いわきび、森の明るみへ

四国の片隅から働き方や住まい方を変えたく奮闘中。既定路線から降りても研究と執筆を開花させるには?人生の時間比率は自分仕様に!

故郷離れて~創作の彼方へ

 世の夫君あるいは女性を恋人にもつ男性たちは、女が道を究めようとすることをどのように考えているだろうか。
 たとえば芸術やスポーツや特別な技能を要する仕事の技芸を、一人の女性が趣味道楽の域を超えて習得し貫こうとするとき、身近な男性はどんな態度をとるだろう。きっかけは些細なことかもしれない。それこそちょっとしたお稽古事やカルチャースクールでの実践を機に、本格的にやってみたい、遊びではなく本気で、それが社会的地位や収入と結びつくかは不明だが、それらを差し置いても「趣味を超えて」やりたい。彼女のそういう姿勢を見て、夫や恋人、父親、先輩、あるいは上司や師である男性が示す反応とは。

 すなおに応援するだろうか、というよりまずそのことを喜ぶだろうか。その道が険しければ彼女の身を案ずるあまり難色を示すかもしれないし、それゆえに反対するだろう。もし自らが先導役となれば、彼女の技能が一定水準に達するまでは心を鬼にしてかなり厳しい態度をとる必要がある。メンタル・フィジカルあれこれの課題や負荷を課し、とうぜんネガティブなことを言い、時に彼女が涙する姿を目の当たりにするだろう。教える側に、教わる側の何倍もの忍耐力と厳しさがなければ続かないのであり、そんな関係は決して気安く引き受けられないほど苦いはずだ。

 次に、鼻で笑ってまともにとりあわない反応が予測できる。これは何より彼女に自分より劣位であってほしい、その成長も向上も望まない者がとる態度である。世間は厳しい、道は難しい、素人にはしょせん無理だ、それより手近なスーパーで売っているあの商品(服や食べ物など)を消費しよう、テレビのあの番組でも見て快を得よう、われわれが幸福になるにはそうした満足で十分なのだ—。そういう態度はここで詳述しなくとも巷にありふれた一般的な光景であろう。

 また嘲笑を通り越して非難と攻撃に転ずるかもしれない。彼は彼女の姿勢に高尚な何か、高慢ちきに映る何かを感じ取り嫉妬に駆られ、自らの劣等感に「世間の常識」や俗物趣味を重ね合わせ、それらを怒りとして表出するだろう。彼女を自らの低俗な次元に引きずりおろそうと躍起になる姿が目にうかぶ

 この手の葛藤はたとえば田辺聖子『花衣ぬぐやまつわる...-わが愛の杉田久女』(集英社文庫)などによく描かれている。
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 いずれにせよ、多くの場合女は「囲いの花」でしかない。家庭や男の腕に囲われ、そこで生活の糧を得ることを構造化され、本当は彼女自身の素地に豊かな源泉も伸びしろもあるにもかかわらず、自身がそれに目覚めて自ら伸びようとしても囲いはその枠を超えて芽や枝を伸ばすことを許さず、つぼみは囲いの中でしか開花することを望まれない。新川和江による「わたしを束ねないで」を思わず想起してしまう。



鳥になる 谷村新司作詞・作曲 Fly Like a Bird


上記の演奏も、ブルジョワの一部がカルチャーセンターで紡ぎだす所産だと考える人がいるかもしれない。しかし私はこの鳥たちの花模様や切り抜かれた曲線に見入りつつ、思うところ多々があるのです。

 歌詞中の人はちょうど故郷を思い浮かべている。自分が馴染んだ世界、そこには当人が嫌いはねつけもしたであろう俗臭にみちたものをふくめ、慣れ親しんだ安住の地としてちょうど「わが家にある」かのような居心地のよさを味わえる世界があっただろう。ハイデガーは『芸術作品の根源』で「安心できるもの(geheuer)」と「安心できないもの(nicht geheuer)」ないし「途方もないもの/不気味なもの(un-geheuer)」という対概念によって、後者の衝撃が芸術作品に深い関わりをもつことを示した。

 夕闇が追ってくる。郷愁が彼女を覆い隠そうとする、世間への埋没を迫るあれこれが生活のあらゆる局面で立ち現れる。芸術制作ならそのときに「故郷」を断ち切れるかどうかが分岐点となる。


(ちなにみジブリの映画「耳をすませば」でも少女と文学創作を主題に「カントリーロード」の訳詩が歌われる。)

 もう一つ、触れておきたい点がある。自然から芸術へ。それはふつう自然から文明へ至る図式とされている。彼女は自然に親しみあたかも自然との調和や一体化を望んでいるかにみえる。しかし彼女は自然に埋没するのでなく、自己と世界を意識化し、世界と共に存るあり方(P.フレイレ)でもって、故郷を離れた新たな眼で自然が「生きている」ことを感じとる。そして自身が対象化した自然を抱きつつそれを超えて芸術創造の彼方へと飛翔する。

 伴侶の役目はその段階へ彼女を引き上げることであり、飛び立つ彼女を後押しすることではないだろうか。彼自身に痛みも伴うだろう。なぜならその愛は手離すこと(永久にではなく一時であれ)というかたちをとるからである。けれども進んで別離に耐えない愛は真実ではない。

 新たな眼をもち飛び立った彼女が再び故郷を見るとき、そこに映る伴侶の姿こそ真の安らぎを与えうるのかもしれません。

(女が道を究めるという主題を扱った作品には漫画なら『エースをねらえ!』『のだめカンタービレ』などがある。しかしそれら技芸の完成はあくまで男性の介在と導きによって成就される。そうでない道の究め方については別稿で記すことにする。)