いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

下り坂の時間

 私には年上の友人が多い。大学院は社会人と留学生ばかりだったし、そこを出て働き始めた時も世間で言う新卒採用の年齢で就職したわけではなかったので、同年齢の同期というのが存在しなかった。

 

 もちろん歳の近い同僚は前職にも現職にもいる。が、彼/彼女らはそれまでの来し方が自分がこれまで多く接してきた人たちとはずいぶん異っていて、あくまで仕事場で関わる人たちの域を出なかった。

 

 地元の友人も、帰郷してから今も会っている人はわずかだ。同じ市内に住んでいても休みが合わなかったり家が遠かったり、同居の配偶者や親たちとそれぞれ違う生活を送っている。年賀状だけのやりとりの人もいる。ただどんな日々を過ごしていようと、時間だけは確実に過ぎていく。

 

 今年64歳を迎える私の母は、祖母(母の実母)の介護が終わってからも2ヶ所にわたるパートの仕事をかれこれ15年近く続けている。1日に2ヶ所合わせて8時間働き、時間外手当もつかないのに持ち帰り残業をしている。60歳を過ぎてからは再雇用となり、給与は今までよりガクッと減った。それでも社保がつくというメリットがあり、家でじっとしていられる性分でもなく、来年くる完全退職までは続けるつもりらしい。

 

 「消化試合よ」と母は言う。たしかに定年までの間、慣れた仕事を惰性でこなし、残りの時間をのんびり過ごそうという気持ちはわかる。しかし、そんな言葉はあらかた先が見えている安心感と余裕がなければとても口にできない。なにしろそれは今後も「試合」があること、試合を続けられる条件が整っていることが前提だからだ。この前提のうえに、人生の下り坂をゆっくり降りていくイメージがある。

 

 年とった親と暮らしていると、この下り坂の時間の方向を随所で意識できる。

 

 仕事も、経済成長も、結婚も子育ても経験し、家を手に入れ、子どもを高等教育まで進学させた。世間でいう成功とはかけ離れた結果や、思うようにいかなかったこともたくさんあっても、ともかくもそういう機会を得られた。親世代、私の親が該当する団塊世代が生きたのはそういう時代だった。

  で、物欲・金欲でガツガツ貪る時代は終わり、これからは心の時代、非物質的な豊かさを求めよう、あとはもう余生のことで、趣味も程よくパッケージ化された、手頃な価格と労力で楽しめるもの、みんなが知っていてそこそこ理解しやすいものがよいー。

 

 (でも、ハングリー精神だけは失わず、低賃金非正規雇用でも会社に尽くしてね!子どもも産んで介護も忘れずにね!という腹はあるみたいだ)

 

 では私の世代、就職氷河期世代はどうか。

 

 いわゆる「社会人」のスタートラインにも立てないまま数ヶ月、数年の雇用で食いつないで今に至るのではないか。にもかかわらずこんなニュースがある。

 

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190411-00000502-san-bus_all

 

氷河期世代生活保護入りを阻止するという。もはやこの世代を社会保障の負担でしかない見方である。

 私を含めて今の30〜40代にはこの先歳をとっても下り坂の余裕や見通しの良さはない。しかし時間は過ぎて、いつかは壮年と同じようには働けない時期がくる。

下り坂に待ち受けているのが生活保護で、そのわずかな受け皿さえ阻もうというのか。

 

 昭和を振り切れずに新自由主義改革断行の末、なし崩しに人を育てない、人が生まれない社会になっていった平成。令和は、昭和の悪弊を洗い流す時代となってほしい。