いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を変えたく奮闘中。既定路線から降りても研究と執筆を開花させるには?人生の時間比率は自分仕様に!

人手不足時代の労働観

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祝福を。

やっと2月を迎え、陽射しや空の色が変化をとても楽しみにしている。通勤路に見える景色も少しずつ違ってくるはずだ。

仕事は何とか続けている。ぎこちなく、不十分ながら平日陽のある間は労働者をやっている。それは良いのだが、最近この労働観について思うこと様々あるので書いておこうと思う。

多くの人はなぜ、労働や労働者であることにやたらな価値や意義、承認欲求やプライドを付与したがるのだろう。賃労働に対する過剰な意味づけや期待など、失われた二十年の間に40代以下の世代には一掃されたと私は思っていたのだが…。

たしかに国内で貧困は進んでいる。金がないといくら自分の希望や意志や選好、適性が解っていても、選択肢がなくなる。転職でも進学でも移住でも、人生で次のステップへ移ろうと決めたところでその初期費用が賄えない。失業保険だって、前職でもらっていた賃金が低すぎたり、職業訓練期間との兼ね合いでアルバイトすら出来なかったりすると正直頼りにはならない。だから、働けるうちは切れ目なく働くという方途をとらざるを得ない。

しかし、社会参加の回路や社会性/社交性向上の機会が賃労働や雇用に限定されているかのように語る人々には違和感しかない。仕事を通じてスキルの向上を、は解るとして、人間的成長を、という考えに対して、私は意識して距離をとる生き方をしてきた。

人にはいろんなアスペクトがある。労働者であり消費者であり、地域住民であり、家庭人であり、親だったり子だったり、家族関係がなくてもその人にとってかけがえのないコミュニティがあればそのメンバーとしての顔もある。だいいちSNSは個人のアスペクトを増やす回路でもある。

そりゃ賃労働は尊いし、働くことは素晴らしいけれど、お金を媒介としない行為もある。家事、ボランティア、食物を育てることー「農業」まではいかない家庭菜園やキッチンガーデニングなどもー、人と集うこと、語り合うこと、歌い描き創り、思考や経験の所産を発信すること。

そういう行為を賃労働より低く見ることーお金が関係しないからと言って社会的評価を低くしたり、無償で特定の人々に押しつけたり、安く買い叩いたりするのは良くない。そんな価値観は20世紀に終わったはず。AIふくめ技術化が急激に発達していくならば、人間が担う労働は減るはずでだ。もちろんそれで仕事を追われる人々も出るだろう。しかしそれは、人間のやることがなくなることを意味しない。市場運営は、非市場領域によって支えられる。

これに関連して、技術が進展するのなら、一人の人が何でもできるようになる必要ってあるのだろうか?国内はすでに人口減少に陥り深刻な人手不足が蔓延するから何でも自前でできるようにしておくのが備え、なのだろうか。

私はそう思わない。どんなスキルも性質も所変われば何ぼのものだし、ある地域や業界、専攻で要求され好まれる態度やスキルが他の分野では全く評価されないなんてケースはいくらでもある。個人が多様な側面を備え、その個人の絶対数が減っていくのであれば、八方美人な態度は都合良く使われてポイされはしないか。

機械化や外注ができるならしたらよい。それに従事する人に雇用を与えることにもなる。導入当初の設備投資はかかるかもしれないが、普及すれば価格も安定するだろう。業者を頼む費用が賄えないケースもありそうだが、そのために一部は税金を使った公共サービスとして拡充がのぞまれる。

合理化。少ない労力による、できるだけ高いパフォーマンスの実現。少子高齢社会で増えるのは結局、体力、腕力の低い人なのでそういう人でも操作できること。要求されるのはこれらに加えて、分業だろう。

苦手なことを人の倍かかってできるようになったとして、歳を重ね、その頃には古びているか、人間がする必要はなくなっているかもしれない。

AIの発達を話題にする時に、人間のクリエイティヴィティが機械や動物から人間を区別する指標であるかのように言われる。創造性を、新しさとより高い価値を伴うアイディアやその所産を生み出す力と定義するなら、そこには当然労働以外の行為が多く含まれる。(もっとも創造性のなかでもオリジナリティは人間にしかできないわけでなく、じつはAIにも可能なのだが。)

そうなると、あんまり銭ゲバも困るなあと思う。

もしも何であれ存在することは善であれ!と望むなら、 その存在が生存を保つためにはじつに複雑で多様な資源と機能からなる束や網目で支えられる。個人のQOLは決して身近な特定の人(たとえば家族)だけでは負担できない。様々な役割のエージェントが存在するから可能なのです。

もしこの時代にマルチタスクを要求されたら、そのスキルはいったい誰得?誰のため?と問うてみるのも一考かもしれません。