いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

父の楽しみ

「きょうは、下駄の日です」。

 朝一番、父の車に乗り込むと音声が響く。日ごとに初めてエンジンをかけた時、その日が「何の日」かを教えてくれるシステムらしい。

 

 足指骨折につき走れず長く歩くこともできないため、都合のつく日には家族に送ってもらうようになってひと月近くなる。母は平日は2店舗かけ持ちで仕事、休日は入院中の祖父に付き添いで泊り込みという過密スケジュールで、送迎を担うのは主に父だ。

 

 当初は道路がどれくらい混むか分からず渋滞回避のために早く出発していつもより30分近く前に出勤していたのだが、最近は空いてる道を覚え、最も道が混む雨の日の8時前後を避ければけっこう余裕で到着できることがわかった。

 そうなると、自転車通勤ではまず使わない通りの佇まいを毎朝観察できる。中心街から伸びる道路からいよいよ職場近くの工業団地付近へ入る通りの角には神社と森があり、管理者とおぼしき日本家屋の門には見事なキョウチクトウ琉球アサガオが咲いている。屋根瓦が夏日を照り返す。

 

  帰りはもっと意外な場所を通る。父は安いスーパーで食材をしこたま買い込むのが半ば趣味のようで、母と私はいつも半分あきれていたものだ。それも近所の店ではなく、郊外の聞いたことのない店を「秘密の場所」と称し、4枚98円のコロッケや2丁入り98円の揚げ出し豆腐などを嬉々として買ってくるのだった。

 

 で、今回ついにその秘密の場所を突き止めた。

先述の神社の角付近の通りをゆくと、子供服店と物流センターの並ぶある建物敷地の真裏にある24営スーパーで、近所の人でなければここにスーパーがあるとはちょっとわからない。ある日、いつも食べてる棒状の食パンを買うという父について初めてそこへ入った。

 

  店内は広く品揃えも豊富だ。野菜はあまり質が良く見えなかったが旬のものがそろっている。父は一種類ずつ手に取り値段を見て冷蔵庫の中身を思い出しながら(在ると分かっていても買うのだが)カゴに入れてゆく。

 

 肉や魚は安く、1パック分の量が多い。父母と私の3人しかいないのに、父は何でも大きいほうを買いたがる。鮭切り身10切れ入りを見せてこれにしようかと言うのでそれは多すぎると5切れのほうを選んでもらった。鶏モモ肉もほっとくと4枚目入りを買ってくるのでせいぜい2枚にしてもらう。まあ今は介護付添用弁当やふだんの昼食に必要なおかずになる。「冷凍しといたら後々食べるだろう」と言う父にしか、わが家の冷凍庫内の収納はできない。

 

 とはいえ父は食品の値段をよく知っている。安い品に敏感でもやし1袋がここなら20円未満で買えること、その日は翌日が29日で「肉の日」だから明日はどこそこのスーパーで肉を買おう、麺つゆやみりん、油は別のスーパーではいくらだから明日そこへ行こうとか、ふりかけはここが安くて1袋68円、ボトルコーヒーはコンビニの半額で並んでるとか。大袋で並んだ菓子類もどこよりもコスパが良いそう。豆菓子、ナッツ類、酒のつまみになる「柿の種」の亜流みたいなあられ類は業務用みたいな売られ方だ。これもカゴにいれる。

 

 やっと目当てのパン売り場にたどり着く。棒状食パンは一本が3斤くらいある。これが200円もしない。他にもハンバーガーやホットドッグのバンズ、メロンパン、コッペパン、調理パンが並び、父は一つずつ説明してくれる。

 

 そんなことをしているから会計は3千円近く。お金は少し前私が渡した生活費の封筒から出していたので別に文句もないが…。

 

これ以外にも父はよく産直市で野菜や果物を一箱、スイカひと玉という買い方をする。菓子も買うが、ジャンキーなものにはあまり手を出さず、むしろゼロから調理が必要な生鮮食品が多い。消費するほうも大変だ。わが家はぜったい他の家よりもエンゲル係数が高い、と私がこぼすと

エンゲル係数が高いんじゃない、物価が高いんや」

「食べるものをしっかり食べるから元気でおれる、粗末な食事で病気になったら医療費の方が高い」

と言い返される。

 

  父を見ていると社会とのつながり方もまた人それぞれなのだと思う。スーパーを通して物価と旬と時勢を知る。それはかつて専業主婦がしていたことだ。

 

 多忙で活動的な母は、退職してからの父が働くでも趣味の集まりに行くでもなく、たまに介護とスーパーへの買い出し以外外出をろくにしないことを憂い嘆いてきた。あたしの方がよっぽど忙しく動き回ってる、人との交わりがないのはダメ、社会とのつながりがない、等々。しかし、定年後再雇用で68歳まで働き、義母の介護を手伝い、在宅の折は家事の半分はやっている人にかける言葉だろうかとも思う。父自身は時代劇をDVDで楽しみ、図書館で借りた本を読み、パソコンを広げてインターネットで調べものもする要するにインドア派なだけである。

 

 マイカーの音声、スーパーの広告、カーラジオTVからのニュースで「今日がなんの日か」を確かめ、リタイアした自分と社会に固有の視点や接点が持てるなら、それはそれで豊かな時間を生きているのかもしれない。