いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

非正規雇用は潜在的失業者である

 今月に入ってから何度かハローワークを訪れている。求人応募先への紹介状を出してもらうためだ。応募したい事業所の求人にいくつかあった不明点をハローワークを通して確認してもらい、応募してよいか事業所から許可をもらわないと紹介状を発行できないという。

 

 煩雑だな、とは思ったがそういうルールなら仕方ない。これも応募したい求人がたまたまハローワークの紹介状を必要とするものだったからで、職安経由の求人とはそういうものと割り切っている。

 

 だが、やっぱり色々と思うことはある。

 

 一つに、県外への応募に対して窓口担当職員があまり良い反応をしないこと。

 まあこれはリスクを伴うことではあるし、現実的でないのも理解しているけれども、自分が納得して前へ進むために必要なことなのだ。来年度の今頃オロオロ動き回っても今より勝率が高いとは思えない。年齢のこともある。オリンピックの後景気が一気に傾く可能性もある。今のうちに動いて応募先の反応を確かめ、ダメなら方向転換するためのプロセスだ。

 

 いま一つに、在職中に使えるサービスが殆どないこと。

 職業訓練は基本、雇用保険受給者が対象(求職者支援訓練はそうでなくても対象となる)。だから先月は施設・コース見学だけ行ってきた。

 わかものハローワークでの個別相談も基本的に雇用保険受給者(つまり現在失業中の人)が優先だそう。

 

 もちろん、在職中から就活するなら転職サイトで求人を見てエージェントと相談するのが最適だろう。スキルを習得したければ民間のスクールや通信講座ほか選択肢はある。ハローワーク公共職業安定所として限られたサービスを提供するだけだ。そうわきまえてはいるけれど、そこにはやはり制度的・慣習的に根深く張りついた前提がある。

 

 それは、「一つの就業先だけに所属し、そこだけに帰属意識とロイヤリティを持ち、全生活局面においてそこで与えられる仕事だけを優先せよ」、

あるいは「すでに一つの所属先で働いているのに他へ目を向けるという二股はケシカラン、今いる会社で与えられた仕事「だけ」に尽力し、そこと縁が切れてから他を当たれ」とでも言う考えだ。

 

 職員の反応に時おり薄々感じるのは、「一つの働き口に、不満があろうがブラックだろうがとりあえずブッ込んでおけばいちおう就労者とみなせるんだから」という態度だ。ダブルワークや副業を許さない会社の本懐もこれだろうか。

 

 たしかにそうやって日本型経営は繁栄をきわめた。だがそれは過去の話だ。新自由主義改革の趨勢で国内労働者の4割を占める非正規雇用者はそんなこと考えていられない。

 

 賃金が低いから一つの仕事だけで食べていけることが当たり前ではない。

 非正規雇用はつねに契約更新の懸念を抱えて働いている。一年ごとの契約なら翌年クビを切られる可能性もある。契約更新の回数が決まっている場合、何もしなければ契約終了後は失業者となる。

 私を含めた彼/彼女らにとって、就業と失業の境界も不明瞭だ。非正規雇用潜在的失業者なのだ。

 

 いまや、労働と非労働の線引きも難しい。労働の対価として賃金が得られるはずの仕事を家庭内外でタダ同然に低く見積もったり、逆にこれまで私的領域において無償で担われてきた家事労働やケアを破格の低賃金ながら市場化する動きもある。

 

 雇用や労働に対する前提を意識して見直さなければなあ、というのがこの数ヶ月の率直な所感である。