いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

旅終えて

祝福を。
やっと汽車が四国に入り、ホームに「瀬戸の花嫁」が流れるのを聴いてあ〜この空気へ戻ったか〜とうんざりするはずが、どこかホッとしてもいる。

のんべんだらりのゆるさが、四国というか地元では許されるのです。それゆえにサービスの質がどこか抜けていて的外れだったり、いいかげんだったり、イラつくこともある。晩春から秋までの暑さは異様で、凌ぐには何もしない以外対策がないと思うような日もある。

とはいえ瀬戸内なら、とりわけ夏の気候風土は似たり寄ったりなはずなので、瀬戸内海を渡るだけの移住なら再び忍耐が必要だ。瀬戸内エリアをひとくくりに見れば、どこへ住んでもそんなに大した差はないのかもしれない。交通アクセスの差はかなり大きいが。

こんなことを書くのは少し弱気になっているからで、自分の立場の中途半端さを思い知らされたためだ。この歳で、地方都市から地方都市へ移り、非正規の仕事に就き、一人暮らしを守ったところで「やりたいこと」の生活比率はやはり片手間の趣味にすぎないのではないか?第一そのためにしていた貯金も昨年、経済問題の解決を早めるために吐き出した。 旅費はあるが、引越費用は大丈夫か?という状態になった。

職場では、明日も明後日も数百年後も同じ体制や生活様式が続くことを、あたかも東から日が上り西へ沈む法則と同様に信じている人々の集まりで一日が暮れる。頭の中は食とテレビと服と家族のことと、安すぎる賃金のことで占められている。それが悪いとは言わないが、いつか来る別れの日までこんな人々に囲まれていたら後悔で死に切れないと思う。

出口はどこに。いや勝てる市場はどこだ!?問いの立て方は、実はこうだったのかもしれません。