いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

街の動脈を歩く

 先週明けから、落ち着いていたはずの右足指がにわかに痛み出した。整形外科でのレントゲン撮影からは、骨折患部は7割方くっついているため添え木の必要はなく、湿布をしてもらう。

おそらく自転車再開と屋外作業に伴う動きすぎ、軽い飲酒によって痛みの閾値を超えた炎症反応では?という見立てを薬剤師さんからもらい、それがどうも当たっているみたいだ。湿布でだいぶ楽になり、この連休はなるべく安静を心がけてわりと良くなった。ただ湿布はモーラステープなので日光に当てないよう注意をしっかりしている。

 

 それでも金曜日、とくに夕方から降り出した雨の中、どうしても本屋へ寄りたくて駅前で電車を降りた。目的の大型書店まで駅から徒歩2、3分ほど。健康な人ならすぐ行ける場所が、足をかばいながらだと5分強はかかる。書店を出て駅まで戻る道はもっと大変で、本降りの雨の中傘をさし、リュックと手提げ袋を携えてゆっくりと歩く。

 

スクランブル交差点を渡り終えた途端、立体駐車場から車道へ出ようとする車に出くわす。急いでその前を通り過ぎようとするも、実質足を引きずった歩き方では敏捷な動作ができない。どうにか通り去るも、つぎは駅前の横断歩道から街中へ出てくる人たちと、駅へ出ようとする人たちが入り乱れる狭い歩道だ。

 

  足腰の不自由な人にとって、人混みはかくも危険かつストレスフルなものかと愕然とする。

 

 傘をさし、足場も悪い中ぶつからずに歩くのは至難の業だ。急ごうとすると、どうしても身体に無理な動きを強いることになり、患部の再受傷や別の部位を傷める可能性がある。

 

 人混みはそれ自体固有の速度を持っている。その速度や流れに応じて歩かなければ、滞りが生じて遅れる本人も周囲も危険だ。ここは小さな地方都市で、私鉄は三線の在来線と路面電車とバスを有する一社のみ、自家用車ほぼ必須の街だから、首都圏や関西大都市圏よりは混雑も速度もはるかにマシだろう。にもかかわらず、退勤ラッシュ、週末、雨という条件下の街中心部の駅前は、小さくても街の流れを形作る人の動きを実感できる。人波の滞留しやすい場所か、足早に通り去る場所か、人々が昼食を買いに殺到する場かくつろぐ場か、酒の入る場か、ダイヤの乱れがちな公共の乗り物を待つ場かー。

 

 こうした人の流れは都市計画である程度調整できる。都市は人間が造るものであり、その場固有の役割や流れを作ることで、公私にわたる人間の活動を十全に引き出せる。地元はべつに駅を中心に発達した街ではないはずなのに、駅前の一角は街の動脈と化していた。

 

 これから車の使用をやめる高齢者が増えるなら、公共交通機関は車内環境、動線、本数、乗り換えダイヤほか精緻な工夫が必要だろう。快適な私的空間たりうる自家用車を離れ、あえて公共の乗り物に切り替えるには、まず歩くペースや時間配分を乗り物に合わせる必要がある。停車場で隣り合う人との距離、車内に乗り合わせる人のマナー、人いきれ、汗のにおい、風邪やウイルスの漂う空気や手すりやつり革。これらをどう緩和し、相互に快適な環境を作り出すのか。

 

街の動脈を自由の効かない足で歩きながら、「街の足」は文字通り身体にねざしたセンシティブな生き物として考えなければ、としきりに思うのだった。

 

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