いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

気まぐれと絆しのはざまで

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上の写真は、連休初日に訪れた山陽の街中にあるバス停で撮った藤の花である。晩春とはとても思えない寒さの中、昼過ぎに高速バスを降りてから外を歩く行楽はもう中止して夕方までずっと宿にいた。これはその宿へ向かう途中にふと視界に入って惹きつけられて写メに収めた一瞬の気まぐれである。

 

 街中は人出も多い。色んな年齢層やカラーで溢れている。私のすぐ前には四人の幼い子どもを連れた母親らしき女性が歩いていて、私が藤を撮り終えようとするちょうどその時に、鋭い声で子どもの腕を引いた。車が通っている横断歩道へ走って出ようとするのを止めたのだ。小さな子は好奇心旺盛で世の何にも慣れず、大人の予測がつかない突発的な行動をする。叱るのが一瞬遅ければ、事故につながっていたかもしれない。

  じつに、子どもの面倒をみることは常に神経を使い心を配り、気を抜けない。子育てで辛いのは「自分のことが何一つままならないこと」だと聞く。一瞬の隙に誤飲や転倒、ケガや失跡など子どもを命の危険にさらされる状況はたやすく現出するので、つねに目を離せず注意を向け緊張し、食事もトイレも自分のタイミングでできないー。これはワンオペ育児だけでなく多動の認知症高齢者の介護もそうだろう。

 

 とはいえ子連れや高齢者に対して色々問題はあるにせよ、彼/女らはまだ様々な社会的つながり・社会的紐帯の中に在り、良くも悪くも絆しに絡めとられて生きている。実際にケアが必要な人を特定の一人だけで面倒をみるのは危険かつ限界があるし、関わる個々人の善意によってかろうじてであるにせよ、それはまだ社会的包摂の一環をなしている。

 

 今の私は、そういう立場ではない。

 

 そこに居たのは一人旅の途中としてである。

 

  辺りを見渡しながら、あるいは周囲に何ら気を配ることなく自分のタイミングで歩き、視界を定め、止まりたければ止まり、カメラを向け写真を撮れる。実に気ままに、そして気まぐれに動けるものだ。

 

 だが一方で、自分のこの気ままさが社会的つながりの希薄さ、社会的排除紙一重にあることも意識できる。かつて自由なイメージで語られたフリーターがその実不安定雇用労働者であり、多様な働き方と称して政府が雇用の流動化と破壊を推し進めたように。低賃金と社会保障に絡めとられて居ないせいで結婚も子どもをもうけることもできない人たちが持っているように見える「気ままさ」は、社会に繋ぎとめられていない不安定さ危うさと紙一重である。

 

 平成三十余年にわたって、この国は社会統合のコストを放棄し続けてきた。もともと福祉国家の機能をほぼ企業が代替し、残余部分のケアは家事育児介護すべて家庭に丸投げして繁栄をきわめた日本社会は、企業内福利厚生のハシゴを外したとたんにその脆弱性をあわらにした。

 国家や企業が手放したケア責任を一手に担わされた家庭や地域ももはやインフォーマルなつながりを失い、バッファは低減する一方だ。

 

 いったい誰が排除された人に目を向け、人が作る社会へ参画する機会へ連れ戻すのだろう。砕片化しフラグメント化し、点在する島宇宙から個々の眼に映る固有の風景が無限に近いほど在るには在るけれども、それらは決して互いに交わることはない。

 

 本来、生活保障やケア提供は手厚い公的セーフティーネットによる負担を前提に、血縁以外の多様なタイプのネットワークによって支えられるべきだ。それこそが結局、個人の自立ー近代的主体概念はもはや自明でなく問い直しの段階にあるけれどーを促すのである。

 

 人一人が生きて成長する過程で必要な「傷つく権利」、試行錯誤の機会を包摂できる社会。これは、平成の失策に気づいた個々人が、新たな目覚めのもとに社会と関わり、必要ならば運動によって築いていくしかない。