いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を再考しています。人生の時間比率は自分仕様に!

陶器、道具、技術の先に

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祝福を。この呼びかけで始まる記事もずいぶん久しぶりになる。仕事が新たな作業工程に入ったのを機に、スキル習得の難しさや他にも業務で慣れないことが相次ぎ、また長らく乗ってない車の運転練習もして(都会へ移住出来ればこいつはそもそも不要ではないか!地方で必要なアシそして業務では必須と解っていながら都会で車なし生活成功者を思うと歯噛みするほど憤ろしい)、季節の変わり目もあいまった半月前、風邪をひいてしまった。今はだいぶ回復したものの、何か釈然としない思いが続いている。

理由はふたつ。

一つ目は、単にスキル習得がなかなかうまくいかず気まずい思いが続いたこと。

二つ目は、転職して就いた現職の業界が、自分がこれまで身を浸してきた世界とかなり異なるとあらためて思い知らされたこと。まあ外勤となればガテン系だし、オフィスワーカーとは慣行、生活様式、モード、ハビトゥスはちがって当然だし覚悟して入ったはず。が、来年継続できるか、仕事ふくめ自分の今後の身のふりを考える段になると、「本当に続けられるのか?(契約のことは最終的に上が決めるとして)続けたいと思うことは果たして正しいのか?」というどうしようもない不安が胸中を渦巻いている。

そんな中迎えた月初め三連休、山間部で開かれた陶器のお祭りに行ってきた。ここは帰郷して始めて勤めた職場があり、当時の同僚も出店することを知ったからだ。

懐かしい山道をバスに揺られて向かう。会場はどう考えてもクルマでないと行けない場所なのだが、自家用車は家族が使ってるせいもあってわざわざバス停から歩いていくのがいわきびの頑なで進歩のないところ。

会場に連なるテントには各窯元特有の風合いや色をそなえた食器や日用品、アクセが並ぶ。私は気後れしながら同僚を探す。

はたしてその人はいた。声をかけるとその人は大変驚いていたが嬉々として迎えてくれた。私たちはそれぞれの職場の近況を話す。言葉を交わしたのは数分だろう。その人は今もその職場へ勤めていて、勤務と制作の両立は大変だろうと思う。でも物作りに携わりながら別の仕事を続ける人と会って、何かしらヒントを得たかった。

別れた後、他店を周りながら私は考えを巡らせる。箸置きを置く店では「これから行事ごとも増える時期ですし、(使えば)食卓が賑やかになりますよ」と説明される。和紙に描かれた絵を転写して絵付けをしたという湯呑みを売る店の人は「一点一点みんな違っていて同じものは一つと無いんです」と仰る。一輪挿しや花瓶を扱う店には野の花が生けてある。ドライフラワーも一緒に商う窯元では観葉植物が青系の植木鉢に収まり、店全体が街角の花屋を思わせる。

これらみな、人の手が作る善なるもの。

私にとって地元生活はずっと仮のもので、すぐ移動するのだからと頑なに物を増やすまいとしてきた。また震災後断捨離に励み、とにかくシンプルでミニマムな生活を、と躍起にもなった。だが、物とくに道具を作ることの根底には、それらを使ってより楽しく、健康で、笑顔で、つまりは今よりも善く在りたいという願望がある。足し算ばかりの時代は終わった、これからは引き算の発想がより良い生き方をつくるーとよく言われる。それはそうなのだろうけど、そもそもなぜ人は物を作るのか。制作/製作ふくめ、ものを生み出す技としての技術(テクネー)は、脅威をもたらし理不尽で意のままにならない自然や現実世界に身を置く人間が、その世界を理解し制御し、そして意味を与えて、弱い者でも安らうことが可能なもう一つの現実をつくりだすためにあるのだと思う。
人工物の使用と普及が人間の生存可能性の領域を拡げ、「こんな生き方もあったのか」「こんなふうにして生きることもできるのか」という感嘆を禁じ得ない生の技法を創りだしていることは事実だ。
インターネットの登場、デジタル機器の普及、産業社会をもたらした近代化、その前の技術。もっとさかのぼれば鍛冶の技術、土をこねて焼くこと、石を割ることー。

私が生きているのはとても窮屈で煮詰まりやすい環境だが、そう思う動機にさえ「より善く在りたい」という志向がついてまわることを胸のかたすみに置いておきたいのです。