いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

この手にあるはずの未来

 祝福を。

 久々の更新です。今回はちょっとした覚書のようなものを。
 例の奨学金返済があと数ヶ月で完済の見込みがついたので、今の心境を書きます。


 約7年半、正確には2年前から私は本格的に繰上返還を繰り返して、返済残額をひたすら減らしてきた。

 当初は月々の返済を細く長く続けながら貯金をし、自活しながら次のステップへ行くつもりだったが、
前職はあまりに賃金が安く不安定でまとまった金を作るのが容易でないことに加え、借金のほうを先に片づけないと部屋を借りようにも家族が保証人を引き受けないという考えでいることが判り、「次のステップ」代に貯めた貯金を全部返済に回してしまった。

 この間犠牲にしたものは多い。服装や髪型、持ち物選びも「人並み」をあきらめた。
当たりはずれの多い千円カットに単価2千円を超えない衣類。同様の運動靴。でもそれもそろそろ終わりにして、歳相応の身だしなみができるだろう。だが若かったその時間は戻ってこない。

 どのみち、いずれ返さなくてはならないもの。借金を残しておいて良いことは一つもない。
 むろん、生活はとても不安定だった。 


 借金を抱えることの問題とは何か。

 それは、お金よりも時間の感覚が狂ってしまうことではないかと思う。

 月々の返済がいくらであれ、返済残額がよほど所持金を下回らない限り、
どんなに稼いでもそれは純資産ではない。

 それゆえ、自分にはお金があるのかないのかわからなくなってしまう。それは自分が持てる時間の、ひいては未来の有無が不明であることを意味する。

 収入が不安定なのもキツイが、それ以上に辛いのは支出が不安定なことである。繰上返還の金額は毎回自分で決められるが、いつも手元に残す金額と、翌月以降の繰上返済額、そしてその月に不測の事態が起きた時のクッション費用を考慮して緻密に計算し、戦略を立ててきた。これも頭を使うと使わぬでは雲泥の差で、いくら無利子の借金でも漫然と月毎の返済をしていたのではなかなか残額が減らない。とはいえこれはふつうの生活に比べて懸念事項が増え、かつ複雑になることだ。

 なにしろ返済期間の経済状況は、風呂の栓をあけたまま湯を入れ続けるようなものである。まるで砂時計の砂がこぼれるように、実際にはそれを上回る量の時間と未来が、この手をすり抜けていった。

 いま、ようやっと自分の所持金は返済残額を上回るようになった。でもそれも二十万以内のことで、
出費が多ければ(生活に大過なくとも本州へ出るには旅費が要る)容易に所持金は減る。が、そうはいっても返済が順調であることに感謝しなければならない。

 わたしには時間があるのか、ないのか。未来があるのか、ないのか。先月の誕生日でアラフォーの仲間入りを果たした自分の手には、ほんとうはもっと多彩な可能性が握られていたはず、と思わずにはいられないのです。