに不利が生じたり、反対にあったり、制度が変わって前はOKだったものがそうではなくなっていたり、周りが喜び勧めそうな選択肢はいわきびが嫌悪したり。

いっそ本当に隠居してかかわり一切を拒絶しようかとも思うが、それをやるとお金が返せない。で、ぶじ完済したところでその時自分に何が残っているか。とくに東京オリンピック以降の社会はもっと貧困化が進み、高齢者ばかりで生産人口の絶対数が減り、経済成長と人口増加を前提としてきた制度は疲弊しにっちもさっちもいかなくなっているだろう。

そして、自分の世代が長生きして介護が必要になったとき、まともな医療福祉制度やその担い手があるだろうか。自分よりもっと下の若い世代は国を見限って出ていくスキルと理由がある。そういう人々を笑って送り出す余裕があればよいが、荒れた社会のひずみを受けた子世代が、身近な上の世代に不信と蔑みの目線を向けるのはそう遠くない時期だろう。

きめ細かいサービスを維持するだけの、担い手の絶対数が減ること。介護分野がその影響をいま露わにしている。

常識や思い込み、制度の網の目を突いて外へ出る機会はたえずうかがっている。いまは無理でもいずれ来る混乱に乗じて脱出の意志だけはいつも確かめていたい。