いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を変えたく奮闘中。既定路線から降りても研究と執筆を開花させるには?人生の時間比率は自分仕様に!

人並みの波間から

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祝福を。

ほんとうに祝福を受けているような空と陽射しの続く地元である。この好き街から「ちょっと」県外へ、四国の外へと出かけることの難しさ、コストの高さにここ二週間ほど暗澹たる気持ちでいる。

先週末は大変だった。土曜午後から何となく具合が悪かったのを圧して県外へ出かけ、帰ってきたら体調不良で寝込んでしまった。ウイルス性胃腸炎だそう。今はもうかなり良くなったのだが、今回のことで私は自分の体力にすっかり自信を失ってしまった。

病院へかかったついでに血液検査した結果、貧血が出ていることが判った。軽度のうちだが、5年前に治療済のはずが、ある項目は5年前よりも低い。まあ検査したのが一日絶食後かつ月経数日後だったのを考えればそんな元気いっぱいの結果は出ないだろうし、前回と同じ鉄剤を数日おきに服用して数ヶ月後また検査、という流れとなり、その薬もおととい夜に一錠飲んだだけで立ちくらみはなくなった。思えば秋頃から大して重くもないモノを仕事で運んで息切れとか、風邪をひきやすく治りにくい、寝てもスッキリしない、あげくは先月ひどい風邪をひいた後に来た月経の最中にめまいと息切れを経験したりと、貧血らしき自覚症状はそこそこあったから、今回判って手を打ててベストだったはず。

でも。
わたしは今度のことで自分の年齢や立ち位置の自覚と、戦略の見直しを迫られた気分である。

忙しかったり、気温差が激しかったり、疲れが溜まっていたりと悪条件が重なると長距離移動はものすごい負担になる。まして公共の交通アクセスが不便で海を渡るのにざっと半日を移動に費やす必要のある四国に住んでいれば。

奨学金の返済がもうすぐ終わりそうなことは少し前に書いた。これは嬉しい反面、それをもって自分がいわゆる「人並み」の世界に戻れることを意味しないのだと一方で感じもする。長く続いた経済面のマイナスがやっとゼロに到達するだけである。

いやほんとうは、それだけでも凄いこと、のはずなのだ。


一般に、大病の回復期に焦ったり無理をしたりは禁物だと言われる。その意味が今すごくよくわかる。

病を「人生を揺さぶる大きな災い」と言い換えてもかまわない。借金や事業の失敗、DVや離婚など家庭の問題、事故や災害による被害…

問題の渦中に居る時、ひとはその注意と労力の全てを注ぎ、深い闇の水底からわが身を浮き上がらせようと奮闘する。その過程で頭上の光や周りに漂う数多の恵み(かつて自明でしかなかった、気づかなかった有り難みに涙することもあろう)に触れ、いつかどん底から脱する日が来る。やっと水面へ顔を出すことができるのです。久しぶりに見る海面からの景色は懐かしくも感慨深くもあるかもしれず、修羅を見た人々には呆れるほど何も変わらない見慣れた光景であるかもしれない。

で、その馴染んだ風景のなかへいざ入ってゆこうとすると、じつはいくつかの壁に直面する。

ケガや大病の予後のばあい、前には有った心身の機能が失われているか、元の水準に戻すために時間とコストがかかるケースがある。借金問題を解決して周りを見渡せば、年齢に見合ったライフステージを経験できなかった自分がいる。何にせよ、さまざまな意味で自分が「以前と同じではない」ことをいろんな局面で見せつけられるだろう。

そのことを周囲はどのくらい理解しているだろうか。理解する意志があるだろうか。

いちおう「社会復帰」したことで、以前と何ら変わらない世間の悪習への順応を迫ったり、人を抑圧するだけの「ふつう」「あたりまえ」の規範を課したり、仕事量のノルマを課したりする。家庭でも以前と同じ役割を課す。回復にふだんの何倍ものエネルギーを使った当事者が、「人並み」の壁に傷つき打ちのめされていく葛藤がそこにはあると思う。社会的困難を抱える当事者だけが変化と格闘を強いられ、世間の側は何も変わらないこと。

深い闇底から 「人並み」の波間へ出てみれば、そこにはもう「人並みにはなれない」自分がいるかもしれない。そのことに絶望して自死を選んでしまう当事者もいるのではないか。

しかしここまで書いてきて、「人並みが何ぼのものか」
と思える視点も当事者の中にはきっとあるのだと思う。人並みを取り返しつつ、問い直す力。何であれこの視点は「支援」に関わるとき持っておくべきではないだろうか。

そう考えて、わたしは自分の足元と視界を心地良くすべくカフェの席を立つのです。