人間、社会の中で生きていれば、日々何らかの役割を負ってその日を回している。働いていれば勤務先での担当業務があり、一次産業従事者であれば日ごと季節ごとに生き物の世話があり、家では家事が待っている。介護や育児を担う人ならケアラーや親としての振る舞いをするだろう。
この役割は社会的立場を指すこともあるが、途方もなく面倒な所作や作業の積み重ねでもある。だが、役割には人を生かす側面があることを忘れてはならない。
阿部彩『弱者の居場所がない社会――貧困・格差と社会的包摂』
弱者の居場所がない社会――貧困・格差と社会的包摂 (講談社現代新書)
- 作者:阿部 彩
- 発売日: 2011/12/16
- メディア: 新書
にあるように、社会的不利益を被る人々が「つながり・役割・居場所」を回復できなければ社会的排除は解決し得ないからだ。
何より、自分のしている所作・言動が意味ある行為として機能していることを誰もが願い、信じ、またそうあることが前提で日常生活における様々な行為は成り立っている。
ところが、AIの進化とりわけシンギュラリティへの到達は、人間社会から労働を消失させると予測されている。
それは所得を発生させる賃労働だけでなく、介護や家事を担うロボット等が普及すれば家事労働を代行させることもできる。
井上智洋はAIが人間社会にもたらす影響として、将来的には人間の有用性ではなく生それ自体が価値をもつという価値観へ移行するであろうと、有用性に至高性を対置するバタイユの思想を紹介しながら提言する。そして大量の失業に備えてベーシックインカムの導入を勧めるのが井上氏の主張である。
もしそうなったとして、私たちはその状況に耐えられるだろうか。
AIによる労働の代替は、様々な領域で人々を既存の役割から解放するだろう。しかしそれは役割からの排除であるかもしれない。
そんな中、これまで有り得なかった役割や立場を自ら生み出す人もいる。YouTuberも、インターネットと個人が所有できる通信手段が普及した現代ならではの役割だ。
たとえば、「無駄なモノを作って稼ぐ」24歳女子がたどり着いた、新しい生き方
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53919
一方で国内の人手不足がこのまま深刻化すれば、これまで複数人で担っていたあれこれの役目を一人が引き受けざるを得ない状況を強いられるかもしれない。シングルタスクのみをやっている人への非難が今より強くなる可能性はある。たとえば専業主婦や仕事一筋に生きる人々に対して、自ら稼働所得を得ていないことよりも「一人一役なんてずるい」、私は仕事も家事も育児も介護もやっているのに家事だけ仕事だけなんてラクしすぎ、という方向の非難が出るのでは?と思う。
役割からの排除・疎外か、役割の過剰か、はたまた新たな役割の創出か。
自分の役割を自由に定義できる時代が到来しても、役割からほんとうに自由で居ることはやっぱり難しいだろうと思うのです。